二十一話 碧色と青紫
黒髪の少女がやってくる少し前——
『少しは手加減しろよ! この浮かれ狼!』
『誰が浮かれ狼だ! 口の減らないガキだな!』
アルベルトとカミルは睨み合い揉み合っていた。それを周りで各々訓練している兵士達が遠巻きに眺めてヒソヒソする。
「カミルは恐れ知らずだな」
「あのおっかない人と正面から喧嘩出来るんだから子どもってすげぇよ」
「でも今日はあいつがアルベルト様を一手に引き受けてくれてるから俺達は生きていられる」
巻き込まれない様に兵士達は自分の事に集中したが、未だ2人はぎゃあぎゃあやり合っている。
『浮かれんなって言ってるわけじゃない、人にぶつけんなって言ってんだ!』
『浮かれてないしぶつけてない! なってないお前を躾し直してるんだ!』
と凄みの効いた怖い顔で言ったが、アルベルトはその実ものすごく浮かれていた。
昨日フェリシアから、今まで一度も言われた事のない様な嬉しい言葉が次々と飛び出したからだ。
もうレイフォード公との約束などどうでも良くなったくらいの言葉の余韻が、一夜明けた今もなお続いている。フェリシアも自分と同様、後一月を待ち切れないのだと思えて満たされた気持ちだった。
油断すると顔が緩んでしまいそうで、そんなだらしない姿を部下に見せる訳にはいかないと、アルベルトはグッと眉間に皺を寄せて一生懸命に凛々しい顔を保って早朝から訓練に打ち込んでいた。
それをカミルに看破されて照れ隠し故の今である。
『我慢して人に当たるくらいだったら、いっそさらけ出せば良いだろうが! どうせもうすぐ結婚するって周りだって知ってるんだから、浮かれてたって誰も咎めやしない』
『馬鹿を言うな! 大人には保たなければいけない体裁があるんだ! それを崩壊させる様な真似は出来ない!』
『どんだけ浮かれてんだよ!』
その時、言い合いが止まらない2人に向けて、入り口の方からクスクスと笑い声がした。
「仲がおよろしいのですね」
そう声をかけて来たのは艶やかな黒髪の持ち主ガーダだった。
「ガーダ、どうした」
アルベルトがガーダに注意を向けた隙に、カミルはまた捨て台詞を吐いてサッと外へ逃げて行った。
『浮かれて足を滑らしちまえっ!』
『カミル! 戻って来い! まだ終わってないぞ!』
『もう昼飯だもんね!』
カミルと入れ替わりにやって来たガーダは楽しそうに笑っていた。
「あの方出て行っちゃいましたけどなんて言ってましたの?」
「もう昼飯だと」
「確かにそうですわね。私もその事で参りましたのよ。今日はとてもお天気が良いので昼食は外で取られませんこと?」
「ああ、ガーダの好きにして構わないよ。ところでニコルはどうした。昨日辺りから姿が見えない気がするが」
「兄様はきっとまた例の病気ですわ。私も気付いた時には姿が消えていて……お目付け役失格ですね」
「あいつ他人の領内でまで問題を起こす気か! 色狂いめ!」
遊びに出掛けたであろうニコルにアルベルトが険しい顔をして吠えたので、ガーダがすまなそうに笑った。
「不肖の兄がご迷惑を……」
「ああ、悪かったガーダのせいじゃない。ニコルが出かけたなら仕方がない、帰ってきたら俺が話をするから気にするな。昼食は2人で取ろう。どこで——」
と言いかけた所で外から大声がした。カミルの声だった。
「ふしんしゃー!」
なんだ、と騒つく場内に続けてカミルの大声がこだまする。
『訓練場の裏でイチャついてる不審者がいるー!』
「……イチャついてる?」
カミルの言葉が聞き取れない者達は顔を見合わせて窓の方へ目をやっていたが、アルベルトは嫌な予感がして入り口へ足を向けた。
「アルベルト様? 彼は何て言ってるんです?」
「……不審者と。ガーダここにいるんだ。本当に不審者だったら危ないから」
アルベルトは追って来ようとするガーダを置いて裏手へ急ぐ。脳裏では、十中八九ニコルが女性を連れ込んだものと思っていたので、妹の彼女にそんな場面を見せる訳にはいかない。
ただ、カミルはニコルを知っている筈なので不審者などと言うものか、と不思議に思いながら裏手へ向かうと、仁王立ちするカミルの向こう側にはニコルではない見知った顔があった。
「……ロドニー? それに、フェリシアも!」
睨みつけるカミルの視線から守るように、ロドニーが背に隠していたのは碧色の瞳を潤ませたフェリシアだった。
「アルベルト、知ってる?」
カミルが2人を指差して言った。
「ああ、俺の婚約者とその従兄弟だ。どうしたんだ二人して……こんな所で何を」
「ああ、えっと……」
ロドニーが答えようとしたその時、アルベルトの背後から声がした。
「アルベルト様? もしかして兄様だったのじゃ……あら」
現れたのは追いかけて来たガーダだった。
ガーダはその青紫の瞳に、怯えた様な表情を浮かべたフェリシアを収めて、口の端に薄く笑みを浮かべて言った。
「……可愛い小鳥さん」
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