十七話 さながらメビウスの輪の如く
大丈夫じゃないと言うフェリシアに、アルベルトは焦った。咄嗟に肩を掴んでしまったが為に、予想以上に力が入ってしまったのかもしれず、何処か痛めてしまったのか、と。
「す、すまない、咄嗟の事で加減が……何処を痛めた?」
「何処も痛くないです」
大丈夫じゃないのに痛い所はない。いつもより真剣な顔をして見える婚約者の不思議な返答にアルベルトは首を傾げる。
「痛くないのなら良かったが……では何が大丈夫じゃないんだ」
「いえ、大丈夫です」
さっきとは正反対の言葉を口にするフェリシアにアルベルトはますます分からなくなる。
「そう……か、なら安心した」
「安心? あんしん……えっと不安! そう不安です。あら? でも何か会話としておかしい……」
今度は一人でぶつぶつと考え出した訳の分からないフェリシアの様子に、またニコルの言葉を思い出したアルベルトは思わず笑ってしまった。
フェリシアはてっきり、問いかけにあべこべで返す捻くれた態度に腹を立てるか軽蔑してくれると思っていたので、アルベルトに愉快そうに笑われてしまって酷く驚いた。
「どうして笑われるんですか?」
「いや、笑って悪かった。君のそういうたまに見せる訳の分からないところが、本当に可愛いと思って」
未だ笑いの治まらない様子のアルベルトに可愛いと言われて、フェリシアは顔が熱くなってくるのを感じた。
時折発せられるこういった言葉にいつも嬉しくて胸が鳴った。振られたい筈の今だってそう言われたらやっぱり嬉しくなる自分がいる。
それを自覚して、フェリシアは必死に振り払おうと捻くれに集中した。
「可愛くないです! 可愛くないんです!」
顔を赤くして否定するフェリシアにアルベルトは今度は驚いた。
「……そんなことはないよ、君は可愛い。今も昔も」
「そんなことなくないです! 可愛くないんです!」
より顔を赤らめて必死に否定するフェリシアの訳の分からなさに、アルベルトはどう対応するべきか困って女性の扱いに長けた脳内のニコルに助けを求めた。
《良いかいアル君、女の子が訳分からない事言い出した時は大体機嫌が悪いか不満がある時だ》
そう助言されて、アルベルトはフェリシアに訊いた。
「フェリシア、どうした急に。何か私に不満でもあるのか?」
「どうもしないです、不満なんてないです!」
「だが、その……なにか不機嫌と言うか怒っていないか?」
「とっても上機嫌です、怒ってなんてないです!」
赤い顔のまま一生懸命否定するフェリシアが平常とは思えない。無いと口にしていても何か不満があるのだろうと思うが、悔しい事にニコルの言う通り女性の心の機微が分からないアルベルトには、その不満の見当もつかない。
仕方なく、一先ずフェリシアに落ち着いてもらった方が良いと思って今日は帰ろうと決めた。
「……そうか。それなら顔も見れたし今日はもう帰るよ。楽しんでいたところを邪魔して悪かった」
「か、帰らないで下さい! 邪魔なんかじゃないです! ここにいて!」
それなのに、今度は引き留める事を言われてますます理解できなくなるが、アルベルトは困惑する思いとは別に自身の心臓が大きく鳴ったのを聞いた。
「……でも、何かしていたようだし、邪魔した事で君に不満も抱かせているようだ。ここにいたら迷惑なんじゃないか?」
「何もしてないです、不満もないです満足してます! 迷惑なん……め、めいわく? めいわく……ありがたい? ありが……あ! 嬉しいです!」
そう大きな声で言ってから、フェリシアは何かおかしくなって来ていると漸く気付いた。
「え……? 嬉しい……?」
それは必死に忘れようと、否定しようとしていた方の気持ちではなかっただろうか。
捻くれた態度のつもりで言われた事と正反対の事を、心とは裏腹な事を言おうとして来た筈なのに、いつの間にか本音を口にしていると気付いてフェリシアは一気に顔が熱くなって口許を押さえた。
「や、今のは、あの……」
「そうか……良かった。正直いつも不安だったんだ。君の予定も聞かずにふらりと来ていたから、本当は会いたくない日もあるんじゃないかと」
弁解する前にアルベルトが顔を綻ばせてそう言ったので、修正しなければとフェリシアは慌てて捻くれる。
「よ、予定なんてお稽古くらいしか……だ、だから困る日なんてありませんし、いつだって会いたい……あ、れ? 待って、ちょっと待って下さい、私、もうどっちがどっちか……」
アルベルトの言葉に捻くれようとするといつの間にか捻くれるべき本心を伝える事になってしまい、フェリシア自身訳が分からなくなって真っ赤になった顔を両手で覆った。
「フェリシア……」
「ダメです。アルベルト様もう何もお話しにならないで。私、上手く捻くれられないから、これ以上お話ししたら……」
アルベルトは、耳まで赤くなって恥ずかしがっているフェリシアの姿に、あと一月の言葉を鍵にして抑えて来たものが限界を超えて溢れるのを感じた。
彼女の口から飛び出した言葉の数々は、鍵も箍も易々と外す威力を持ってアルベルトの心に到達した。
更にそれがスイッチでも押したものか、頭の中でニコルのあの中身の無いアドバイスを再生し出す。
アルベルトはまだ抱き留めた細い肩の感触が残る手を、フェリシアにゆっくり伸ばした。
一歩近付いて、まだ触れはしないが、髪を解いた時と同じく抱き込む様に彼女の背中に腕を回す。自身が大き過ぎる為、低身長なわけでもないフェリシアがすっぽり腕の中に入ってしまった。
彼女を愛しく想う気持ちと緊張で、心音が異常なくらい大きくて速い。
レイフォード公との約束は憶えている。もちろん八つ裂くという言葉も。
だがどんな言葉もフェリシアが告げる「会いたい」の前にはその効力を失ってしまうのだと知った。
アルベルトがフェリシアの華奢な肩を抱いて自身に引き寄せぎゅっと抱きしめる。
そう思われた時、カタンと音がして温室のドアが開けられた。
「フェリシア」
声に驚いてアルベルトはバッと手を降参と言ったようにあげた。
心臓がさっきよりも速く鳴り、高揚感は瞬時に消えて嫌な汗が出る。バレた、と息を詰めた。
「……ロドニー?」
両手で隠していた顔をあげてフェリシアが入り口を見て言った。
「やっぱりここに居た。ごめんね、ちょっと用事があって出てたんだ。探してたって聞いて……ああ、アルベルト卿も」
入って来たのはロドニーで、公爵ではなかった為アルベルトは詰めていた息をホッと吐いた。同時にチッとも微かに思う。
「何してたんです? 収穫? なんだか2人とも顔色が……この中暑くなりますからね」
暗に赤いと言われて、ハッとフェリシアとアルベルトはお互いを見合ってすぐに逸らした。
「ロ、ロドニー、私はこれで帰るから、フェリシアを見てやってくれ。顔色がアレだと言うならもしかしたら体調もアレかもしれないから」
「もうお帰りですか?」
「あ、あ。用は特に……と、とにかくフェリシアを頼む」
しどろもどろにそう言って、じゃあと温室を出て行こうとするアルベルトの背にロドニーは呟いた。
「もちろんですよ。僕はずっとフェリシアの側にいるんですから」
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