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100/118

百話 似ている

100!


『狂犬ば聞いとったが、こりゃ警戒した猫やんね』


 かつて側付きとして仕え、今は去ってしまった女性は、初対面のサフィールを猫と称したそうだ。


「ここに連れてこられた当初、俺はサファル語しか理解できなかった。そこで通訳兼言語教育係として雇われたのがアイシャだった」


 彼女は十七、八歳の商人の娘で、流浪の民の言葉が堪能であったことから帝国に雇われる形でサフィールの屋敷へやって来たという。


「あらゆる訛りが混ざった可笑しなサファル語を使う奴だった。声もデカければ身振り手振りも大きくて、とにかく存在がうるさい女でもあった」


「……その方に似てるのですか? 私の、声が」


 屋敷に戻って来たフェリシアは、温室内の菜園でアイシャについて語るサフィールへ尋ねた。


 予定していたよりも予行が長引いていたようで、戻って来た時には昼を大分過ぎていた。

 昼食を取るには微妙な時間だったため早めのお茶を兼ねた軽食に切り替え、用意させている間、温室へ向かったサフィールにフェリシアも連れられて来たのだった。


「普段喋っている分には然程感じないが、喚いたり咄嗟に声を出したりした時は似ている。特に慌てた声なんかはそっくりだ」


 サフィールは思い出を辿るような遠い目をして鉢植えの葉の様子を確認している。


「だから時折りお前と話していると錯覚する。あいつと話している気がして。そのうえ、まさか泣き声まで似ているとは……」


 はぁ、と参ったようにサフィールは息を吐いた。

 涙は治まったが未だ鼻を啜るフェリシアは、遠くを見つめるサフィールに赤みを帯びた目を向ける。


「……よくお泣きになる方だったのでしょうか? 泣き声まで憶えていらっしゃるなんて」


「そんな奴じゃない。底抜けに明るくて、何でも笑い飛ばすうるさい奴だった。泣くのを見たのはただ一度で……そしてそれが最後だったから鮮明に憶えているだけだ」


 この屋敷に来た当初からの侍従であれば、サフィールが信頼を置いていたのも納得だ。

 こんなにも菜園を充実させた一人なのだから、アイシャにしてもサフィールへ少なからず愛着を感じていて、別れ難く涙を見せたものとフェリシアは思った。


「最後……その方はいつ頃までこちらにいらしたのでしょう?」


「……ここにいたのは二、三年。俺が十かそこらの歳までだ」


 たった一度の泣き声までも憶えているほどだから、つい最近まで仕えていたのかと思ったが予想よりも早い別れに驚く。

 特に辛い境遇に置かれたサフィールにとってはきっと、唯一に近いほど信頼できた人だったのではと思うから尚更だ。


「そんな子どもの時分に……引き止められはしなかったのですか? 引き続きここへ残っていただくことは——」


「どの口で言えよう。ここを去る原因を作った身で、行くななどと」


「……原因?」


 確か、役目を終えて去ったと聞いたはずだったが、とフェリシアは疑問に思う。しかし同時にサフィールにこれ以上訊いていいものか迷ってフェリシアは黙った。



 気持ちを吐き出して少し落ち着いたからか、こんな風にサフィールの過去を掘り起こす真似に急に気が咎めだす。

 

 理解したい、近づきたいと思うのは結局自分の寂しさを埋めたい利己的な気持ちから来る独善なのだし、その為に思い出すのが辛いのではと思う話しをさせてまで踏み込んでいいものではないだろう。


 サフィールにとってフェリシアは飾りの妻でしかない。

 彼の過去もそれに付随する感情も詮索していい立場でもないし必要もない。

 これ以上は分を超える気がする。言われたとおり弁えるべきだろう。


 ここで生きるとはそういうことなのだと、フェリシアは葉を掻き分けているサフィールの手を黙ったまま見つめた。


「……なんだ。急に黙りこくって」


 フェリシアの様子に気づいたのか、サフィールが手を止めて顔を向けた。


「……いえ、その……取り乱して立ち入ったことをお訊きしてしまったと思いまして……立場を弁えず、失礼を致しました」


 フェリシアが目を伏せて謝罪すると、サフィールはその様子を一瞥してからまた手を動かして話し始めた。


「……当時アイシャの他にもう一人いた。あいつより二つ三つ上の男で、ここに来てすぐに俺の護衛についた者だ。元は農民の出で徴用兵として参戦し、活躍が目に止まり取り立てられたことがきっかけで地位を得た家系の者で——」


「あ、あの、殿下……」


「なんだ」


「いいんです、そんな、お話しいただかなくて……その方々と何があったかなんて私には知る権利のないことですし、きっと思い出すのがお辛い——」


「俺が何を話そうが自由だと思うが、お前に止める権利があるのか」


「……え? いえ、ありませんが……」


 急に続きを語りだしたサフィールに、慮ったつもりだったフェリシアはそう言われて困ってしまった。

 案外とこちらが想定する以上に気遣いの人なのかもしれないとまで思い始める。

 そうであるなら、あんな風に泣いてしまったことで気遣わせてしまったのだと益々気が咎める。


 しかしサフィールはフェリシアの困惑に構う様子もなく続けた。


「俺は話したいから話している。しかし当然お前にも聞かない権利がある。聞きたくなければ向こうへ行け。俺は勝手に話す」


「あ、いえ、聞きたくないなんて、そんな……」


 聞いて良いものか戸惑うフェリシアの前で、サフィールは傷んでしまった実や葉を取り除きながら、だが、とぽつりと呟いた。


「そうでないならここにいろ。あいつのことを話したくなった……似ている、お前に」

いつの間にか100話超え……こんなに長々とお付き合いいただきありがとうございます。

第4コーナーを大きく外回りしてコースアウト気味ですが、なんとかゴールできるようあともう少し頑張ります!

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