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十話 私、粗暴なのでしてよ・本番

「花の名前は中々覚えられない。あれは毎年咲いているが何と言うんだったか」


 スッと伸びた茎の先端部分に、桃色の薄い花弁を持つ可憐な花を幾つも咲かせている植物を指差し、アルベルトがフェリシアに聞いた。

 ここを好機と見たフェリシアは意を決して特訓した粗暴を繰り出した。


「知らねぇですわ」


 花を指差したままピタッと止まったアルベルトにイケると踏んだフェリシアは更に続ける。


「花なんて興味ねぇですもの。私そんな淑やかな女じゃねぇことでしてよ」


 どうだ、とやり切った気持ちでフェリシアはアルベルトの反応を待った。淑女にあるまじき粗暴な言葉遣いに驚き、そして軽蔑しろと祈って。

 けれどアルベルトは鳶色の瞳で驚いた様にじっとフェリシアを見てから、やっぱりいつもの様に笑った。


「そうか。確かに君は花よりも実をつける物の方が好きだったね」


 庭師に聞いておこう、とアルベルトはフェリシアの言動を気にする様子もなく散歩を続けようとする。

 そんなアルベルトにフェリシアの方が驚いてしまい、言葉をなくして誘われるがまま暫く従ってしまったが、これではいけないと気を取り直して秘策に打って出る。


「て、てやんでぇっ! 花なんて見ててもつっまんねぇですわ。私、もっとワックワクすることがしてぇんですのよ」


 またアルベルトがピタッと止まって今度は口許を隠すように押さえた。


「……そうか。例えば何だろう? またラズの実でも潰しに行こうか?」

「エプロンがないとそれは……出来ねぇんです洒落臭ぇ。それよりもっと楽しい、毎日やってる事がしてぇんですの。ついていらして」


 フェリシアはそう言って、微かに肩を震わせているアルベルトを連れて庭の一角の木立に向かうと、比較的背の低い木の前まで来て幹に足を掛けて登ろうとした。


「フェリシア!」

 それまで口許を手で隠したまま黙っていたアルベルトは、流石に驚いたのかフェリシアの腕を押さえて止めた。


「でぇじょうぶです! こんなのいつもやってる事ですもの、私粗暴な女なんですから。ロドニーとメアリーが止めるから結局練習出来てませんが、ちっけぇ頃は出来ましたもの木登りなんて朝飯前だってんだぃ!」


 木に登る、これぞフェリシアが真剣に考えて導き出した粗暴の秘策だった。


「確かにむかし君を枝に座らせてあげたこともあったが、子供の頃とは違うんだ。危ないからせめてスカートと靴を履き替えてからにした方がいい」


「平気です! 離しやがれで……痛っ」


 その時、止めるアルベルトを振り払おうと、暴れたフェリシアのふわふわの長い髪が低い位置に張り出していた木の枝に絡まった。しっかり絡まってしまった様で引っ張っても中々取れず、解こうにも自分では確認しづらい。


「ほら、忠告を聞かないからだ」

 踠いていたフェリシアにアルベルトが呆れ声で言って、枝に手を伸ばした。


 それが丁度フェリシアを正面から腕の中に抱き込む様な形になった為、間近に迫ることとなったアルベルトの胸板に、自身の鼓動が大きく鳴った事に気付いたフェリシアは慌てて身体を離そうとした。

 するとアルベルトがぎゅっと抱きしめるようにフェリシアを引き寄せた。


「フェリシア動かないで欲しい。解けなくなる」

「あ……ご、ごめんなさい」


 背の高いアルベルトの身体にすっぽり収まる形になったフェリシアは、密着と呼べる距離にかあっと顔が赤くなって鼓動が早まるのを感じた。


 今まで、婚約者といっても小説の中に出て来る恋人の様な事は一度もした事がない。

 手を繋ぐ事ですら幼い頃を除けば先日で数回目だ。それも繋ぐと言うよりは手を引かれると言った方が正しい。

 アルベルトと触れ合うのはせいぜいが子供にする様に頭を撫でられる時くらいで、キスする事も抱きしめられた事も今までに一度も無かった。

 だから少し動けば触れてしまうこの距離の近さにドキドキした。


 ただ、純粋にその気持ちを味わえはしない。


《婚約者って言っても、恋愛してる恋人同士なわけじゃない》


 またあの占い師の言葉が頭の中に響き出す。その通りだ、とあの占い以降アルベルトとの過去を思い起こすと全てがそう思える。

 結婚も正式な婚約もまだなのだからと何となく納得していたからか、あるいは幼い頃からの関係性からか疑問に思って来なかったが、指を絡めて手を繋ぐ事もぎゅっと抱きしめ合う事も無かったのは、結婚しなければならない相手ではあるけれど心を向ける恋人では無かったからだ。


 そう気付いて、フェリシアは下を向く。

 瞳が潤んできたのを気付かれたく無かった。


 恋物語に出て来る憧れた恋人関係は全て、一月半後にアルベルトとの間に訪れるのだと夢見ていた。

 その日に想い馳せ恋焦がれていたフェリシアは、間違いなくアルベルトに恋をしていた。結婚しなければならない相手ではなく、結婚を待ち望むほど大好きな人として。


 涙が一粒落ちた。


 いくら自分が好きでいても想いが交差しない事を知った今、以前と同じ様に結婚は望めない。おまけに破滅が待っているのだから尚更だ。やはり婚約はなんとしても解消しなくてはと思った時、アルベルトが独り言の様に話し始めた。


「最近……」

 顔を俯けた為に額の上の方がアルベルトの胸に僅かに触れて、低いその声がより低く振動を伴ってフェリシアの身体の中に響く気がした。


「昔の事を思い出す。君と初めて話したあの日から今日までの十四年。一日一日はそんな事はなかったが思い返すと長い」

「……そうですね。とっても長い」


 その長い間ずっと好きでいた。この一月半もその後もずっと好きでいたかった。でもそれは辛い上に叶わない。


「本当に長かった。だがやっと婚約まで一月半だ。十四年に比べたらあっという間の筈なのに、不思議な事に今はそれが恐ろしく長く感じる」


 フェリシアには短く感じられる。残りの一月半の間に、以前よりはっきりしてしまった自分の想いに終止符を打ち、アルベルトと永遠に交わらない道へ踏み出さなければいけないのだから。十四年の思いを整理するには短かすぎる時間だ。


「……取れましたか」


 僅かに触れている部分に少しだけ重心を移してフェリシアは聞いた。

 髪が解けたら婚約解消を目指して邁進する。その前に、最後にほんの少しだけ憧れに触れておきたくて。


「……いや、まだ。思っていたより酷く絡んでいる。だからもう少し」


 そう言ってアルベルトは、自身の腕の中に抱く様に収めたフェリシアに一度視線を落とした。俯いているので表情は分からないが、胸のあたりに僅かに触れている感覚がある。

 その感触に湧き起こる衝動を抑えて、あと一月半、アルベルトはそう思って視線を自身の手に戻し、とっくに解けているプラチナブロンドのふわふわした髪の先を指に絡めて遊んだ。


「もう少し、このままで」

お読みいただきありがとうございます。

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