地下室の怪
クラムは深い森を分け入って目当ての洞窟を探す。あらかじめ場所に検討をつけていたので、それほど苦労せず見つけることができた。
昼でも暗い森の中、ぽっかりと地面に穴が空いている。クラムは腰元の剣を押さえ、飛び込んだ。数秒の落下。受け身を取り、足場を確認する。
硬い、石のような足場。わずかに差し込む陽光でそれが建物の屋根なのだとわかる。辺りを歩き回って中に入れそうな場所を探すが見つからない。クラムは足を高く上げ、強く踏み下ろした。
轟音。屋根の表面にヒビが入る。もう一度屋根を踏みつけると、今度は穴が空いた。中に顔を入れると、完全な闇。しかし以前、化け物になっていた時の後遺症で暗闇でも物は見える。
クラムはためらいなく建物の中に入った。重厚な絨毯に足音が吸収される。前後には廊下がまっすぐに続いており、一定の間隔で扉がある。近くにあった扉を蹴り開けた。中は空の本棚があるだけだ。床は厚い埃に覆われ、カビ臭さが充満している。
「くっせぇ」
クラムはうざったそうに顔を顰める。主人の命令でなければ絶対に来ないような場所だ。
「さて、リリアナ様お望みの魔導書ちゃんはどこにあるのかね」
部屋を出て、別の部屋に入る。そこも外れだ。ひとつひとつ部屋を潰していき、廊下の端まで来たので下へ降りる階段に足をかける。
階段には絨毯は敷いておらず、木製の床に足音が響いた。反響する音に反応するかのように獣の唸り声が聞こえてくる。下の階に降りると、そこには同じような廊下が伸びている。ただ、廊下の半ばは唸る獣によって塞がれていた。
外見は犬に近い。タールのように黒い皮膚。口は赤く裂け、生物としての欠陥をおっていた。ある個体は内臓が飛び出し、別のものは前足がなく、二匹の下半身がくっついているものもある。明らかに普通の生き物ではない。
「出たな魔物ども」
クラムはよどみない動作で剣を抜く。敵の数、およそ30。
クラムが駆け出すと、向こうも飛びかかってきた。最前列の三匹を一太刀で切る。さらに進んで別の魔物の牙をおり、足を切り、胴を蹴り付け、群れの中を駆け抜ける。1番後ろの個体を抜いたところで振り返り、後ろから串刺しにした。投げ捨てた個体を隣の魔物にぶつける。
異形の化物どもはみるみる数を減らしていく。死んだ魔物はぴくぴくと痙攣し、溶けるように床へ黒い痕を残して消えていく。最後の魔物が消え、クラムは剣を納めた。
「つまんねぇ仕事。早く帰ってリリアナ様の足を愛でたい。……また蹴られるかな。むしろ蹴られたい」
ひとりぶつくさ言いながらも部屋を確認し、ここもすべて外れだったのでさらに下の階へ降りる。
下の階は様相が違った。廊下に扉が続くのは同じだが、ひとつひとつの部屋が大きい。右側の部屋に入ると、広々とした部屋に大きなテーブルが置いてあった。壁には額縁に入った絵が飾られ、隣のキッチンとつながっている。
「ま、こんなとこにはないよな。隠しものするなら自分以外の人間が入らないとこ。俺もリリアナ様の肖像画とか自室に置いてるし。……最近リリアナ様コレクション多すぎて場所ないんだよなぁ。そろそろもうひと部屋もらえないかな。屋敷に部屋あまり余ってるんだし。帰ったら頼んでみよう」
そのためにも早く物を見つけて帰ろうと、調査の足を早める。食堂を出て向かいの部屋に入った。寝室らしい。入念に探したが、何も見つからない。
隣の部屋は書斎だ。奥に机があり、壁際には本棚が並んでいる。
「ここは怪しいですねー」
ふむふむと、ひとりうなづきながら壁を観察。東側の本棚は壁の幅いっぱいに広がっているが、西側は少し隙間が空いていた。その隙間をなくすように本棚を動かすと、後ろに隠し扉があった。
「さっすが、俺ってば冴えてるー」
四つん這いになってようやくくぐれる大きさだ。壁の向こうには地下へ続く階段が伸びており、登ってくる冷気が薄気味悪く首筋をなでる。
「おー、さみーさみぃ。早く帰りてー。」
文句を言いながら階段を降りる。下には部屋が二つだけあった。ひとつは実験室で、得体の知れない液体の入ったガラス瓶や、何に使うかわならない機械が並んでいる。床に散らばっている紙束を拾い上げると、見たこともない言語で読むことはできなかった。紙束を捨てて隣の部屋に向かう。
薄い木の扉を開けると、それはあった。床には二つの円が描かれ、その中には複雑な幾何学模様と、これまた謎の言語で文字が記されている。小さな円の真ん中には焦げたような跡があり、大きな円には書見台と、黒い服を着た白骨死体があった。
死体を蹴飛ばし、書見台の前に立つ。台には分厚い本が乗っていた。ひび割れた革表紙。開きっぱなしのページにはミミズのような文字が蠢き、見たこともないグロテスクな生き物の挿絵が載っていた。
間違いない。目当ての魔導書だ。手に取ろうとした所で、部屋の隅に気配を感じた。
咄嗟に目を向けると、いた。
触手を持った黒い球体。角の暗がりに隠れている。クラムの目に光の量など関係ない。それでも見えないのはそれが現世とは隔絶した存在だからだろう。
触手が伸びる。クラムが剣を抜くと、刀身に巻きついた。ものすごい力で引っ張られる。
「おっとぉ。力比べか」
足を大きく開いて抵抗。それでもじりじりと引っ張られていく。円の縁までひっぱられるが、クラムは余裕の表情を崩さない。さらに力が強まった瞬間、クラムは手を離した。
クラムがいきなり手を離したことで剣は勢いよく飛んでいき、球体に突き刺さった。甲高い悲鳴が轟く。
クラムは魔導書を掴んで部屋を飛び出した。階段を登って書斎に出て、さらに三階まで駆け上る。入ってきた時と同じ穴から屋根の上に出た。洞窟の壁をよじ登り、外の世界に出る。
「魔導書ゲットー」
意気揚々のクラムだが、何か違和感があった。あの地下室に引っ張られるような、呼ばれているような感覚。振り向きたくなる衝動を押さえ、クラムは帰路についた。
× × ×
リリアナ・ガーデンガルドは代々住んでいる屋敷の一室で従者の帰りを待っていた。
貴族の娘に生まれながら学問に傾倒し、とくに神話、隠秘学、古代の言語、考古学、ある特定の化学については専門家をも凌ぐ知識を持っている。
両親が死んでからは研究を邪魔される事もなく、日がな一日実験室に篭るか古書を漁っていた。
クラムは以前、家で護衛として雇っていた剣士で、今は個人的な従者として使っている。
古代ソムド語の文献を解読していると、ドアが開く音が響いた。どたどたと慌ただしい足音に続いて研究室のドアが開かれる。
「リリアナ様、あなたの忠実な剣士クラムただ今帰りました!! 寂しかったですか? 寂しかったですよね!? さあ、抱きしめてあげましょう!!」
「うるさい」
クラムは腕が立つ上に文字の読み書きもでき、極めて優秀なのだが、頭のネジが二、三本ぶっ飛んでいるのが欠点だった。他にめぼしい人材もいないので使っているが、ときおり辟易とする。
「ザーバランド古書は?」
読んでいた資料を放り出し、冷たく言い放つ。クラムは外套の下から分厚い本を取り出した。リリアナは受け取ると中を開き、本物であることを確認。
「よくやったわ。ありがとう」
「いやー、リリアナ様のご命令ならこのくらいなんてことないですよ。じゃあご褒美のハグを」
「死になさいよ」
リリアナは豊かな銀髪を払いながらクラムを観察する。
「ところで、あなた何か怪異にでも遭った?」
「え? あー、犬っころみたいなのとキモい球体いましたね。どっちも敵じゃなかったですけど」
「じゃあ球体の方かしら。憑かれてるわよ、あなた」
「疲れてる? いや、元気ですけど」
「そうじゃなくて。それと繋がってる。夢で呼ばれたりしなかった?」
「そういや仮眠とったとき夢に出ましたね。リリアナ様以外で俺の夢に出るとか許せないっすよ。今すぐ戻って切り刻んで来ましょうかね」
剣の柄に手をかけ、本当に部屋を出て行こうとするクラム。リリアナは後ろから蹴ってそれを止めた。
「勝手に動こうとしないで。次の仕事があるんだから」
「えー? でも俺このままじゃ不眠症っすよ。剣も取られたままだし。おかげで新しい剣買うハメになって小遣いなくなりました」
「あなたの経済状況なんて知らないわよ。ちょっとここ座りなさい」
クラムが膝をつくと、ようやくリリアナと目線の高さがあう。リリアナはクラムの頭を掴み、小さく呪文をつぶやいてから口付けをした。クラムから怪異との繋がりを吸い取る。
異形の化け物との繋がりは常人にとっては呪いでしかないが、魔術を行う者にとっては有用なものだ。下位の魔物に対する威圧や、召喚の際のよすがとなる。
口を離し、リリアナは手に入ったばかりの魔導書を開いた。クラムの言うキモい球体に関する聖典で、召喚法も乗っていた。
クラムはしばらく呆け、我に帰ると飛び上がる。
「り、リリアナ様!? え、あれですか!? そういうことですか!? でもまだリリアナ様14歳ですよね、もうちょっと待ってください。式はどこで挙げますか!?」
「は?」
奇天烈な事を叫ぶ従者に視線を向ける。
「なにが?」
「いや、突然唇奪われるとかびっくりしましたけど、やっぱ俺愛されてたんですね。そんな気してました」
「たわけた事を言わないで。食事をとって身体を休めなさい。次はグリュプスの卵を取ってきてもらうんだから」
「リリアナ様は冷たいなー。けどそういうとこも好きですよ」
「……気持ち悪い」
リリアナはそろそろ別の従者を探そうかと本気で思案しはじめた。