『旅立ち』
「?ゲルがない?」
ようやく雪が止んだ翌朝、朝食の用意をするために起きてきた主人が中庭の井戸に向かうために裏口のドアを開けて、異変に気づいた。
もう中庭には彼女のゲルがあるだけで、雪と寒さから守るために張られていた結界もすでに解かれているはずだった。
「おい、おまえ!」
ゲルがない。
主人に続いて降りてきた女将もびっくりしているばかりで何も聞いていないようだ。
ジョーンズは昨日から帰ってきていない。
彼の同僚である門の番兵たちも、特に具合の悪かったひとりを残して全員が今は門で警備にあたっている。
「あなた、これ!」
女将がカウンターに置かれた書き置きを見つけたのだ。
そこには『さようなら』の文字と宿泊費として金貨一枚が添えられていた。
「……行ってしまったのか」
「そうね」
彼女は充分すぎるほど手助けしてくれた。
提供された食材のことを考えると宿泊費などとてももらえないほどだ。
それに数々の魔導具はそのままに、誰に見送られることなく出立していった。
夫婦を始めこの時この宿屋にいたものは、長い間“恩人”のことを語り継ぐことになる。
まだ暗いうちに【飛行】で上空に上がったオフェーリアは、目指す北に向かって進んでいた。
久しぶりに見る月、そして星空にうっとりとする。
「早くどこか落ち着ける場所を見つけてゲルを出したいわね。
そして周りをじっくりと調査して本格的に北に向かいたい。
でもその前に。
【転移】してきたダンジョン村は深夜だった。
そっとゲルの中に入るとマティアスの誰何する声が聞こえてきた。
そしてベッドから起き上がる気配がしてこちらに向かってくる。
「起こしてごめん、私よ」
「ああ、途中で気がついた。
それにしてもどうした?こんな時間に帰ってくるなんて珍しい」
「んん、夜明け前に出てきたからね。
必然的にこんな時間になっちゃったわけ」
「そうか。
とうとう見切りをつけたか……」
「何か人聞きが悪い言い方ね。
まあ、違いないんだけど」
魔導具は置いてきたが追加の食糧は一切無しで出てきたのだ。