『つるつる玉子肌』
「あの……」
ラーベンタール子爵夫人パメラがおずおずと手の甲を差し出した。
オフェーリアはその手を食い入るように見つめ、ひとしきり撫で回して頷いた。
「問題ありませんね。
では今日はこちらをサンプルとしてお持ち帰り下さい」
小指ほどもない小さな瓶がパメラに渡された。
その半分ほどに、僅かに白み掛かった液体が入っている。
「これは魔法族の美容液です。
ご覧のように、一回の使用でも劇的な効果があります。
これから侯爵夫人と伯爵夫人にもパッチテストを……」
貴婦人らしくなく、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった侯爵夫人が、ガシッとオフェーリアの手を握りしめた。
「美容液、美容液と仰ったの?」
「はい、侯爵夫人。
実は先日、商業ギルドのジルさんでテストしたんです。
何ぶん初めて人族に使う美容液です。
皆様に何かあったら取り返しがつきませんから」
オフェーリアは侯爵夫人と伯爵夫人が自主的に差し出した腕に、先ほどのパメラと同じく美容液を垂らしていった。
もし肌に合わないのなら、これで反応があるはずだ。
「少しお時間をいただきます。
その間は……」
オフェーリアはあくまでも聞いた話だと前置きして、先日の自身の婚約破棄騒動を他者目線で、面白おかしく話して聞かせた。
意外だったのは、侯爵夫人がその件を知っていた事だ。
「サクラメント家は大変厳しい沙汰を受けたと聞いています。
爵位降格、領地変えもあって、ずいぶん噂になっていましたのよ。
ねえ、皆様」
伯爵夫人と子爵夫人が揃って相槌を打つ。
オフェーリアはあれから初めて聞いた、元婚家の行く末に胸を痛めた。
現当主であった義父と義母に何の思うところもない。
オフェーリアにとても良くしてくれた方々が、せめて命が助かっただけでも良しとせねばならないのだろう。
「魔法族の方々を粗略に扱ってはいけないわ。
今回の事で女王様は大層ご立腹だそうよ。
恐らくもう、我が国に降嫁はないわね。
本当に口惜しいわ、当家に年頃の男子がいたなら、と何度歯痒い思いをしたことか」
オフェーリアの歳に合う男子が極端に少なかったのが今回の不幸に繋がった。人は貴重な機会を、1人の愚か者のせいで永遠に失ったのだ。
「そろそろよろしいですね。
……おふたりとも問題ないですね」
2人の手は紅斑、痒みともになく、先ほどの子爵夫人と同じ小瓶が渡された。
「就寝前、よ〜くお化粧を落としてからお顔に塗って下さい。
その時の量は……このくらい手にとって、肌に押さえつけるようにこうして……」
やって見せるオフェーリアをジッと見つめて、侯爵夫人などはその仕草を真似ていた。
「貴重な美容液ですから侍女に任せず、ご自分でお手入れなさって下さい」
「もちろんだわ!
化粧係に一滴でも触らせるものですか」
美容に関しての女性の執念は恐ろしい。
翌朝、オフェーリアがまだ寝ぼけ眼でベッドにてゴロゴロしていると、扉を叩いて「フェリア様」と叫ぶ男の声がする。
「こんな朝早くに、誰?」
扉のところだけ結界をといて開けて見ると、そこには昨日見た御者が必死の形相で佇んでいた。
「ああ、良かった。いてくれたのね」
馬車の扉が開くのももどかしく、誰の手も借りずに降りてきたのは深くフードをかぶった侯爵夫人だ。
彼女は駆け抜けるように店舗に入っていって、オフェーリアに向かって振り向きざまにフードを下ろした。
「見てちょうだい!
こんな、こんな、あり得ないわ!」
たった一晩で、荒れて吹き出物だらけだった顔が、嘘のようにつるつる玉子肌になっている。
オフェーリアは心からの笑みを浮かべて祝福の言葉を口にした。
「あのサンプルはあと一、二回使用出来ると思います。
今夜と明朝、同じようにお手入れなさって下さい。
明日には商品を用意しておきますので、どなたか寄越して下されば、その方にお渡しします」
後から入ってきていた執事が共に頷いた。
余談だが、この美容液を最初に手に入れた3人のその劇的に変わった容貌に、それぞれの夫が惚れ直して溺愛するということが起き、何と30半ばの侯爵夫人が懐妊するというおまけまでついたのだ。