いじめのキッカケと教師
今から三十年以上前、小学二年生だった私のクラスで事件がおきた。
盗難騒ぎだ。A子の給食費が何者かに盗まれたというのだ。
この時代、給食費を封筒にいれ、担任に手渡しするのが当たり前だった。当然A子もランドセルに入れて持ってくる。その封筒がなくなっていると大騒ぎだった。
よくある事件だ。やがて犯人探しが始まる。
そうして、疑われたのが私の友人のN君だった。
彼はあまり素行が良い方ではない。いわゆるイタズラ小僧であったため、当然といえば当然だろう。
しかし、問題は疑われたことではない。犯人ではないかと彼を吊るし上げた人物が担任だったのだ。
「君が盗ったんだろう? 素直に返しなさい」と言い放つ担任。
皆の視線がN君に集まる。もちろん私も見た。
そのときの、彼の顔は一生忘れないだろう。
いがぐり頭のN君。ものおじせず、いつも大声で話す彼は、驚きの表情を浮かべていた。
私は当然、彼が反論すると思っていた。
だが、しなかった。ただ、唇を噛んでうつむいているだけだった。
私は確信した。彼が犯人ではないと。
それに知っていた。イタズラはしても、決して人の物を盗んだりしないことも。
私は「ふざけんな!」と怒鳴った。
いまでこそ死体蹴りが得意技だが、まだまだ正義感に溢れていた少年の私、ものすごい剣幕で「コイツは絶対盗ってない。何で疑うんだ!」と抗議したのだ。
静まり返る教室。担任すら一言も発さない。
N君は泣いていた。その日、机に突っ伏したまま顔をあげることはなかった。
やがて、お通夜状態のまま放課後を迎える。担任も己の軽率さを恥じていたのだろうか口数は少なかった。
私はN君と一緒に下校した。泣いている彼の頭をヨシヨシしながら歩いた。イガグリ頭はシャリシャリと音をたてた。
これで終わり。以後、この話題がクラスでのぼることはなかった。
だが、後日談がある。母親が話してくれたのだが、なんと給食費はA子のランドセルの中に残っていたのだ。
教科書の間に挟まれていたのか、ポケットに入っていたのか、それは分からない。ただ、A子の母親が見つけたのだと。
そして、この話は限られた大人たちだけの秘密にされた。当事者にさえ語られなかった。大人の配慮ってやつだ。
実際私が聞いたのはずいぶん日が経ってから、三年に進学してからだった。
なんと後味の悪い事件だろうか。
確かにA子に対する配慮としては妥当だろう。真相を話せば彼女が責められるのは免れない。
それは避けなければいけない。なにせA子は無くなったと騒いだだけで、N君を犯人扱いしたワケではないからだ。
だが、N君はどうなる?
彼の汚名は返上されないままではないのか?
幸い、時がたつにつれ彼は元気を取り戻した。以前のように、こっそり女子の縦笛を舐めるまでに回復した。
でも、そんなものは運が良かっただけだ。
たまたま正義マンの私がいた。たまたま仲が良かった。たまたまA子が母親に話し、ランドセルから見つかり、それを隠さなかった。
一歩間違えれば彼は盗人のままだったし、これをキッカケにして、イジメられていた可能性だってある。
些細なことでイジメは始まる。教師のお墨付きがあればなおのこと。
(今では考えられないが、あの時代あからさまに生徒をえこひいきする教師がいた。家柄、新参者などで)
その後、彼がどうなったかは分からない。三年の夏、私は転校してしまったから。
願わくば、良き出会いに恵まれてますことを。