完結編
明人と話すことで、当時の記憶が美歩をおそう。一方、明人も過去に苦しめられていた。
明人は今、自分がどこにいて、誰といるのか。そのことを理解するのに手間取っていた。
ただ、はっきりしていることは悲しみと悔しさに打ちのめされた自分の無力さだった。
シンプルというと聞えはいいが、美歩の部屋は無機質で飾り気のない部屋だった。
明人は美歩のオーバーサイズの服を違和感なく着こなしている。
目の前に用意してもらったコーヒーカップは、青と白が基調で、青い水玉が全体に施されている。
ふと、美歩の顔に明人は視線をやった。
すこし切れ長の目、細い鼻筋、少し上に上がった眉、そして薄い唇。
美人の類に入るであろう美歩の顔からすっと涙がこぼれるのを明人は見逃さなかった。
「・・・どう・・されましたか?」明人は少し戸惑い気味に聞く。
「え?ああ、すみません。」と美歩は答え、頬の涙を指でふき取った。
「なんかすみません。じゃあ、そろそろ・・・。」
と明人が口を開いた時、美歩はあわてて両手をテーブルにおき立ち上がり
「あ、紅茶もあるので、良かったら飲みませんか?」
と言い、そそくさと廊下へと向かっていった。
すぐに美歩は新しいマグカップに紅茶を用意し、明人の前に差し出す。
明人はじゃあ、と言いその紅茶を口にした。
「あ、なんか美味しいです。」
「良かった、これ、そんな高価じゃないけどインドの茶葉を使われてて。」
そう言うと自分用に用意した紅茶を、美歩は口にした。
二人はしばらく紅茶の余韻に浸った。
明人は体が、特に胸のあたりが温まってるのを感じていた。
さっきまで物足りないと感じた美歩の部屋に、明人はほんのりとした淡いオレンジを見ていた。
穏やかで、そして優しい色だった。
明人の凍りついてしまいそうだった記憶を、わずかに溶かす。
そのほんのわずかな変化を、明人はとても大切に、ほんの小さな命を扱うように
そっと、そーっと手にとる。
それはとても愛おしく、ささいな出来事で消し飛ぶように脆いものだと明人は感じた。
ありがとう。そう、喉にひっかかった言葉を、流し込むようにまた紅茶を口にした。
「あ、雨やんだみたいですね。」
美歩が口にする。
「ほんとですね。」
明人が答える。
空には星はない。見えるのは真っ暗でどこいくあてのない小さな光が窓に映っていた。
最後までお付き合いくださりありがとうございます。