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(二) なるほど大臣の交際術(一)

 「貧乏徳利」西郷従道率いる国民協会は、結成後、しばらくして東京を発し、支持獲得のための遊説に出た。一行は東京からまず札幌へ入り、そして青森から秋田へと日本海側を下って山形入りし、旧庄内藩の城下町、鶴岡(現在の鶴岡市)まで南下した。そこから内陸へ入り、最上川沿いに山形盆地へと入った。そして、九月には、盆地の南北のちょうど中間地点に位置する東村山郡天童町(現在の山形県天童市)に到着していた。

 中山又吉は、鶴岡からこの一行に加わった。地元の農家出身の新聞記者見習いで、年は二十五歳。ちょうど戊辰の戦のさなかに生まれた。中山は兄二人、姉一人、妹一人の大家族であり、家での居場所を探しあぐねているところへ、知人のつてで地元の小さな新聞社に就職したのである。今はまだ、記者見習いというよりも雑用係のような事をしているが、一行に加わったのも、どちらかというとそちらの方であった。

 各方面の手配に忙殺されていた中山は、ここ天童の宴会で、初めて落ち着いて国民協会会頭、西郷従道を見た。

 そして、どういう男なのだろう、と首を傾げた。

 先ほどの演説会では弁士に叱責されたと聞く会頭は、ちょっと余人の追従を許さない酒豪だった。

 従道は酒盃を拒まない。五十人いようが百人いようが、求められれば誰彼問わずに酒盃を受け、きれいに干して平然としている。五十歳の伯爵などに負けてたまるか、と、時々血の気の多い若い衆が真似をしたりするが、早晩潰れて宴会場に屍をさらす。

 「なるほど大臣」の異名を持つ従道は、呑むときにはあまり物を食べない。名にし負う元内務大臣伯爵にお酌をしようと集まってくる人たちの酒をぐいぐいと飲み干し、話に耳を傾け、ひたすら「なるほど、なるほど」と相槌を打っている。議論を吹っかけようとしても、「ははあ、そうですのう」と呑気に笑うばかりで一向に話に乗らず、冗談を言って煙に巻いてしまう。秋田県の五城目(ごじょうめ)で行われた懇親会でも、「そげんこつ言われっと、こん達磨ば手も足も出ませんのう」とむうと口を結び、巨大な背を丸めてゆらゆらと揺れてみせ、その姿が余りにも滑稽だったので、一同爆笑のうちにうやむやになってしまったという。

 国民協会というのは、一応は政治結社ではないのか。演説会では無駄話をして弁士に叱られ、自ら演説の一つもなさず、経綸(国家政策)も語らず、ひたすら酒を飲んで都都逸を唸りカッポレを踊っているこの男を会頭にするとは、議員先生たちは一体何を考えているのだろう。




 中山が厠に立ったのは、夜九時頃だった。

 廊下を渡っていると、鈴虫の声が聴こえてきた。九月ともなれば、北のこの地にはそろそろ本格的に秋である。夏の延長という気分でいると、日が落ちてから寒い思いをすることになる。

中山はついでに部屋に戻り、米沢の小さな呉服屋に嫁いだ姉が、就職祝いにとわざわざ送ってくれた袷を羽織った。一行はこのまま山形盆地を南下して山形を通り、米沢へと入ることになっている。少しでも姉の顔を見られないだろうか、などと考えながら宴会場の前まで来ると、丁度厠から戻ってきたらしい従道が、角を曲がって戻ってくるところだった。

 出入りの邪魔をしないよう、手前で少し待っていると、何を思ったのか、会頭は宴会場の前を通りすぎ、大柄な身体を揺すってのしのしと近づいてきた。

緊張する中山を、黒々と大きい、吸い込まれそうな目でじっと見つめて、のんびりとした口調で話しかけてきた。

「よかもんば着ておいやすな」

「これですか」

 中山は袷を軽くつまんだ。

「米沢織といって、この辺りのもんです。米沢の呉服屋に嫁いだ姉が仕立ててくれました」

 今着てきたのに、と中山は内心思う。ぼうっとした印象のこの伯爵は案外に目敏いらしい。

「そや、よか(あね)さまじゃ」

 従道はにっこりと笑った。

「名前ば、何ちな」

「松子です」

 変わったことを尋ねるものだ、と思いながら中山が答えると、従道は目をぱちぱちさせた。

「お(まん)さあん名じゃ」

「はっ?」

 中山が思わず間抜けな声をあげると、伯爵は子供のような笑みを丸い顔に湛えた。

「そん顔で松子さあち、深川ん芸者かち思うた」

「は?」

 ポカンとするのは二度目である。

 意味が判らず呆然としていると、従道は何か言葉を続けようとした。

「西郷先生」

 障子を開き、中から恰幅のよい地元の有力者と新聞記者が出てきた。

「こんなところにおいででしたか」

「さ、さ、戻って戻って」

 口々に促され、従道はほんの少し逡巡する風だったが、ぽんと大きな手のひらを中山の肩に置いた。

「明日、皆が発ってからおいん部屋ば来てたもはんか」

「は………はい」

 答えると、従道は中山の肩をポンポンと叩き、のそりとした足取りで宴会場へ向かった。

突然の出来事に、中山はぼうっと元内務大臣伯爵、維新の元勲、今は政治結社の会頭の巨大な背を見送る。

 皆が発ってから。

 そう言ったところを見ると、あの会頭は明日の演説会に列席する気は初めからないらしい。

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