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(一) 汗かき達磨と御用協会(三)

 西郷従道は、かつて政府で海軍大臣、内務大臣という要職を務めた男で、国民協会結成の年には五十歳になる。維新の功臣、西郷隆盛の十六歳年少の実弟である。

 「民党」の一つ、立憲改進党を結成した大隈重信は言う。

「西郷従道は、何でも容れる貧乏徳利のような男である。酒でも酢でも醤油でも、従道徳利ならば何の問題もなくすっぽり収まる。無為無能だが、器量はどうにも底なしである」

 徳川幕府の遺臣、勝海舟は言う。

「西郷従道が勉強してるなんてえ噂を聞いたが、いや、いけねえいけねえ。あの男に勉強は大禁忌ってもんだ。何にもせずに世間を茶化してよ、のらくら一本で行くことこそ本領だ。ああいう男には臭みがあっちゃいけねえのさ」

 従道は隆盛を頭とする四人兄弟の三男だが、幕末の、天皇を擁する新政府側と旧幕府軍との戦い(戊辰戦争)で次兄吉次郎が戦死し、明治十年の「西南の役」で、鹿児島の旧士族に擁された隆盛と、彼に従った末弟の小兵衛を失っている。

 西南の役の際、従道は「反乱軍」鎮圧に向かった山縣有朋の後を受け、陸軍卿代理に任命された。「卿」は当時の大臣に相当する地位で、反乱軍の実弟が陸軍の長を務めたことになる。実際に戦場に出ることこそなかったが、政府の一員、軍政の長として反乱の鎮圧のために奔走した。三十五歳の時である。西南の役は西郷隆盛の切腹によって終った。

 その後間もなく、従道は藩閥人事の関係で文部卿に任命された。

 いくらなんでも畑違いだろうという声も多かったが、就任を快諾したこの陸軍中将は文部省にその巨体を運び、開口一番こう言った。

「おいは文盲卿じゃっで、仕事んこつば何も判いもさん。まあ予算の分捕りだけはしっかりやいもんで、あとはみなさんでよろしく頼みもす」

 当時の雑誌に、本棚の中に押し込められて窮屈そうにしている陸軍将校の漫画が掲載され、文部省では発禁処分にするべきだという話も起こったが、従道が、

「こや、まっこちよう描けちょっ。よかよか」

と薩摩弁丸出しで言って大笑いしたので、そのままになってしまった。

 こうして文部卿を務めた陸軍中将は、農商務卿などを経て、明治十八年、伊藤博文による初代内閣ではポンと海軍大臣となった。海軍の経験など全くない従道は、同郷の硬骨漢、樺山資紀すけのりを海軍次官に起用し、ひたすら判をついていた。二代目の黒田清隆内閣まで一貫してその座にあったが、山縣有朋が内務大臣から三代目の総理大臣に就任した後を受けて、樺山に海軍大臣を譲って内務大臣に転じた。

内務大臣は「副総理大臣」といってもいい、居並ぶ大臣の中でも格の高い地位である。第一回帝国議会の攻防を乗り切った山縣が潮時として辞表を出し、後継内閣の首班を誰にするかが議論されたとき、筆頭元勲たる伊藤博文が第一に推薦したのはこの従道であった。

 だが、従道はこう言って辞退した。

「おいは演説ば出来もさんで、首相なんちもんばどうにも務まらん」

 そんな訳で、後継の第四代目、松方正義内閣でも内務大臣に留任した。しかし、在任中に日本訪問中のロシア皇太子が襲撃される事件が発生し(大津事件)、国内の治安維持を担当する内務省の長として、次官の品川弥二郎にその地位を譲って引責辞任した。

 その後は、とりあえず、天皇が求めたときに助言を行う枢密院の顧問官に任命され、しばらくのんびりと日々を送っていたが、その任命からわずか半年後の明治二十五年六月、官僚や政府系の議員を中心に結成された政治結社「国民協会」からの会頭就任の要請を受諾し、それに伴って顧問官の辞表を提出して野に下ってしまった。

 融通無碍の従道を評して、ある文筆家はこう書いた。

「かの実証を重んじる歴史家、重野安繹やすつぐ氏がもし数百年後にこの時代を研究したなら、西郷従道のごとき不思議な人物像はきっと伝記作家の創作に違いないとして、全逸話を削除するだろう」

 実在を疑われるほどの逸話の持ち主、それが陸軍中将で初代海軍大臣、元内務大臣で国民協会会頭、西郷従道伯爵であった。

 ちなみにこの従道という名も、「りゅうこう」―――隆興と名乗ったのを、闊舌が悪く、しかも薩摩弁だったために役人が「じゅうどう」と聞き間違えて、それもいいか、とその場で適当に当て字して登録してしまった名である。

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