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短絡

作者: 赤巻紙

ある夏の暑い日の夜、一人の放射線技師が死んだ。それ自体は驚くことではないが、実際に現場を目撃したものは、彼の死の異常性に比べて世間の取り扱いの小ささに驚いたことだろう。


 彼は死の当日、同僚である医師と看護師数名と共に大学病院近くの居酒屋で飲んでいた。私は記事を書くためにそこを訪れたが、料理はまずく、店員の態度も雑で、あまり快適とは言えない場所だった。彼はその奥にある一室で突如奇妙なことを口走り、座間のヘリを二、三度周回したあとテーブルの上に座り込み、唸り声をあげて料理皿の上に倒れこんで、死んだ。


 全員、はじめは彼は酔っているのだろうと考えた。彼は実直で、どちらかというと真面目過ぎるくらいの人間だったが、半年前に脳梗塞を起こしてから、少しずつではあるが性格が変わり始めたようだった。たまに異様に張り切りすぎたり、ふさぎこんだり、優しくなったり、その挙動は様々であっても、何か、情緒不安定なところが感じられたという。ある人は死を目前にして人生観を改めたと言い、またある口の悪い人は脳梗塞で——脳梗塞では脳の血管がつまり、栄養を与えられなくなった細胞が死んでしまうから——少し頭をやられてしまったのだと噂した。ともかく、彼は以前の彼とは違い、少し躁鬱的な気があった。それが酒で増幅されたと思われたのだ。


 とはいっても、テーブルに倒れこんで料理や酒をぶちまけるのは少しやりすぎだし、これはさすがに注意しなければならないと思った医師が彼を起こそうとしたとき、彼はすでに死んでいるとわかった。場は騒然となり、救急車が呼ばれ技師は病院へと運ばれたが、彼が死んだことには変わりがなかった。

 

 警察ははじめ、アルコールによる死亡を疑ったようだった。しかしこの説はすぐに否定される。脳梗塞を起こしてからというもの、彼は酒をあまり飲まないようになったというし、同僚たちの証言から、会のはじめから一時間経ったのにもかかわらず、彼のジョッキは半杯も飲まれていなかった。技師は元来強い方だったし、これっぽっちで泥酔する人間がいるとは考えられなかった。こうした理由の結果、飲酒説は否定された。


 次に薬物説が疑われた。死亡前の行動は典型的な薬物中毒のものだと言われたし、そうすると最近の情緒不安定さも納得できる。病院関係者なら、そうした薬の入手も楽だというのだ。しかし、彼の所持品からは薬物の類は一切見つからなかった。トイレに流したのかとも考えられたが、彼が手洗いに立ったのは飲み会の始まってすぐ十分後のみであり、奇行を行うまでの間、普段通りの様子であった説明がつかない。家宅捜索も行われたが、麻薬の類はついに発見されなかった。こうして薬物説も否定されたのだが、警察はまだこの説にこだわっているようだった。何か自分たちの知らない薬の入手方法があるのだという考えのもとで。


 死因不明というわけで、病理解剖が行われることになった。執刀は脳梗塞の手術を担当したX教授と、A大学の病理学教室のY教授が担当した。そして、解剖により技師の脳の一部に出血が見られ、彼の死因はそれと公式に決まった。


 ところがここで奇妙なことが起こる。解剖を執刀したのはX,Y両教授であったが、このとき一年目の看護師が助手として立ち会った。彼女は、脳の出血は全く見られず、むしろ脳のあちこちに焼けただれたような跡が観察されてそれが死因ではないかというのだ。そして、焼け跡の周辺から、教授たちが何か精密機器のようなものを取り出したとも言った。彼女ははじめ、それが何なのか分からず、脳梗塞の手術のときに埋め込まれた何かだと思った。ところがいくら頑張っても、そんな器具を使う術式は思い出せなかったし、カルテの記載にもなかったはずだと思った。教授たちはさも当然のことのように摘出している——、看護師は自分の不勉強だとはじめは考えた。休憩になると、彼女は文献を当ってみる。しかし、そんなものはない。教授に尋ねると、私たちはそんなものは取り出してはいない、頭蓋骨の破片を見間違えたのではないかという。ここに来て初めて、彼女は何かがおかしいと感じた。確かに、自分は見たのだ。あれは骨の破片なのではなく、明らかにプラスチックと金属でできた機械だった。しかも、いくつもあった。


 看護師はがぜん好奇心を燃やした。医療事故? 過去の脳梗塞の手術の時に、何らかの器具を脳内に忘れたままにしてしまったのか? ——いや、それなら何個もあれが埋まっているとは考えられない。そんなにたくさん、器具を手術中に取り忘れることなどないはずだから。医療器具メーカーが非合法に実験をして、教授たちはそれに協力した? 最もありえそうな気がした。この解剖はX教授が強力に主張して行われたが、それは自分たちの行った実験の証拠を隠すためではないだろうか? 彼女は教授たちがいない間、その器具の隠せそうな場所を逐一調べてみた。そして、部屋の隅にあった引き出しの奥から、布にくるまれた機械を発見したのである。全部で十近くあったと思う、彼女はそう言った。時間もないので、そのうちのひとつをポケットに滑り込ませ、看護師は粛々と解剖の助手を務めた。そして解剖が終わった次の日、手伝った礼だといって二人の教授から値の張る料亭に連れていかれたとき、彼女は自分の説の正しさを確信した。そこではごく遠回しにではあるが、たしかに、彼女があの機械の存在に気付いたかどうか探っているような雰囲気があったのだ。しかし、手の内がわかれば策は効かない。彼女は難なく尋問を終え、帰路に就いた。ベテランではなく新人の自分が呼ばれたのも、隠ぺいを簡単にするためではないかとも考えながら。


 その機械はいまここにある。電子工学に詳しい友人に調べさせたところ、それは外部からの電波に対し、かなり精密に制御された微弱な電圧を発生させるものだという回答を得た。小さなボタンほどの円盤から、見えないくらい細い導線が何本も周囲に広がっている。その導線の間に電圧が作られるらしい。

「これは大スクープですよ!」

 興奮して私を訪ねてきた看護師の顔を忘れない。丸く、いかにもうわさ話が好きそうなつくりをした顔だった。その二日後、彼女は命を絶たれたのだ。週刊誌にに陰謀論を持ち込む輩は腐るほどいる——しかし、訪ねてきた二日後に彼女が死んだ今、私はその言い分を少し信じようと思う。半ば押し付けられるように渡された機械をいじりながら考えた。X教授は大学院にいたころ、脳神経の研究を行っていたらしい。脳は神経細胞の興奮で機能している。そして、神経細胞は電圧がかかると興奮する。そしてX教授の研究テーマは「ヒトの脳機能の神経機構とその制御」である。最後に、X教授は技師の脳を手術した経験がある——私はこれらの事実から、一つの仮説を立てた。


 この機械は人間の感情を支配するためのものである。


 脳の感情をつかさどる部分に人工的に電圧を発生させれば、人間の感情を支配できるのではないだろうか? X教授がそんな疑問を持っていたとしてもおかしくはない。いつか脳に電極を埋め込まれて狂ったように走り回るマウスの動画を見たことがある。脳に適度な刺激を加えれば、その感情を操れるのだという考えは面白い。そしてそれを、マウスではなく人間でやってみたくなるとう願望も思いつく。機会を設計し、あとは人間に埋め込んでみるだけだが、それを世間が許さない。しかし、やってみたい……かねがねそう思っていたところに、ちょうど自分の職場の人間の脳の手術をする機会が来た。どの部分がどの情動を担当しているのか私は知らないが、X教授はその道の専門家である。いくつもの機械を脳の適切な部分に埋め込み、刺激を送ることで、自分の好きな感情を感じさせることができるだろう。X教授は機械のコントローラーを隠し持ちながら、こっそりと技師を支配していたのである。自分ではどうしようもない感情の嵐にもてあそばれる技師を見て、ほくそえんでいたに違いない。まったくもってひどい話だ。そうだ、技師が死んだ夜、あの席にいた医師とはX教授だったではないか。少し飲んで、余興が欲しくなり、技師を興奮させて芸でもやらせ、楽しもうとした……、しかし電圧の値を間違えたのか、彼は予想外の反応を見せて死んでしまったのだ。看護師の言っていたあの焼け跡とは、導線同士が文字通りショートしてしまった後だろう。


 そこまで考えて記事のアウト・ラインを書き、やめた。こんな話を誰が信じるのだろうか。たしかに、もろもろの話と矛盾はないようである。しかし、かといって証拠もない。手元にある妙な機械のみが私の想像を支えているが、これとて看護師が私をからかうために持ってきただけとも考えられる。彼女は死んでしまったが——自動車事故と聞いた——それも偶然で片付けられないこともない。要するに、これは私の頭の中だけの話なのである。

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