ゆ〜れい
人気のない、放課後の廊下。
陽もだいぶ沈み、特別棟の教室は薄暗くなっていた。
右京の足音だけが、カツーンカツーンと鳴り響く。
自分の長く伸びた影を眺めながら。
頭の後ろに両腕を回し、気ままに歩いてゆく。
ふと、立ち止まって。
直に闇に変わる空を見上げて、大きく息を吐いた。
「バイトか……」
占い師見習いである菫は、放課後すぐに。
占いのバイトへ出掛けた。
そのため、右京は独りきり。
「やりてぇことか……」
ため息交じりに言う彼の声が、静寂にこだまする。
廊下をふと振り返って、
「にしても、色んなクラブがあんだな」
右京は自分のやりたいことを見つけるために。
クラブに入ろうと思い、見学していた。
演劇や吹奏楽部など、定番のものから。
それは、どんなクラブ? と首を傾げてしまうようなものまで多種多様。
「温泉グラブも、なかなかイケてんな……」
にやりと笑って、右京は再び歩き出した。
自分の靴音だけが、カツーンカツーンと響く。
理科室、美術室。
それらを通り過ぎる度に、右京の頭の中で。
ある言葉が、急速に存在感を増していった。
『学校の七不思議』
わざと、ぼんやりさせておいた言葉が、はっきり輪郭を持つと。
背筋に悪寒が走った。
ぷるぷるっと頭を振って、
「あぁ~、だから、考えんなって。考えると、余計怖くなんだろ」
恐怖に駆られ、右京は足早に歩き出した。
そして、七不思議に必ず入っている、音楽室の前にやってきた。
微かな音を耳にして、
「あぁ?」
右京はぴたりと立ち止まった。
身を潜め、ドアへ身を寄せ。
そうっと、教室の中をのぞき込む。
部屋かの端から端まで見渡すが、誰もいない。
「気のせいか……」
ほっと胸をなで下ろし、廊下へ振り返ると。
すうっとまとわりつくように、何かの音が聞こえてきた。
「っ!?」
右京は恐怖で凍りつく。
ギギーッと。
油差しの良くない人形のように、首をひねり。
教室をのぞき込むと、ぴたっと音も止む。
「…………」
息を殺して、辺りをうかがうが。
やはり、人の気配はなく、もちろん姿も見えない。
「……やっぱ、気のせいか」
その時、視界の端に、グランドピアノが映った。
右京はゾクゾクッと身を震わせて、
「……ち、違ぇよな」
よくある七不思議ーー誰もいない音楽室から、ピアノの音が聞こえる。
右京の恐怖は一気に膨らんだ。
その恐怖を消し去るため、ピアノにあえて近づく。
「……確かめてみりゃいいんだろ」
黒光りするピアノに、自分の姿を映しつつ。
冷たい鍵盤を下へ押し込んだ。
ピキーン。
ピアノ独特のーー機械的に弦を叩く音が、音楽室に響き。
右京はほっと胸をなで下ろした。
「……ちっ、違ぇじゃねぇか。さっきの音と」
引きつった自分の顔が映る、ピアノを見つめ、
「……こ、怖くなってから、聞こえた気ぃしたんだって」
そこで、右京は気づいてしまった。
物事が矛盾していることに。
ピアノ以外の楽器はない。
音楽室には誰もいない。
それなのに、別の音が聞こえてきた。
その音は明らかにピアノの音ではなく。
指ではじいた弦から響く、柔らかいものだった。
右京の血の気は、一気に引いた。
「うっ、うわぁぁぁっっっ!!!!」
転がるように音楽室を飛び出し、薄暗い夕暮れの廊下を。
右京は猛スピードで走り出した。
自分の足音に混じって、背後から。
ガシャンガシャンと、鉄の擦れ合う音が。
学校では決して聞くことのない音。
右京の脳裏に、ある人物が浮かんだ。
それは、今朝見かけた、鎧兜武者。
相手を確かめようと思い、ピタッと立ち止まった。
すると、音は消えーー相手も立ち止まったようだ。
微妙な距離感を保ったまま。
右京は振り向こうとして、ある言葉を思い出した。
『振り返ったら最後、あの世に連れていかれる』
「っ!?」
右京の背中を、凄まじい悪寒が走った。
背後に濃密な気配を感じつつ。
恐怖に駆られないよう、右京は大きく深呼吸。
「…………」
視界の端ギリギリまで、瞳を寄せて、相手の動向をうかがう。
顔は正面を向いたままなので、相手の様子は詳しくわからないが。
そこにいることは、確信出来る。
「…………」
あぁ~っと、どうすんだ?
こういう時は……!!
何かひらめき、右京は相手に意表をつく形で、ぱっと走り出した。
ワンテンポ遅れて、鉄の擦れ合う音も響き出す。
右京は逃げながら、考えを巡らせる。
どうすりゃ、振り切れんだ?
あぁ~っと……あぁ~っと……??
焦っていて、うまく結論にたどり着けない右京は。
廊下の角を急いで曲がった。
そこで、追いかけてくる人物の姿を、窓ガラスに見つけた。
思った通り、今朝見かけた武者。
兜が大きすぎるのか、顔の上半分は見えず。
不気味に微笑む口元だけがのぞいていた。
右京が走るスピードを上げようとすると。
何と、相手は目の前に立っていた。
「うわっっっっ!?」
驚きのあまり、右京は数センチ上へ飛び上がり。
くるっと、素早く向きを180度変え、来た道を戻ろうとするが。
また、武者が目の前に立ちはだかった。
「あぁっ!?」
また、向きを変えようとして、右京はやっと解決案を見つけた。
そうだっ!
瞬間移動すりゃいいんだって!
夕暮れにそびえ立つ塔が視界に入り、右京は意識を集中させた。
あそこに……!
次の瞬間、右京の姿は忽然と、夕暮れの廊下から消え失せたーー
ーー風を感じて、目を開ける。
穏やかなオレンジ色の光に包まれていた。
右京は塔の上に無事、移動出来たことを知り、
「……ここに来りゃ、大丈夫ーー!?」
そう思った矢先、武者が目の前に突如現れたので。
右京はひっくり返りそうになった。
「う、うわっ!」
再び、意識を集中させ、移動しようとする右京に。
少年の声が響いた。
「お待ち下されっ!」
「っ!?」
びくっとして、右京は注意をそがされてしまい。
瞬間移動出来ず、夕暮れの中で固まった。
武者が近寄ってくるのを背中で感じつつ、震える声で、
「ゆっ……幽霊に……知り合いはいねぇぞ」
「幽霊……?」
予想外の言葉を聞いたという感じで。
小首をかしげた武者の兜が、カシャッと鳴った。
次いで、右京の間違いを指摘する言葉が続く。
「拙者たちが、幽霊なのではござらんか?」
「おう……?」
昨日死んで、天国へやって来た少年ーー右京の口から、思わず間の抜けた声が漏れ出た。
次の瞬間。
右京の眼前に武者が移動してきた。
兜を慣れた感じで取り、右手を差し出し、
「神崎殿、お初にお目にかかる」
右京は武者の手を、ついつい癖でつかみ、
「おう……初めまして」
手を離し、武者は背筋をピンと伸ばして、
「拙者、真田源次郎と申す」
「あぁ??」
右京は目を大きく見開いた。
夕暮れの風がふたりの間を、ぴゅ~っと吹き抜けてゆく。
右京がまじまじと見つめる源次郎。
彼の金色の髪は、夕日に煌めき。
若草色の瞳は純粋そのもの。
彫りの深い顔立ち。
肌は透き通るほどの色白。
簡単にいうと、金髪白人。
右京はゲラゲラ笑いながら、しっかりツッコミ。
「いやいや、何で、思いっきり名前、日本人ーー!」
そこまで言って、右京は急に真顔に戻った。
「お前……死んで、こっちに来たやつだろ?」
「さようでござる」
「でもって、こっちで、新しい家族、見つかったんだろ?」
「さようでござる」
源次郎は大きくうなずき返した。
「…………」
右京は何も言わず、少し照れたように微笑んだ。
嬉しかった。
自分と同じ境遇の人間に出会えたことが。
優しい風が、ふたりを包み込んだ。
源次郎は乱れた金髪をかき上げ、
「ところで、なぜ、拙者を幽霊と勘違いしたのでござる?」
「おう……それは……」
右京は気まずそうな顔で、向かいの校舎を見下ろした。
「朝、あそこから、お前見つけたら、不気味に笑ってたから……よ」
源次郎も校舎を見下ろし、少し考えていた。
そして、優しく微笑み、
「拙者、日本の鎧兜が好きなのでござるが、なかなか日本で生きていた人物に会えなかったのでござる。日本の友が来ると聞いて、拙者嬉しかったのでござる。今朝、神崎殿の姿を拝見して、思わず微笑んだのでござるが……」
そこまで言って、源次郎は兜を前に出した。
「こちらをかぶっていたため、神崎殿からは、拙者の口元しか見えなかったようでござる」
「……おう、そういうことか」
右京はほっと胸をなで下ろし、もう一つの疑問を口にする。
「なぁ? 音楽室で鳴ってた音って、何だよ?」
楽器など持っていない様子の源次郎は、穏やかに微笑んで、背中に手を回した。
「こちらでござるよ」
目の前に出されたものを見て、右京はぽつりと、
「ハープ……?」
「竪琴でござる」
源次郎はそう言うと、慣れた手つきで、竪琴をはじき始めた。
ポロ~ン、ポロ~ンと。
夕暮れの風景に、優しいメロディーが溶け込んでゆく。
オレンジ色に染まる街並みを眺めながら、右京は音色に耳を傾けた。
初めて聞く、異国の音階。
それなのに、なぜか懐かしさを感じる。
ふと、右京は気づいた。
源次郎の奏でるメロディーは。
同じ地球で生きていたものに共通する何かがあることに。
熱いものがこみ上げ、右京の頬を涙が伝う。
新しいことに囲まれ、忘れていたことを思い出す。
ただ一人、この世界へ来てしまったこと。
置き去りにしてしまったこと。
取り戻せないもの。
竪琴の音色に混じって、源次郎の声が聞こえてきた。
「拙者も着たばかりの頃は、淋しかったでござるが。すぐに友が出来……」
右京はそこで、菫のことを思い浮かべた。
「……淋しさは減ったでござるが、家族ができたのは最近でござった」
「…………」
頬を伝う涙を感じながら、右京は源次郎の話に耳を傾ける。
源次郎は、右京の方は見ず、
「神崎殿にも、必ず新しい家族が見つかるでござる」
「……お、おう」
心を見透かされ、右京は戸惑い気味に相づちを打った。
ふと、竪琴の音が止み。
源次郎は右京へ、優しく微笑んだ。
「本当にすぐに見つかるでござるよ」
まるで、未来を予知しているような彼の言葉に、右京の涙は引っ込んだ。
「おう?」
右京が見つめた若草色の瞳が、大丈夫と言っていた。
「向こうで生きている時と違うことがいくつかあるでござる」
「おう?」
「これからすぐ起こることは、誰にでもわかることでござるよ」
「菫みてぇにってことか?」
源次郎は首を横に振り、
「カンブラ殿は特別でござる。拙者たちでも、少しはわかるのでござる」
「ふーん」
「神崎殿は、まだ来たばかりでござるから、気づいていないだけでござるよ」
こんなシリアスな場面で、右京のお腹はググーッと鳴った。
「……腹減ったな」
右京がお腹をさすると、源次郎は、
「お腹がよく空くのもでござる」
「だからかっ!? こっちに来てから、すげぇ腹減ると思ったら」
源次郎は竪琴を背中に背負い、
「今日は水曜日でござったな?」
「おう……」
「それでは、あそこへ行くでござるか?」
源次郎は特別棟の1階の廊下を指差した。
右京がそっちを見ると。
何があるのか、長蛇の列が。
「な、何だ? あれ」
「行けばわかるでござる」
源次郎がそう言うと、ふたりはぱっと姿を消した。




