天国と地獄
あまりのことに、右京は言葉を発することが出来なかった。
「…………」
心地よかったジャズのメロディーは遠くなり。
まるで、別世界のように響いていた。
すうっと。
自分のまわりに黒いものーー闇がまとわりついてくる。
「身体はバラバラ、即死だ」
目の前に座っている、ステファンの声も遠のき。
「お前の家族や友人とは、霊層(魂の透明度のランク)が違いすぎて、やつらが死んだあとでも、会えるかどうかはわからねぇ」
かろうじて、彼女の言葉を聞き取ったが。
右京は急に眩暈がして、自分の居場所がわからなくなった。
「死んだ……オレが? ……!?」
奈落の底に突き落とされるような感覚がしたあと。
まとわりついていた闇に覆われ、右京の視界は真っ暗になった。
さっきまでいた右京の姿は、バーーー校長室にはなかった。
一瞬にして、彼は消えてしまった。
ステファンは持っていたグラスをテーブルへ置き、
「ふっ……」
右京がまったく口を付けなかったグラスを。
大きな黒い手が片付け始めた。
そして、低く渋い声でぽつりと。
「……行っちまったか」
バーテンダーのサングラスに映った自分のさらに奥を、ステファンは凝視した。
「……ボルグ」
すっかり空になったグラスを、男の方へ押し出して、抗議する。
「ウォッカ」
「仕事はまだ終わってないぜ、ベイビー」
入学書はテーブルから姿をすっと消し、ステファンは面倒くさそうに、
「数百年は戻ってこねぇよ。いいから、早く出せよ」
ボルグは空のグラスを片付けずに、口の端を歪めた。
「案外、早く戻ってくるかも知れないぜ」
ステファンはイヤリングを触って、右京の座っていた椅子をちらっと見た。
「それでも、1杯くらいやれんだろう」
ーー暗闇の中で。
右京は激しい雨音に包まれていた。
いつの間にか閉じていた目を、彼はゆっくりと開ける。
ロウソクの炎のようにぼんやりとした光の中に、よく見慣れた人が浮かび上がった。
かすれた声で、右京は、
「……母さん」
目の前に突如広がった光景は、今まさに地上で起こっていることだった。
自分の遺影が飾ってある、棺の側で泣き崩れている母親。
それを、しっかりと抱きしめている父親。
小さい頃からのことが、走馬灯のように浮かんでは消えてゆく。
そして、悲しんでいる両親を見て、右京は、
「……こんなの……見たことねぇ……」
土砂降りにも関わらず、服を濡らしてまで参列する人々。
その中に、昨日までのクラスメイトを見つける。
テストが終わったら、遊ぶ約束をしていた親友もいる。
右京は手を伸ばした。
だが、触れることは出来ず、光はすうっと消えてしまった。
急に暗くなった中で、ステファンの声が甦る。
『死んだんだ、お前は』
「くぅっ……!」
暗闇で一人、右京は力なく膝を落とした。
涙が勝手にこぼれてくる。
それは止まることを知らなくて、次々に落ちてゆく。
「戻り……てぇ……」
右京がそう呟くと。
全ての光は失われ、自分の輪郭も見えない、真の闇が訪れた。
静寂はどこまでも続いてゆく。
そして、孤独も。
淋しさに押しつぶされそうで。
胸が苦しくて、苦しくて、仕方がない。
ステファンの言葉が、また浮かぶ。
『体はバラバラ、即死だ』
そして、彼女が言っていた、唯一理解出来なかった言葉を思い出した。
『まだ、こだわってんのか?』
右京は熱くなった体で、うなるように。
「……もう、戻れねぇんだ。戻りたくても……」
いつ聞いたか、どこで聞いた言葉か覚えていなかったが。
右京はぽつりと、それを口にした。
「……死ぬ時って、独りっつうけど……マジで、そうなんだな」
『独り』という言葉に、新しいクラスメイトたちの姿が浮かんできた。
『神崎君、すごいね』
『救世主だ』
『君が来てくれて嬉しいよ』
ふと気づくと、自分を包み込んでいた闇が薄くなっていた。
そして、今日、聞いた中で。
いや、今まで聞いた中で、一番心に響いた言葉を思い出した。
『君が来るってわかった時、とっても嬉しかったんだ。人間の友達が増えると思ってね』
右京は泣きながら笑う。
「……もう、独りじゃねぇんだ」
顔を上げると、一筋の光がすうっと差してきた。
泣くことよりも、笑うことが増えてゆく。
もう、戻れねぇんだ。
なら、進むしかねぇだろ。
ここで、生きてくしかねぇんだ。
だったら、笑って生きていかねぇとな。
気づくと、涙はもう乾いていた。
立ち上がると同時に、右京はまた姿を消した。
ーー気がつくと。
右京は再び、バーカウンターの席に座っていた。
心地よいジャズピアノの音色をバックに、渋い声が響いた。
「ほら、戻ってきたぜ」
「ふんっ」
ステファンはつまらなそうに、グラスをテーブルに置いた。
右京はキョロキョロしながら、
「い……今の何だ?」
「地獄だ」
「あぁっ!?」
思ってもみなかった言葉が、ステファンから返ってきたので、右京は大声を上げた。
そして、
「血の池とか、針山とかなかったぞ」
ボルグは珍しく笑った。
「それは、だいぶ昔の話だ。脱走者が多くてな、最新鋭の設備に変わったんだ。全てコンピュータ制御されてて、一人一人、1畳ぐらいの部屋に入れられる。壁も天井も、特殊な素材で出来てるから、声も音も、念さえも通さない。罪を償うまで、一人きり。いわゆる、独房ってやつだな」
右京は身震いした。
「オレ……やばいとこ行ったんじゃねぇか」
待ちくたびれたステファンは、あごで、
「いいから、サインしろよ」
「……おう」
右京が入学書に触れると。
サイン欄のところに、自分の名前『神崎 右京』が浮かび上がった。
「俺のおごりだ」
ボルグはそう言って、鮮やかなメロン色のカクテルグラスを差し出した。
「おう、サンキュウなーー!!!!」
右京は手を伸ばしそうになって、ぴたっと動きを止めた。
「だから、ここ、学校だって! 何で、酒勧めんだよ!!」
さらに、ツッコミを続行。
「つか、何で、バーテンダーがいんだよ、校長室に」
ステファンとボルグは、互いに見つめあって、
「そりゃな?」
「そうだな、ベイビー」
意味深なやり取りをしている、大人ふたりを交互に見ながら、右京は、
「あぁ?」
ボルグのサングラスがきらりと光った!
「俺が教頭だからだ」
右京はびっくりして、座っていた椅子をひっくり返した!
「あぁっっ!? どうなってんだよ、この学校!!」
ステファンは何事もなかったように、グラスを傾け始めた。
それを横目で見つつ、右京はぼそっとつぶやいた。
「オレ、早まったかも知んねぇな……」
「あぁ? 何か、文句あんのか?」
酒臭い息を、ステファンに吹きかけられ。
右京はぷるぷると首を横に振った。
「な……何でもねぇ……よ」
ボルグは鼻で少しだけ笑って、
「酒は入ってない。ノンアルコールだ」
「そうなら、そうと早く言ってくれよ。サンキュウ」
右京はグラスをぱっとつかんで、一気に飲み干した。
「うめぇ~~~っ! こんなうめぇの、飲んだことねぇ!」
ステファンは気だるく頬杖をつきながら、
「ボルグの酒はうめぇからな」
教頭は身を乗り出して、
「もう一杯、どうだ?」
右京は首を横に振った。
「いや、もういい。ダチ待たせてんだ」
ポケットに手を突っ込んで、
「ごちそうさん」
右京は部屋の出口に向かって歩き出した。
カンブラのお陰で、オレは戻って来れたんだ。
礼言わねぇとな。
校長室を出ると。
菫はフードをさっと下ろし、少し驚いた顔を見せた。
「……あ、お帰り、早かったね」
彼が手に持っていた水晶に夕日が反射している。
その輝きを見つめて、右京は知る。
自分の身に起こることーー地獄へ行くことさえも、菫は前から予測していたのだと。
右京は、菫のブルーグレーの瞳に焦点を合わせ、
「カンブラ……サンキュウな」
「うん、よかった……」
菫が見つめ返した、アッシュグレーの右京の瞳が少しだけ曇った。
「なぁ?」
「ん?」
少しの沈黙の後、右京は静かに聞いた。
「カンブラは、何で死んだんだ?」
菫はゆっくりと薄紫色の髪を揺らし、右京が考えもしなかった答えを言った。
「僕は元々この世界で生まれ、育ったんだ。だから、死んだことはないよ」
「……そっか」
右京の瞳に淋しさが浮かび上がったのを見て取った、菫は、
「僕は君のことを本当にわかってあげられないけど……」
いったん言葉を切った菫に、右京は顔を向けた。
「ステファン先生やハウゼン先生は、神崎君と同じように死んで、この世界に来たんだよ。それに、この世界で新しい家族もできる。そういう子もたくさんいるよ、この学校には。だから……」
菫は優しく微笑んで、
「ずっと独りってわけじゃないよ」
「……おう」
右京は思わず、視界がにじんだ。
菫は視線をそらして、水晶をしまう。
「これからは、菫でいいよ」
「……おう。じゃあ、オレのことも名前で呼べよ」
「うん、そうする」
夕暮れに染まる廊下で、新しい友情が誕生した。
いい感じのその時、右京のお腹がグーッと鳴った。
「腹減った~~」
「何か買ってこようか?」
右京は首を横に振る。
「いや……いい。昼もおごってもらったし。いつまでも、世話になるわけにはな。まずは、バイト探しだ。何のバイトにすっかな?」
菫は不思議そうに、目をぱちぱちさせた。
「探すの? どうして?」
「どうしてって……」
「やりたいことがあるから、働くんだよね? だから、探す必要はないよね?」
右京はおでこに人さし指を当てて、
「……あ~っと、つまり、ここじゃ……」
「うん」
「やりてぇことが仕事ってことか?」
考えを整理した右京の瞳を、菫はのぞきこんだ。
「あれ? 向こうの世界は違うの?」
「……違ぇな、ほとんど」
「不思議なところだね」
右京は廊下の壁にもたれかかり、
「じゃ、やりてぇことのねぇオレは、どうやって儲けんだよ?」
「いいのがあるよ。こっちこっち」
菫はそう言って、右京の腕をひっぱり出した。
廊下の角を曲がって、
「これを見て」
菫が指さした張り紙を、右京は見た。
「奉仕活動……一覧表?」
右京は親友の方へ振り返り、
「何だ、これ?」
菫は得意げに話し始めた。
「僕たちは小学生の時から、この奉仕活動をして、お金の代わりになるチップを貰って、自分の好きなものとか、友達にあげるプレゼントとか買ってるんだ」
「すげぇ! 画期的じゃねぇか」
誰かの役に立って、自分のためにもなるなんて。
右京は目を輝かせながら、さっそく探し始めた。
「あ~っと……どんなのがあんだ? ……クッキーの試食……毒味か!?」
軽く突っ込んで、
「……おう?」
とある報酬チップ額に、右京の目は釘付けになった。
「これ、間違ってねぇか? 他のと、ケタ、2つも違ぇぞ」
菫は張り紙を覗き見て、
「間違ってないと思うよ、どれ?」
右京は依頼主名を指さした。
「この、安斎……あぁ? ……読めねぇな、これ」
「それは、焉貴って読むんだよ」
すんなりと返してきた菫に向かって、右京は、
「あぁ? 菫、知ってんのか? こいつのこと」
「うん。だって、歴史の安斎先生のことだよ、それ」
「どんなやつだ?」
「女の子に人気だよ、とっても」
「イケメンか?」
菫は首を傾げて、
「うーん……イケメンが理由なのかな? 天使みたいに微笑むからだと思うけど……」
「……ふーん、天使みてぇなやつか」
いい予感を覚え。
右京はもう一度、報酬金額の桁を数えて見た。
「やっぱ、見間違いじゃねぇな。けどよ……これって、どんくらいの価値があんだ?」
「それはね……」
菫はそう言って、すっと水晶を取り出した。
「これ、5個分はあるね」
独特の価値観で示されて、右京はゲラゲラ笑い出した。
「いやいや、それじゃ、オレにはわかりづれぇって」
菫は少し笑って、普通の価値観で、
「ふふっ。半年ぐらいは、困らないかな? これだったら」
「うほっ! すげぇじゃんか!? オレ、一気に金持ちだぜ!」
「チップ持ちだよ」
きっちり突っ込んできた菫に少し驚きつつ、右京はぼそっと、
「何か……感じ出ねぇな、それじゃ」
気を取り直して、右京は張り紙の方へ顔を向ける。
「で……何すんだ? あ~っと、『飛べない人族の少年を求む』……」
右京は目を見開いて、
「あぁ!? それしか書いてねぇじゃんか。何すんだよ? ってか、普通飛べねぇだろ、人って。これじゃ、誰でもーー」
言葉の途中で、菫が、
「飛べるよ、みんな」
「あぁ?」
「小学生の頃は、飛べない子もいたけど。高校生で飛べない子は誰もいないよ。この世界にきたばかりの、右京君ぐらいじゃないかな?」
菫に微笑まれた右京は、俄然やる気になった。
「おう? じゃあ、オレにしか出来ねぇってことか!! 役に立てるぜっ!!」
再び、張り紙に視線を落として、
「けどよ……マジで何すんだ?」
菫はゆっくりと窓の外に顔を向けた。
「もしかして、あの塔と関係するのかな?」
「あぁ?」
振り返った右京の視界に、てっぺんを見ることが出来ないほどの、高くそびえ立つ塔が入った。
「何で、そう思うんだよ?」
「さっき、右京君を待ってる時、君の未来を占ったんだ。そうしたら、あの塔が出てきたから」
右京は張り紙を、もう一度見る。
「……塔……飛べねぇやつ……」
なぜか、彼は背中に悪寒が走り、身震いした。
「……何か、嫌な予感すんな」
ぼそっとつぶやいた彼の言葉に、物腰の柔らかい声が返ってきた。
「そんなことはありませんよ、君にとってとても良いことです」
右京と菫の背後に、突如人が現れた。
「うわっ!」
「あ、安斎先生」
噂の先生は、乗馬を楽しむ貴族のような出立ちで。
ハシバミ色の長い髪を、上品にリボンで束ねており。
綺麗というため息が思わず出てしまう、整った顔立ち。
触りたくなるような、スベスベで、きめ細やかな肌。
瞳は、人々を祝福する、天使のように微笑みで溢れていた。
これで背中に羽根が付いていたら、本物の天使と見間違うような安斎に、右京は、
「どっから、出てきたっ!?」
「瞬間移動ですよ。神崎君を探していたんです」
「あぁ? オレを?」
「えぇ」
にっこり肯定して、安斎は、
「実は、奉仕活動の件を、君にお願いしようかと思いましてね」
「おう! オレも今、安斎先生にーー」
目を輝かせた右京の言葉を遮って、安斎は優しく笑う。
「うふふっ。それは、ちょうどよかったです。では、参りましょうか?」
素早い展開に、右京は真顔に戻った。
「あぁ? どこに?」
「あちらの塔のてっぺんにですよ」
そう言った安斎に視線の先に、さっき菫と一緒に眺めた塔があった。
「それでは、カンブラ君、神崎君のことをお願いしますね」
天使はすうっと消え去り、占い師見習いが、
「右京君、僕につかまって。塔まで瞬間移動するから」
「おう」
そして、夕暮れの廊下から、人影は全てなくなった。
ふと、風の音が聞こえ。
オレンジ色に染まる、広大で、美しい街並みが。
右京の目の前に突如広がった。
「すげーー」
感動の言葉を口にしようとしたが。
足元は平らではなく、三角屋根。
ザーッと。
右京は屋根の端に向かって、滑り出した。
「うわっ、うわっ、うわっっっっ!? また、落ちそうになってんぞ!」
両足を踏ん張って、右京はかろうじて、屋根の縁で止まった。
間一髪、落ちずにすんだ彼に。
ビューッと、強風が吹き抜けていった。
足元には、さっきまでいた校舎がミニチュアのように見えた。
「……あぁ、危ねぇ~~」
背後から、安斎の柔らかい声が響く。
「落ちないように気をつけて下さいね」
「お、おう……」
右京は冷や汗をかきながら、そろりと立ち上がり。
空中に浮かんでいる、安斎と菫の方へゆっくりと近づいてゆく。
貴族服を着た安斎を見て、右京はなぜかこう思った。
人を人とも思わず。
残虐な遊びに、快楽を覚える。
中世ヨーロッパの貴族ーー
あぁ?
何で、そう思うんだ?
すげぇ、嫌な予感すんな。
いやいや、先生だって、こいつ。
右京は頭をぷるぷると振って、気を取り直した。
「で、オレは何をすればいいんだ?」
安斎はにっこり微笑んで、遠回しな物言いをする。
「とても簡単なことですよ。私の言うことを、実行してくれればいいんです」
「あぁ?」
右京が聞き返すと、
「……僕はもうわかったよ」
菫はなぜか、右京を気の毒そうに見ていて。
不安を覚えた右京は、ミニチュアの校舎を見下ろした。
「…………」
あの校長と教頭だろ?
ってことは、他のやつもおかしいーー!?
安斎の方へ、ぱっと振り返った右京ーー生徒の心を知ってか知らずか。
安斎天使はにっこり微笑んで。
その表情には到底そぐわない、人でなしな言葉を口にした。
「ここから、飛び降りてくれればいいんです」




