プロローグ
友人の少ない裕一と澄玲の二人が織りなす純愛の物語です。執筆速度はあまり早くないですが、定期的に更新していきたいと考えています。
戦闘、非日常抜きの完全な日常の物語を紡いでいきます。
興味がありましたら、ぜひ目を通してみたくださいな。
気になる点や疑問、改善点など感想ありましたら、お気軽にどうぞ。
善処させていただきたいと思います。
by_imperial
プロローグ
ビルの屋上に一人の青年がいた。
柵に肘をつき、夜の街並みを見下ろす。
「自分の人生に後悔なんて無い……いや、後悔しかないからこうしているんだろうな」
誰に話しかけるでもなく一人こぼす。
青年の年齢は二十六、人生を振り返るにはまだまだ早すぎる年齢である。
「別に今の仕事に不満があるわけじゃないし、生活に困ってもいない。
でも、生きていて楽しくない……」
青年は、大学を出て就職し、今まで普通に働いてきた。サボることもなく、上司からも信頼されるようになってきた。
しかし、仕事はできても仕事以外にすることが無かった。
高校、大学時代に趣味と呼べるモノは何もできなかったし、部活や同好会にも所属していなかったため、友人も少なかった。
「なぁ、母さん。前言ってたよな『私よりも先に死んだら許さない』って。もう母さんは天国にいるんだし、俺がそっちに行ってもいいよな?」
そういって、何もない真っ黒な空を見上げた。
青年の母親は、青年が二十四の時にこの世を去った。
青年が就職したのをきっかけに父親と離婚し、独り身となったがそのせいで負担が増え、病に伏し、そのまま帰らぬ人となってしまった。
父親の行方など探すつもりもなかったため、青年は独りぼっちとなった。その時から、青年は自分には何もないことを思い知らされた。
「日付けが変わったらそっちに行くよ」
青年は腕時計を確認する。
「二二時三五分、もう少しだ……」
――ガタンッ
青年はハッとして静かに振り返った。そして、道化を演じた。
「こんなところへこんな時間に、しかも今日みたいな日に何をしにいらっしゃったのですか?」
「その、あなたも人のことを言えないと思うのですが……」
屋上の扉を押し開けて現れたのは、若い女性だった。青年は内心驚きながらも道化を演じ続けた。
「私の様なさえない男のことはいいのですよ。あなたの様な若く美しい女性が、聖なる夜にビルの屋上なんかにいらっしゃる理由などないでしょうに」
いや、青年は一瞬でわかった。自分と同類だと。
この季節の真夜中ならばかなり冷え込むが、女性は寝間着に一枚羽織っただけな上に、サンダルを履いていた。住人が夜空を見上げに来たことも考えられたが、このビルに今は誰も住んでいない。
そう考えると薄着なのは不可解でしかない。青年の中では自分の同類としか思えなかった。
「……他人の事情に口を出さないでもらえますか」
青年の考えが的中したのか、女性は語らなかった。
「あと少し時間もありますし、寒いでしょうからこちらへどうぞ」
「はぁ、そうですね。あと少しですし、独りぼっちなあなたの話し相手ぐらいにはなって差し上げます」
そう言って女性は青年の隣に並んだ。
「っ⁉」
男性の横まで来た直後、突然女性が足を踏み外したかのようによろめいて後ずさった。
「どうしましたか? 気分が優れないようならあちらにベンチがありますよ」
青年が心配をして声をかけると女性は無言でベンチに座った。青年は隣に腰を下ろすとジャケットを脱いで女性に被せた。
「ありがとうございます……
あの、失礼ですがお名前を伺ってもいいですか?」
青年は最後までお互いに名前を聞くつもりはなかったが、女性から聞かれたのでそのまま答えた。
「日向裕一ですよ」
「ひなた……ゆう、いち」
女性が裕一の名前を聞くと、噛み締めるように口から漏らした。
「大丈夫ですか? 私の名前がどうかしましたか?
もしもし、聞いていますか?」
裕一は女性に数度呼びかける。
「あ、い、いえ、失礼しました。
私は、木下澄玲と言います」
裕一の呼びかけに答え、澄玲は慌てて答えた。
「木下澄玲さんですね。本日は残り一時間半程度ですが、よろしくお願いします」
二人は、それ以降会話せず、沈黙した。
裕一は、黒く長い髪に隠れた澄玲の横顔を盗み見た。
(はっきりとは見えないが、随分と整った顔をしているな……
その気になれば人生に困らないほどに。なぜこちら側に立っているんだ?
まぁ、何かがあったからだろうとは思うが不思議だ)
裕一の思考を遮るかのようにふと、澄玲が独り言のようにポツリと溢した。
「私、学生の時は一人でした」
裕一は澄玲の言葉を無言で聞いた。
「別にいじめられていたとか、周りを見下していたわけではないです。
ただ、周りの人と関わろうとしなかっただけで。
別にそのことに後悔はないですし、今もそれでよかったと思っています」
ポツリポツリと深い思い出すように澄玲は語り続ける。
「でも、私は隣で寄り添っていたい人を見つけてしまいました。
所詮学生のくだらない恋心だとは思いますが、私は今でもあの人が探しに来てくれるんじゃないかと、少女漫画の主人公みたいな夢を抱いているんです。
それほどにあの人は、私に大切な思い出をたくさん与えてくれたんです」
目尻に光っているのは悲しみの涙か、それとも彼の時の気持ちを思い出したうれし涙か。
裕一に理解できる術は残念ながら無かった。
「迎えに来てくれないあの人に絶望したわけじゃないんです。
いつまでもそんな夢を見ている私自身があまりにも滑稽で、いっそその夢と一緒に永遠に眠りたい、なんて考えてしまったんですよ……
あ、あはは、初対面の人に何話してるんだろ、馬鹿みたいですよね」
自分の理想と共に眠りたい……
自ら命を絶つのは褒められたことではないが、裕一はなぜだか澄玲に共感を覚えた。
「私は別にそんなことは思いませんよ。
滑稽だとも、馬鹿だとも、そしてあなたの行動を咎めるつもりもありません。
あなたは正しいことはしていなくても、その瞳の輝きは失せていない。自暴自棄になった犯罪者とは違う、強い信念を感じますよ」
「そう、ですか……」
澄玲は裕一の言葉に何を感じたのか、目を伏せる。
「すみません、私のことなんてどうでもよかったですね」
「いいえ、とても素敵な物語のようでしたよ」
目を閉じれば、澄玲が想いを寄せた男性との静かな時間が想像できるような語りだった。
「木下さんがお話しするだけではフェアではないですね。
私の方もつまらないですがお話いたしましょう」
澄玲は静かに顔を上げ、裕一の方を見てこそいないが、耳を傾ける様子が見て取れた。
「私は、学生の頃に両親が離婚して母と二人きりになりました。
父に捨てられてと思うのが妥当でしょう。
母と二人、アルバイトをしながら暮らしていました。
別に父に恨みはありませんでしたし、生活も苦しくありませんでした。
贅沢はできませんが、生活に潤いもありました」
裕一は視線を少し高くし、思い出すように口を閉ざした。
「母が過労で倒れてからも、生活は以前と変わりませんでした。ただ母が家にいないというだけで。
その後、就職して無事に落ち着いた頃に、母は安心したように穏やかに息を引き取りました。
それが既に二年前のことです。」
澄玲は、裕一の話を聞きながらうつむいていた。
己がこの話をさせるように導いてしまったようなものだが、心の準備が無かっただけにショックが大きかったようだ。
別に彼女が裕一の母親を間接的に殺してしまったとか、裕一の父親を知っているとかそういうわけでもない。
――ただ
「裕一さんは、お母様を心から愛していたのですね。
他界された後に頑張っていたのもお母様に安心してもらおうという思いがあったんでしょうね……」
裕一の話を聞いて、澄玲は涙を流していた。
裕一に彼女の涙の理由はわからない。いや、理解できなかった。
他人の母親の死の話で、果たして涙が流せるだろうか?
「私はただ母が恋しかっただけなのでしょう……こうして今ここにいるのですから」
澄玲は何も言わなかった。
このまま見知らぬ女性と無言で時間を待つのも悪くない、と思った裕一は目を閉じた。
短い人生を振り返るかのように思い出す。
ふと、走馬灯だろうか、穏やかに夕日の差し込むどこかの公園を思い出す。
「こんな場所……行ったことあったか?」
裕一はそのまま走馬灯に飲まれるように眺めていた。
いつしか、裕一の意識は刈り取られ、この世から離脱していた。
本人も気が付くことなく。
***