其の9 執事の想い
エレボスは心躍らせながら歩いていた。
世界の中心の統治者、それはこの世界で只一人の人物である帝を指す言葉に他ならなかった。
そして、神器に認められた少年の意識には紛れもなく帝の魂が宿されていることをエレボスは知った。
『勅命』、帝からの直々の命令とも言えるその言葉に年甲斐もなく若き日の猛りを感じていた。
あの時代、世界に何が起きたか理解も出来ずに目の前の敵から主君を護るためだけに刃を振るい幾十もの命を躊躇なく奪ってきた。
だが、最終的に主君の命を救うことの出来なかった後悔の念は老齢の今となっても消えることはない。
「今度こそは……」
そう心に誓い、自らを奮い立たせる。
「まずは皇女の命を遂行せねばなるまいな。」
業罪の皇女から浩介の姉も候補者の可能性が在ると言われ、その処遇について任されたエレボスはどう接触するか思案する。
多重世界は身分を証明できる許可証さえ発行されれば、どの世界とも行き来は可能となっていた。
只、異世界に関しては皐月のように空間を移動する能力を持った者でなければ行き来することが出来ない。
そのため異世界の住人は多重世界では稀な存在として扱われ、各世界の統治者達ですら敬意を払う。
ただし、その敬意の裏には多くの打算が在った。
多重世界の理が通用しない彼らの根源を知ることが出来れば統治者はこの多重世界を支配することが出来る。
その思惑は甘美な響きを持ち、流れ着いた異世界の住人達は利用され多くの者は無駄に命を散らした。
武勇に長けた者は戦士として戦場に赴き、知勇に長けた者は政に担ぎ上げられ謀略に嵌められた。
あの三百年に及ぶ争いは異世界の住人達の代理戦争と呼んでも過言ではなかった。
あの争いの渦中にも少なからず統治者に力を貸した異世界の住人達がおり、リアもその一人に数えられる。
統治者達の理が通用せず純粋に技量のみを持って戦いを挑み、エレボスも幾度となく刃を交えた。
彼の技量を持ってしても長命なエルフ族のリアには通用せず、辛酸を幾度も味わうこととなった。
そんな二人が同じ場所にいること自体が、それだけで世界が安定していると言うことでもある。
初めて屋敷を尋ねてきた彼女に無遠慮な殺気を向け、彼女から叱咤されたことはまだ記憶に新しい。
幾人もの親しき者達の命を奪ってきた者に敬意を持って接することの出来なかったのは当然ではあった。
だがリアは静かにエレボスの殺気を受け止めた。
「私は貴殿の親しき者達の命を奪ったのは確かです。憎む気持ちも分かるが私に戦いを挑んだ者に対して貴方の殺気は彼らを侮辱する!彼らは信念を持って私に挑み今の安定のために散っていった。そんな彼らの名誉を軽視する行為は私は許さない!」
静かな口調ではあったが、その口調には命を散らした者達に対しての畏敬の念と戦士としての信念を感じた。
彼女が先の戦で命を奪った相手に敬意を持ち、軽んじていない事実を知ったとき自分の未熟さを思い知らされた。
「…申し訳ない。自分の未熟さで貴殿の想い、そして散って逝った友の名誉を傷つけるところでした」
深々と頭を垂れたエレボスの瞳には一滴の涙が流れた。
殺気は消え去り、命を散らした友の姿が脳裏を過ぎる。
そして、彼の中でようやくあの争いが終わった。
たった一つの心残りを残して…。
それが主の命を救う手立てを見つけられなかった事だ。
主君が自らの命と引き替えに望んだモノを護るのが自らの使命と信じ、今の主である業罪の皇女に使えている。
その皇女からの命を遂行する為にも異世界を渡る血脈の力が、どうしても必要であった。
「お嬢様のお力に頼るしかないか…だが」
帝の言葉が脳裏を過ぎる。
その意志を継いだ存在を知られるわけにはいかない。
だが、皐月の力でもある鎖に触れれば思考を読まれる。
そして、業罪の皇女にも知られることになってしまう。
それは帝の望むことではない。
「だが、やらねばならぬな。帝の信頼を勝ち得るために」
決意を新たに歩みを進める。
通路を歩く足取りは軽く、身体から漲る精気は若かりし頃に戻ったかのように満ち溢れていた。
本来ならその状態に違和感を憶えても不思議ではなかったが、今の彼には気付けるはずの冷静さを欠いていた。
『勅命』の言葉が魅力的すぎたのだ。
そのせいでエレボス自身、自らの意志に誰かから介入されているなど微塵も感じていなかった。
けれど冷静な判断が出来ていたなら気付けたはずの気配はエレボスの意識に確かに存在し蠢いていた。
それは静かに意識の奥深くから彼の動向を見ている。
エレボスの意識を自分が望む方向へと巧みに導きながら、その意識を支配する時を待ち続けていた。
時が満ちたときエレボスを支配し彼の絶望を糧にして開眼し自らの欲望と餓えを満たす。
その時を狂おしいほど待ち続ける。
だが、彼が扉の前で立ち止まったとき存在は戦慄した。
扉の奥で覇気と覇気が重なり合う感触を感じたからだ。
それは何人たりとも踏み入ることを許されない神聖な儀式の最中であることは剣舞に秀でた者なら察しがつく。
「『契約』の最中か?これ程までの覇気とは……お嬢様とリアの間で、どんな取り決めを?」
素朴な疑問を感じながらも、一介の剣士であれば邪魔をすることがどれほど侮辱することかは容易に想像できる。
「しばし、待つか」
儀式の邪魔をせぬよう気配を断ち壁に寄り掛かる。
エレボスの内に潜む存在は慌てた。
これ程までの覇気を放つ者達に今の段階で潜んでいることがバレるのは非常に好ましくない。
瞳を閉じ気配を消すエレボスの意識に気付かれぬように、更に意識の奥深くに潜り込み彼の意識を隠れ蓑にする。
扉の奥では徐々に覇気が静まっていくのが判った。
それは『契約』の終了を意味する。
「無事に終わられましたかな」
自分の気配で中断されては申し訳ないと感じていたが杞憂に終わったことに安堵の表情を浮かべ瞳を開く。
「では、入りますかな」
その瞳には覚悟が込められていた。
コンッ、コンッ。
「開いてるわよ」
部屋の主の声が聞こえエレボスは許可を得る。
「失礼致します」
扉を開き深々と頭を下げながら部屋の主からの許しがあるまでの数秒の間に、その瞳に決意を漲らせる。
総ては帝のため、そして世界を導くために……。




