其の9 サツキと皐月の想い
不意に空気が変わったように感じた。
その変化に浩介は俯いた顔を上げ、天井をぼんやりと見つめる皐月に視線を向けた。
何となくと表現するしかないが浩介には目の前の存在が見知らぬ人物になったように感じたのだ。
「…お前だよな?」
その声に自信は無かった。
名前を呼ぶのを躊躇われた。何故か名前を呼べば全てが終わってしまう気がしたからだ。
「ふふふっ…」
皐月が浩介の問いに笑みを浮かべる。
その笑みに浩介は言い知れぬ不安を感じる。
「誰だ…お前」
不審げな声に皐月は更に笑みを深めた。
「お主とは一度、出逢っておるのじゃがのぅ…」
笑みを浮かべたまま徐に片手で宙を斬る。
その瞬間、皐月の身体が白光に包まれたかと思うとその姿が瞬時に変化した。
口元は薄いベールに包まれ、目元だけが強く印象に残り誰もがその瞳に引きつけられる。
彼女の服装は黒地に金の刺繍を施された着物姿へと変化し、視線だけは真っ直ぐに浩介を見つめていた。その姿に浩介は見覚えがあった。
中心の世界で目撃したことがあるのだ。
「たしか…」
あれはリアと初めて出逢い、浩介が神器に触れたあの時、執務室から出てきた皐月が今のような姿をしていたと記憶していた。
「妾のことを思い出したか?」
思い出しはしたが、ただ皐月の姿でそのしゃべり方には違和感しか感じない。
しかも雅と口調が微妙に似ている事が浩介には気になって仕方なかった。
「あ~ぁ、確か執務をする際の容姿だと聞いた気がするな……」
つい先程までの憂鬱な気持ちが素っ飛んでいく。
今の状況に思考がついていかないのだ。
「まぁ、よい。ちと、妾と話をせぬか?」
ソファに深々と座りいつの間に取り出したのか赤と黒の蛇が交差する扇子を開き口元を隠す。
口元が完全に隠れてしまうことで彼女の瞳が更に際立ち浩介を見つめる形となった。
底知れぬ眼力に心の奥深くまで見据えられているような錯覚を感じ浩介は知らぬうちに身震いをしていた。
「話か…それってさっきの続きでいいのか?」
先程までの皐月に話していた悩みの続きなのか彼女に問うと微かに頷き、同意の意思を見せる。
「うむ、其方の話は興味深い。妾たちに通じる物があるやもしれぬ。其方の心を妾に話してみるがよい」
浩介は彼女の言葉に気になる点を感じた。
〔妾たち…どういう?〕
脳裏を掠める疑問、けれど浩介は彼女の瞳と口調からは拒絶することが出来なかった。
まるで意識を支配されているような不思議な感覚で、けれど不快感は感じなかった。
なぜか素直に話したいとさえ思えたのだ。
「不安なんだ…」
ボソリと呟く。
「お主が、その瞳に支配されることがか?」
その言葉に浩介はハッとした。
彼の両目が無意識の内に色合いの違う瞳へと変化していることに彼女の指摘で初めて気が付いたのだ。
「えっ!?なんで…」
浩介は驚きを隠しきれなかった。
今まで自分の意志に反して変化することはなかった。けれど、彼女の言葉にグレンデルの意識が反応した。
しかも無意識に……。
それは浩介が危惧していたことだった。
「俺、えっ…何で?」
理解できなかった。
不安が現実になった気がした。
怖い、自分が自分でなくなるのが…。
不安、自分がどうなってしまうのか…。
恐れ、無意識に浸食してくる存在に…。
目の前が真っ暗になった気がした。
「俺、俺、俺は……誰だ?」
自分の存在に疑問を抱く。
両手で頭を抱え掻きむしるように髪を掴む。
心の奥深くら闇が押し寄せてくるのが分かった。言葉に出来ない感情が湧き上がってくる。
「俺は……」
疑問が不安を呼び込み、恐れが恐怖を生む。
見えない存在に唯々、怯え震えながら闇を見据える浩介は自分自身に疑いの目を向ける。
その時だった。
パンッ!
突如、何かを叩く乾いた音が聞こえて浩介はハッとした表情で音のした場所を見つめた。
「己の心と向き合えたか?」
浩介の瞳には彼の前で扇子を音を立てて閉じ、静かに語りかける彼女の姿が在った。
「…えっ?」
何が起きたのか分からず呆然と周囲を見渡す。
そこは何も変わらない室内の姿があった。
「俺…どうして?…なにが?」
何が起きていたのか分からず狼狽する。
「お主自身にお主の心の葛藤を見せただけじゃ…ふむ、それにしてもお主は…」
彼女が言い淀んだ。
微かにだが悲しげな表情で自分を見つめているように浩介には思えた。
胸の奥深くで何かが蠢いている気がした。
不快感といった負の感情ではなく…切望、そんな言葉が当てはまる感情であった。
「やはり帝の魂の継承者なのじゃな…」
その瞳は浩介に向けられているが彼女の意識は更に奥深くを見つめているようだった。
〔そこにおったか…〕
浩介の意識に触れたサツキは彼の意識の奥深くに護印された術式に気が付いた。
見覚えのあるそれは明らかに彼が帝の魂であることを裏付けていたのだ。
不憫だと感じた。
彼のこの先の運命を思い、彼自身の不安や恐れに彼女自身も共感できる。
自分という存在の意義、皐月に対して語りはしたが彼女自身も拭えぬ不安があったからだ。
「…難儀よのぅ。さて、どうするか」
皐月の手前、切り捨てるわけにもいかない。
それに……。
皐月の気持ちを大事にしてやりたかった。
存在意義を創造され、宿命に翻弄される者の恋心をせめて叶えてやりたい。
不器用な皐月に想いを伝えさせてやりたい。
親心のような気持ちであった。
〔…妾も〕
シグルスに会いたい、イフと語り合いたい、あの瞬間だけ自由を感じたあの空を見たい…けれど。
サツキは常闇の世界で彼に会うことを躊躇った。
未練が残るかもしれないと思ったからだ。
サツキは全てを知ったあの日、自らの存在意義を肯定した。自分の前の人格達の最後を見てきたからだ。
殺戮者の汚名を着せられ、主人格の願望を叶え、絶望の中でその生涯を終える悲しみは耐えがたい苦痛だろうことは容易に想像できる。
だからこそだった。
皐月には幸福になって欲しかった。
サツキ自身、シグルスとの出逢いで救われた。
皐月も救われて欲しいのだ。
そのために浩介の力にならなくてはならない。
ならばどうすれば良いのかを考える。
「お主、グレンデルとは話は出来たのか?」
彼女の質問に浩介は小さく頷く。
「俺に全てを託す時に少しだけ」
「どう思った?」
その問いに浩介はしばし考え込む。
「悪い奴ではなかったな…少しひねくれた性格をしているように感じたけどな」
当時を思い出し浩介は苦笑いを浮かべる。
「なら、お主の内に存在するグレ記憶から見た他の人格達はどうじゃ?」
サツキは最も聞きたかったことを尋ねた。
その問いに浩介は考え込んだ。
グレ記憶で見る他の人格はグレンデルの主観によるものであるため偏っているからだ。
「悪い印象はないな…まぁ、グレンデルの好き嫌いはあるみたいだけど、どいつも悪意はない」
他の人格達はそれぞれ癖のある者達ばかりであったが帝として見るなら民を思う強さは同じに感じた。
「なら、彼らを受け入れる器があるならお主はどうする?拒絶するか?それとも受け入れるか?」
その問いに浩介は即答することは出来なかった。
悩む浩介の姿を見つめサツキは頬を緩ませ微かに笑みを浮かべた。
その表情は先程までの威圧的なものではなく、限りない慈愛に包まれたものであった。
「ゆっくり考えるが良い。早急に結論を出す事柄でもないのでな」
サツキの言葉に胸の痞えが取れた気がした。
正直なところでは不安はまだある。
けれど今の浩介は狭まっていた視野が広がったような感じがしたのだ。
浩介の表情にも自然と笑みが漏れるのだった。
読んでいただき有り難う御座います
(o_ _)o
ブクマ、評価していただけると嬉しいです
(*´ω`*)
では、失礼いたします
(o_ _)o




