其の8 個別の決意と契約
静まりかえった室内に漂う重い空気を味わいながら、リアは膝に感じる冷たい床の感触を味わっていた。
自由となる両手は自然と膝の上に揃えられ、その瞳は哀しげな表情で遠くを見つめている。
身体と両足は鎖で縛られ正座をさせられていた。
それは強制的なものであり、彼女の身体は鎖で羽交い締めにされ身動きのとれない状態であった。
何故、自分がこんな目に遭っているのか眉間に皺を寄せながら疑問に思っていると鎖から彼女の思考を読んだ皐月が躊躇なく彼女の額を叩いた。
「アンタが悪いんでしょうが!」
怒声が飛ぶ。
「いったぁ!すいません、調子に乗ってましたぁー!」
赤くなった額を押さえながら涙目で謝る。
シリアスな表情で現実逃避を決め込んだ彼女を呆れた表情で見つめていた皐月の堪忍袋の緒が切れた瞬間だった。
浩介の部屋から強制退去させ、今は皐月の自室で綺麗な土下座をするリアを仁王立ちで見下ろしていた。
「何でそんなにアホなの?呆れてモノも言えないわ」
愛想笑いを浮かべるリアにため息を漏らす。
「てへへ、生まれつき?」
ゴンッ。
リアのボケに容赦なく拳が頭に振り下ろされる。
「はぁ、情けないわ。あんた五護衆の一人でしょ?」
五護衆、それは先の争いで理の力を使えない統治者達の代理で戦った各世界の五英傑の総称であった。
その名を聞くだけで戦場の空気を一変させる力がある。
味方は歓喜し敵は畏怖した。
それだけの存在感を保持し結果を残してきた。
五護衆同士の戦いとなれば戦場は修羅場と化し大地は揺れ、空は切り裂かれ、生きとし生けるものは息を潜める。
残されるのは無残に命を落とした者達の死体と変わり果てた世界だけであった。
その名を継ぐリアは普段はアホで痴女ではあるが、彼女が戦場に参戦するとその雰囲気がガラリと変わる。
血に飢えた獣と騎士の矜持を併せ持ち、君主の名を取り「フェンリルの騎女」として恐れられていた。
そんな伝説の通り名を持つ彼女を知るものが見れば、今の姿に唖然とし落胆するのが目に浮かぶ。
「まぁ、お飾りみたいなもんだしねぇ」
いつの間にか土下座を止め、頬を掻きながら今の平穏な世界での五護衆達の役割を思い浮かべ苦笑した。
「だってさぁ、想像できる?色んな肩書き付けられて事務仕事してる連中の姿?考えただけで笑えてくるんだから」
剣舞に秀でた者達が今では各世界の事務仕事に一日を費やす姿を想像し皐月も思わず苦笑する。
あの時代を知る者なら彼らにとって一番似合わない姿だと想像するのは容易いことだった。
「そう考えると貴方は幸せね。いつだって自分の欲望のまま自由奔放に生きてるんだから……ってか褒めてないわよ」
皐月の言葉に嬉しそうにヘラヘラ笑うリアを冷たく見下ろしながらため息交じりに鎖の呪縛を解き放つ。
「うーん、じぃーゆぅだぁ。あぁ、痛かった」
解放された両足を伸ばしながら床に大の字になって寝転がるリアを横目に皐月はソファに腰掛け彼女を見つめた。
「さてと、そろそろ本題に入りましょう」
その言葉に勢いよく起き上がると、近くにあった椅子を引き寄せて胡坐を掻いて座る。
「そうねぇ、まずは懸念してることから解決していくのが良いかもしれないわね。んで、皐月の感想は?」
少し楽しげに見えるリアの表情に不快感を露わにしながら皐月は頭の中で纏まらない考えを口にする。
「可能性は確かにあったけど、それは可能性の域を出る程では無かったわ…ただ、なんだろ?妙な違和感っていうか、彼から感じる意識の心底が見えないっていうか…」
鎖から読め取れなかった思考を表現するには何かが足りない気がして、その口調は歯切れの悪いものになった。
「うーんっ、難しいなぁ。候補者の可能性って確か統治者の血脈の有無よね?その可能性はあったの?」
その質問に悩む様子を見せながらも頷いて答える。
「あるにはあったんだけど、どの統治者の血脈とも違ってて確定が出来ないのよね。新たな血脈とも違う感じだし…」
本来、皐月の鎖は統治者の系譜を調べる際に用いられる物であり本流の血脈から分岐した統治者達の血脈の能力を調べることも可能ではあった。
浩介からは血脈らしきモノは存在するのだが、どの系譜なのかになると途端に霞が架かったように曖昧になってしまい判断することが出来なかった。
「正直な話、こんなことは初めてだわ。今まで系譜を調べるのにここまで判断に迷う事なんて無かったんだけど…あいつの血脈っていうか系譜が何なのかが分からないのよ」
右手に握る鎖を微かに鳴らしながら首を傾げる。
「まぁ、ただ神器が彼を認めたんだったら統治者の血脈が在るってことでしょ?だったら本人に直接、聞くしかないんじゃない?」
リアの至極まっとうな答えに拍子抜けしながら頷く。
「たしか、あんたが持ってきた神器ってアンタの主の持ち物よね。それって、たしか意思造りの神器よね?」
頷くリアに何かを思案するように眉間に皺を寄せる。
各世界に存在する神器は協定により、それぞれ別の血脈が納められたモノを統治者達が保有している。
それは別の血脈の力で統治者の力を押さえると同時に互いの能力を相殺するための切り札として使えるためだ。
そのため容易に他世界へと侵攻することが出来ず結果として多重世界の安定のためにも必要な存在だった。
リアが業罪の皇女の元へと神器を運ぶ際に襲われたのも、たとえ通り名を持つ五護衆だとしても襲う価値があると判断した他世界の思惑が垣間見えた。
どの世界かも神器の性質を見れば大体の予想がつく。
ただ、神器に納められた魂の欠片は少し厄介だった。
「意思造りの神器って事は……」
神器の魂に心当たりのある皐月が考え込む
「どしたの?そんな険しい顔して?」
キョトンとした表情を浮かべるリアに神器に納められた魂の欠片の意志が誰なのか想像し嫌悪感を露わにする。
彼女が持ってきた神器の意志は帝の意志の中でも最も扱いづらいグレンデルの意志ということになる。
帝の意志にはそれぞれの人格が存在するが、帝の意志だけあって一筋縄でいかない者達ばかりだった。
その中でも最も扱いづらく、それでいて最も情に厚いのが彼であり世界を混沌に落とし込もうとしながらも世界を救いたいと願う矛盾した思考の持ち主だった。
「…厄介ねぇ。まぁ、あんたの主と隣接してる世界があいつと常闇の世界だから仕方ないけど…うーん、あいつかぁ」
腕を組みながら考え込む皐月を楽しそうに見つめながら両手足を伸ばし大きく口を開け欠伸をする。
「ふわぁ、皐月となんかあったけ?グレンデルでしょ?私とは気が合ったんだけどなぁ。そんなに嫌い?」
意味が分からないと言わんばかりに首を傾げる。
「そうね、あんたとなら相性が良さそうだけど私にはとても無理ね。あの考え方の意味が分からないもの」
自由奔放な彼女には彼の考えは面白いと感じるのかもしれないが皐月の性格では彼の矛盾した性格の意味を理解するのは難しかった。
「そんなに変かなぁ?結構、素直だと思うけど?」
腕組みしながら不思議そうな瞳で見つめてくる。
「…どこがよ?あんな矛盾だらけの思考の持ち主、どれだけの人達が犠牲になったと思ってるのよ」
本気で分からないのかと呆れた表情を浮かべる。
そして、彼の奇行の数々を思い浮かべため息をついた。
彼の血脈は業罪の皇女と意思造りの皇子の本流とも言えるモノで端的に言えば面倒くさいの一言に尽きる。
救いたい者を追い詰め、殺すべき者を助け、世界を救いたいと願いながら崩壊へと導く。
多重世界の成り立ちの根幹とも言える彼の存在が皐月に取って理解しがたいのは仕方の無いことではあった。
帝の意志達の中で矛盾を定義し他の意識に投げかける。
他の意識は可能性を想像し具現化し世界を構築する。
世界はそれぞれの血脈が理解した上で実行し、今の多重世界の理を生み出し統治する。
結果として多くの犠牲と失われた存在が彼の存在を証明し、畏怖の念で彼の意識を共有することとなる。
それは恐ろしいことだった。
自らの手で選んだ結果の筈が彼の投げかけた矛盾に起因すると気付いたとき、人々は恐れた。
なぜなら自らの意志が、実は彼の手の内で弄ばれていたのではないかと錯覚し、その強迫観念に囚われ、自らの存在意義を否定する事に気付いてしまうからだ。
意志を操る者は疑心を生み、争いの火種を巻き起こす。
意思造りの皇子のように選択を拒否し、自らの意志で世界を創る者は自らの意思を形作る事も可能かもしれない。
何の知識も意志もない者は彼に呑み込まれ支配される。
結果として彼の意志は人々の意識に擦り込まれる。
恐怖と忘却と共に…。
「あいつ、大丈夫なのかしら?」
外見からは変化は見られなかった。
けれど、意識は分からない。
「どうだろうねぇ。血脈同士の意識の鬩ぎ合いって結局は本人の意志の強さのの問題だからねぇ」
腕組みしながら考え込むリアの姿は少し滑稽だった。
「あんた、ホントはどうでもいいと思ってるでしょ?」
図星を突かれたのか苦笑いを浮かべる。
「ば-れぇたぁ。うん、どうでもいい。私が興味があるのは世界の行く末だけだからねぇ。その過程も大事だけど最終的に結果を知りたい」
舌を小さく出しながら頭を掻く。
彼女達、エルフ族にとっては世界の知識を得ることが最も興味を引く関心事であり他者が生きようが死のうが結果を見ることが総てである。
そのためか人の生き死に薄情な面もあった。
けれど、リアは他のエルフ達と違っているのは君主に使えている事実である。
自らの身内や畏敬の念を持つ者に対してだけは文字通り命を賭けて打開策を見つけ救おうとする。
それに皐月は期待したのだが見事に裏切られた。
不服そうに眉間に皺を寄せる皐月に彼女は苦笑しながら二本の指を立て普段と違う真面目な口調で話し始めた。
「まず、第一に浩介は興味本位で触れてはならないモノに触れた。第二に神器に認められた時点で後は本人の意志の強さの問題であって私が求めるのはその先の世界の姿。だから私にとって浩介の意識の有無にさほど興味が無い」
怪しげな瞳で微笑み、皐月を見つめる。
「…わかってるわよ。あなたは結果を知りたいだけ。そのためだけに統治者の一人に命を捧げている。分かってるけど、それってさぁ冷たすぎない?」
たったそれだけのために、あの争いの渦中を君主のために命懸けで彼女は戦い君主を守り抜いてきた。
けれどリアの口から聞きたくもなく、それだけではないと信じたかった皐月の瞳が哀しげに曇る。
「ふぅ、仕方ないわね」
その瞳に根負けしたのか小さくため息をつく。
なんだかんだでリアは皐月に弱い。
立場的にではなく友人、いや戦禍を生き延びた仲間として彼女は皐月の思いをついつい尊重してしまう。
「まぁ、いい男だし協力してあげるわ。それに間近で世界の変わりゆく姿を見られるのも悪くないかもね…ただし」
口調と表情がガラリと変わる。
その瞬間、リアの瞳が深紅に染まった。
五護衆の力を解放し周囲の空気が張り詰める。
「我が主の命が拘わるとき、貴方達と敵対もするし場合によっては命を貰い受けるわよ。それでも良いのなら鎖の力を今すぐ解放しなさい」
それは『契約』だった。
多重世界において条件を掲示し力の解放を求める事は契約と呼ばれ互いの意志なしでは解除することは出来ない。
一方的な破棄は自らの力に呑まれ命を失う。
力を持つ者同士の無益な争いを防ぐ手段として世界間で主に統治者同士で用いられるモノだった。
皐月の鎖が反応し力を強める。
ジャラ。
張り詰めた空気を鎖の音が引き裂く。
「いいわ、その契約を受けるわ。業罪と世界の契約者の名の下に汝と我の契約を遂行する……ったく、ここまでしないと協力してくれないなんてあんた、よっぽどよ」
リアの瞳に皐月の血脈を表す紋章が刻まれ、鎖にはリアの力を示す紋章が刻まれた。
これでどちらかが契約を違反した場合、互いの意志がなければ紋章の力が発動し自らの力を暴走させ命を奪う。
自らの力に呑まれ死んでいくことほど苦痛に満ちた死に方はこの多重世界には存在しない。
そのため契約は互いの信頼関係があってのことだった。
「てへへ。馬鹿だけど一応あいつは主君だし私も命を捧げた以上は護る義務があるからねぇ」
いつもの口調に戻りヘラヘラ笑うリアを見つめる。
その瞳が元に戻ることで張り詰めた空気が消え去っていく。
コン、コン。
契約の終結に合わせたかのようなタイミングで控え目に扉を叩く音が聞こえた。
「開いてるわよ」
誰が来たのか直ぐに分かった。
剣舞に秀でた者であるならば部屋の中で何が行われているかは張り詰めていた空気で察することが出来る。
屋敷内でそれが理解できる者は一人しかいない。
五護衆の一人と戦い生き延びた者、エレボスだ。
「失礼致します」
静かに扉を開き彼は二人に対して深々と一礼する。
「なにか用かしら?」
屋敷の主の一人として一礼する彼に声をかける。
「はい、皐月お嬢様。折り入ってお話が御座います」
皐月の言葉に顔を上げ真っ直ぐとその目を見つめる。
彼の瞳は確固とした信念に満ちておりただ事でないことは明白であった。
「何かしら?あなたがそれほどまでに真剣な眼差しを向けるのは久方ぶりだと思うけれど?」
自分の瞳を見つめる彼に何かを感じる。
が、椅子に胡坐を掻いているリアといえば久しぶりの再会に嬉しそうに笑顔を向ける。
「あっ、エレボスぅ!ひっさしぶりぃーってか、どうしたの?そんな眼してさぁ?」
さすがのリアでさえエレボスの瞳に何かを感じた。
「恐れ入ります。頼みと申しますのが、猊下のお姉様の件に御座います。皇女殿下から命を受けておりますが知っての通り、異世界への空間転移は非常に難しく御座います」
その先の言葉は皐月には直ぐに理解できた。
「私の力を使いたいわけね……」
手元の鎖を鳴らしながら見つめる。
「…御意」
頭を垂れるエレボスに鎖が生き物の様に近寄っていく。
「いいわ、限定的に貴方に貸し出しましょう」
彼の右手に鎖が巻き付き、音を立てて千切れる。
「ただし、命の保証は出来ないわよ」
冷たい瞳で彼を見下ろす皐月に彼は静かに頷く。
彼女の力は常人に制御できるモノではない。
扱いを間違えれば空間の狭間で彷徨うことになる。
だが、彼の瞳はそれすらも覚悟の上であることを示しており彼は右手に感じる血脈の力を感じながら膝を折り、深々と頭を垂れ、右手を皐月の前に見せる。
「御意。お嬢様の力、しばしお借り致します」
「汝の旅路に幸あらんことを」
差し出された右手に触れ、手向けの言葉を与えた。
「有り難きお言葉、畏れ入ります。それでは、これより向かいます故に失礼させて頂きます」
姿勢良く立ち上がり深々と一礼すると部屋を後にする。
「えっれぼぉすぅー、気をつけてねぇ」
緊張感のない声に軽く手を上げて答える。
彼女は客人である前に彼にとっては戦友であり、執事としては今の態度は失礼であっても二人にとっては気心知れた挨拶のようなものだった。
バタンッ。
扉が閉まるとリアは皐月に興味深げな瞳を向ける。
「っで?お姉様って?」
その瞳が候補者の可能性に関してなのか、彼女の性癖の興味なのか判らず返答に戸惑うが皐月は前者を選んだ。
というより、そうであってほしい願望だった。
「彼女には私の鎖が見えたの。異世界で私の鎖が見える、それ自体が異常な事よ……こっちじゃない?」
首をブンブン振りながら、その話ではないと否定する。
「あんたとさっき話した会話だとこっちの筈よね?」
『契約』までしておいて彼女の興味の矛先が姉の容姿であることに皐月はホトホト呆れ返った。
「だってさぁ、候補者は可能性だけでしょ?それだったら興味が湧くのはお姉様の姿に決まってるじゃない」
「…決まってるんだ」
確定的に言われてしまい、悩んだ自分がアホらしくなりながら垣間見た姉の容姿を思い返す。
一瞬ではあったが彼女、上山美弦は美人ではあった。
ただ、出会ったタイミングが悪かった。
その際で浩介は心を折られることとなったのは云うまでもなく、彼女は物凄い勘違いをする性格ではあった……。
「そうねぇ、容姿端麗な美人だったわね」
「びぃじぃーん!?はいっ、きましたねぇ美人の姉。じゃあ、私ちょっと用事があるから帰るねぇ……ぐえっ!?」
そそくさと立ち上がり、手を振りながら出て行こうとする彼女の身体を鎖が容赦なく縛り付ける。
額に青筋を浮かべ瞼の端が痙攣させながら力任せに引き寄せる皐月の姿に「やりすぎたぁ」と叫ぶ情けない声が空しく部屋中に木霊していた。