其の40 常闇とフェンリルの世界
これにて長かった第三章が終わりとなります
次章からは新たな世界との話になります
全く出てこなくなった方々が出てくる予定となっていますのでしばしお待ちください
では、お楽しみください
あまりの金額に常闇からの書簡が皐月の手を離れヒラヒラと宙を舞いながら最終的にミアの手元へと流れ着いた。
「やっぱり碌でもない…」
項垂れながら呟く皐月の姿を横目に目の前の書簡を拾い上げてミアは内容に目を通した。
〔…おっと〕
その金額に思わず苦笑してしまう。
皐月が項垂れるのも無理もない。
かなり法外な金額であったからだ。
彼女の姿を見る限りタラニスの策略は見事に機能したと言わざる終えない。
なぜなら、彼は武力ではなく知力で皐月達に対抗したからだ。それこそが彼の真価でもある。
数日後の交渉のための前段取りは先ず武力を無力化することであり、対話に横槍を入れさせないことが重要であった。
皐月達を同席させるのも抑制の意味が込められている。それに加え彼らの介入を防ぐために打った手が例の書簡である。
金額の下に注釈が小さな文字で〔但し、和平会談に同席し互いの譲歩を得ることが出来れば此度の請求は無効とする〕と控えめに書かれていたのだ。
「あんの喰わせモンが…」
項垂れていた肩をプルプルと震わせながら皐月は苦々しげにタラニスの策略に乗らざる終えない状況に腹立たしい思いだった。
その何とも言えない雰囲気を察したのかディーバは一歩後退し澄んだ声を上げる。
「では、失礼いたします」
そして、逃げるように部屋を後にする。
残されたのは癇癪気味の皐月。
甲斐甲斐しく浩介を看病する異常者ニル。
部下に蹴飛ばされ、ふて腐れたリア。
そんな奇人変人達を目の当たりにして、知らずの内に深い溜息を漏らすミアであった。
*
フェンリルの世界に向かう道中の馬車の傍に近付いてきた斥候に気付きタラニスは窓を開ける。
「ご推察の通り、帝の使いはフェンリルの世界にて客人として扱われておりました」
そこまではタラニスの予想通りだった。
「…で、例の物は?」
ここからが重要であった。
「はっ、例の物は帝の使いへと間違いなく届けられたことは確認しております」
斥候の言葉に例の書簡が帝の使いに手渡された事が判り、タラニスは内心でホッとしていた。
けれど、そんな感情を表に出すほどタラニスは未熟ではない。報告してきた斥候に軽く頷き、次の命を与えて下がらせる。
窓を閉めてようやく安堵の溜息をつく。
今回の会談の一番の肝となる策略が上手く機能したことに安心したのだ。
「…ふぅ、出だしは上々だな」
このような駆け引きをしなければならなくなった時点で詰んでいたが、帝の使い達の行動のおかげで和平への筋道を見出すことが出来た。
このまま、順調にいけばそれほどの損害を出さずに丸く収めることが出来るだろうと踏んでいる。
武力による圧政は武力によって押さえ込まれる。故に武力ではなく対話へと切り替えることが大事だとタラニスは常々、考えていた。
常闇の世界の感覚ではまさに真逆ではあったが、あの無意味な戦を経験してきたタラニスには武力は無駄であるという考えしかない。
兵の鍛錬、兵料の備蓄、武器防具の確保、それら全てを経済に回せばどれだけ世界が豊かになるのか……。
「ふぅ…机上の空論だな」
眉間を押さえながら呟く。
この世界に迷い込んで幾数年、アルベルトの思い付きに振り回されて、その尻拭いを命懸けでこなしてきた日々を思い出す。
半死半生になったのは数え切れない。
正直、よく生きてこられたと自分自身でも信じられないぐらいだった。
身体にはその証とも言える深い傷が幾十にも積み重なっており、そのほとんどがタラニスと同じ他世界の五護衆から受けた傷ばかりである。
そんなことを思っていると胸元に受けた昔の古傷がズキズキと痛んだ。
それはリアから受けた傷だった。
当時を思い出し痛む古傷に触れる。
「また、会わねばならぬとは……」
タラニスはリアに対して良い印象を抱いていない。彼を半死半生まで追い詰めたのが彼女だから当然のことだろう。
多くの戦場で彼女と対峙したが、彼女の戦いぶりは思い出すだけでも寒気が走る。
騎士として模範的な所作を行いながらも、主君の世界を脅かす者に対しては一切の情を持たない。
敵の殺意が存在する間、彼女は一陣の風となり行く手を阻む者達を刈り取っていくのだ。
その姿は鬼女の名にふさわしかった。
あと数日もせぬうちにタラニスには彼女の守護する世界へと足を踏み入れる。
こちらから仕掛けた戦の処理のためにタラニスが向かわなければならないのだ。
「…無事に済めば良いがな」
多くの策を用意はしてはいるが、その全てがタラニスには決定打にかけるものに見えた。
「これを使わねばならぬかもな…」
傍らに置いた木箱へと視線を向ける。
それは常闇の世界が管理する帝の魂の欠片であり、最悪の場合はこれを帝の意志を継ぎし者へと献上し恩赦を得るしかないとまで考えていた。
幸いにもフェンリルは帝の使いに身を委ねた。神器に認められた者がいたのだ。
世界が変わるかもしれない。
淡い期待が脳裏を過ぎる。
三百年もの月日が産み出した歪な多重世界、それらが在るべき姿に戻る日が来たのかもしれない。
その世界を見たい気持ちはもちろんあるが、それと同時に言いしれぬ恐怖も感じる。
タラニスには神器が納められた木箱に触れる。微かにではあるが意識が飲まれそうな力を感じた。
彼は他の強者達が人気に触れ消滅したのを何度も目の当たりにしていた。
タラニス自身もその欲求に駆られた時期はあったが、消滅していった者達を見て自らの分を弁えたのだ。
「これに触れる勇気が在る者か…」
会ってみたいと思った。
その者の技量を見たい欲求に駆られる。
所詮はタラニスも常闇の世界の住人なのだ。人外の力を持つ五護衆の一人として血湧き肉躍る。
だが、タラニスは知らない。
神器に認められた者は消滅する覚悟を持って触れたわけではないことを……。
けれど、タラニスの心中では浩介の存在がどんどん過大評価されていく。
「…楽しみだな」
口元に微かに微笑を浮かべ出逢える時を心待ちにするタラニスだった。
*
常闇からの使者が屋敷を去って直ぐにフェンリルは主要な者達を集め対策を講じ始めた。
「我らは被害世界であります。自ら攻め込んできた挙げ句に和平交渉など都合が良すぎる!断固、突っぱねて開戦に踏み切るべきです!」
軍部のトップである虎獣人の男が机を何度も叩きながら大声で吠える。
その声はすでに雄叫びに近い。
響き渡る虎獣人に全員が耳を塞ぐ。
そんな中で…。
「ウッサいなぁ…そんなにギャンギャン吠えなくても聞こえてるってば、おっちゃん」
彼をおっちゃん呼ばわりする人物が居た。
リアである。
一応は軍部の精鋭、第一近衛師団の団長であるリアは不幸なことに彼の隣に座らせられていたのだ。
本人曰く「いい迷惑」なのであるが男はリアに対して頬をヒクヒクと震わせ怒りを露わにする。
「誰がおっちゃんだ!お前よりは断然、若いわ!この妖怪年増ババァが!」
売り言葉に買い言葉である。
一般人から見ればリアはエルフ族であるため、男より年上なのは当然なのだ。
だが男は触れていけない一線を軽々と乗り越えてしまったことに気付かない。
リアが長い耳を折り曲げるようにしながら眉間に皺を寄せ血の気の上った男を横目に見つめた。
「…誰が年増だって?」
リアの瞳が冷たく男を射貫く。
その光景にフェンリルの無言の頷きと共に周囲の者達が慣れた手つきでそそくさと避難を始めた。
そう、いつものことなのである。
この二人は事あるごとに言い争いになり、周囲を巻き込んで暴れてしまうのだ。
片や軍部のトップ、多くの戦場で先頭に立ち兵達を指揮しながら自らも敵陣に突っ込むほどの蛮勇の持ち主であり、リアは言わずと知れた多重世界に五人しか居ない五護衆の名を冠する存在である。
力の差は歴然であるにも関わらず男は事あるごとにリアに噛みつくのだった。
周囲が白い目で見つめる中で二人は自分たちの世界に入り込み睨み合う。
「全くこの二人は…成長しない…はぁ、今回は修繕にどれぐらいかかるのでしょうな…」
宰相である初老の男が溜息交じりに被害額の計算を頭の中で始めガックリと項垂れる。
「まぁ、良いではないか。いつもの事じゃ……それより、オッズはどうなっておる?」
宰相の嘆きを慰めながらもフェンリルは楽しげな表情を浮かべながらいつの間にら傍らで賭けを始めている土下座騎士ことリーアムに尋ねる。
その手にはいつの間に作成したのか二人の争いのオッズ表があり、それをフェンリルに見せる。
「倍率が一番高い大穴が屋敷の全壊、低いのが……いつも通りですね。私としては会議室半壊がお薦めですね……あっ、そろそろ締め切りますが?」
リーアムの説明を聞きながらオッズ表を眺めるフェンリルは少し考えた挙げ句まさかの屋敷全壊に高額を賭けた。
その姿に宰相がガックリと肩を落として大きな溜息をついたのは言うまでもないだろう。
そんな賭けが行われているとは露知らずな二人は未だに睨み合いを続けている。
そして、口火を切ったのは男の方だった。
「やるのか?この年増エルフ!」
椅子から勢いよく立ち上がる虎獣人の男の発言にリアは瞳を大きく見開いて信じられない様子で男を指さす。
「あぁ!?また言ったぁ~!うっわぁ~、さいていだぁ~!もうあったまきたぁ!!」
リアも勢いよく立ち上がる。
その身長差はさすがは虎獣人である。二メートルを超す巨体がリアを見下ろし小馬鹿にしたように鼻で笑う。
けれど、リアにとっては身長差など些細なことに過ぎない。戦場では自分より遙かに高身長で体格の良い者達を多数対一で相手にしてきたのだ。
鼻で笑う男を両手を軽く上げ、首を横に振る。
「この木偶の坊…毎回、毎回、うら若き乙女を年増扱いして図体に似合わず小さい男だねぇ~」
挑発するリアにまんまと乗っかってくる虎獣人の男、顔を真っ赤にして座っていた椅子を持ち上げリアへと勢いよく投げる。
ガッシャン!
椅子が原形を留めず粉砕し床に散らばる。
その勢いを示すかのように床に穴が開いた。
だが、その場にリアの姿はない。
瞬時に彼の背後に回り、手近な椅子を彼の脳天に叩きつける。だが……。
「…いってぇなぁ」
頭を掻きながら椅子の残骸を鬱陶しそうに払いのけると、拳を握りしめてリアに向け勢い良く振り抜く。
けれど、その拳は宙を斬る。
リアの姿を見失いキョロキョロと周囲を見渡す男に離れた場所からリアがさらに挑発する。
「やぁ~い、とんま、ノロマぁ~!」
小馬鹿にした口調でリアは男を煽っていく。
彼女の早さに追いつける者は数少ない。
男が拳を振り抜くまでにリアは余裕で彼の背後に回ることが出来るのだ。
よって、先程の賭けの対象がどれだけの損害を被るかになるのだ。決して、どちらが勝つかではない。
武力勝負でリアに勝つことは常人では決してあり得ない。半ば必然として毎回、虎獣人の男が辛酸を舐めることになる。
故に当初の賭けの対象は男がリアにどれだけの時間、耐えられるかだったのだが、何時の間にか二人の争いの損害が対象となってしまったのだ。
この世界の皇女は九尾の尾を持つフェンリルである。神を殺し、国を滅ぼす存在が目に見えて判る勝敗に興味を持つはずがない。
それに常闇の世界の和平交渉に反対するのは男だけであり、彼の意見は最初から通ることの無いものであった。
ならば、なぜ主要な人物を集めたのか……それは、単純に彼らの争いが賭けの対象になるからだ。
何度も言うがこの世界を統べる皇女はフェンリルなのだ。宰相の心境を察して止まない。
そして、この賭けの最も倍率の低い結果が思っていたよりも早く起きるのを察することの出来たのは結果として一人しか居ないのだ。
リーアムである。なぜなら……。
「…団長、お痛が過ぎます」
室内の扉が開き一人の騎士が入ってくる。
「なんじゃ、思っていたよりも早かったな…また、妾の一人負けなのじゃ…のぅ、ディーバ」
その騎士に残念そうにフェンリルは声をかけるがディーバは妹であるリーアムを睨みつける。
「また、お二人を賭けの対象にしてたのね……全く毎度、毎度、嘆かわしい」
ディーバに睨まれリーアムは慌ててオッズ表を隠すが、その表情からは笑みが溢れている。
「ボロ儲け…うひっ」
双子の姉妹であるリーアムはいつ頃、ディーバが来るのか感覚では判るのだ。負けるはずがない。
カツン、カツン、カツン。
ディーバの靴音が二人に近付いていく。
怒りに身を任せ物を壊しまくる男の背後に近付くと鳩尾に渾身の力を込めた一撃を放つ。
「…ぐっはぁ」
リアの挑発に我を忘れていた男はディーバの存在に気付かず渾身の一撃に悶絶する。
そして……その矛先がリアへと向けられる。
「…ちょ、ディーバ?え~っと、私ってば貴女の上司よね?貴女より偉いよね?」
ディーバの気迫にリアは焦りを見せる。
「どなたがですか?私の上司は五護衆の名を冠する方の筈ですが?間違っても格下相手をからかって周囲に迷惑をかけるお人では無いはずですが?」
周囲を見渡し見るも無惨な室内に小首を傾げながら不思議そうにリアを見つめる。
力では勿論リアには勝てない。
けれど、リアはディーバに苦手意識があった。あの蔑んだ目に身体中が震える。
「まっ、まってディーバ!?私は悪くない!悪いのはぜ~んぶ、このおっち……ゃん」
思わず口を噤んでしまう。
ディーバの表情は微笑んでいるのだが瞳は一切笑っていないのだ。
「…おっちゃん言うな」
どうやら、おっちゃん発言だけは看過できなかったらしく痛みに呻きながら呟くと意識を失った。
周囲の者達が撤収の準備を始める。
賭けをしていた者達はリーアムが広げた革袋に悪態をつきながら金貨を放り投げていく。
ずっしりと重くなった革袋を片手に満面の笑みを浮かべるリーアムにディーバの視線が突き刺さる。
「…没収ね」
その言葉にリーアムは顔を青ざめ打ちひしがれるように膝から床に崩れ落ちた。
「…そ、そんなぁ」
涙目のリーアムの肩にそっと手を置く人物がいた。宰相である。
その表情は笑顔であった。
「修繕費を集めて頂き有り難うございます。このお金は大事に使わせて頂きます」
宰相は金貨の詰まった革袋を奪い取る。
打ちひしがれるリーアムを横目にディーバは一歩ずつリアへと近付いていく。
彼女が何をするのか想像のつくリアは乾いた笑いを浮かべながらディーバを見つめる。
「…天誅」
リアの眼前でディーバは自らの右足を高々と上げ冷めた瞳を浮かべながら勢い良く振り落とした。
ゴンッ。
綺麗な踵落としがリアの脳天を直撃する。
「…痛い」
頭を押さえ蹲るリアは涙目で恨めしそうにディーバを見つめ呟くのであった。
ディーバの仲裁?により一段落がついたのを見計らって手を軽く叩きフェンリルは他の者達の視線を集める。
「よし、撤収じゃ。常闇との和平交渉に向け各自、準備をいたせ!よいな?」
「御意」
そしてフェンリルは、何事も無かったかの如く周囲を見渡し他の面々の頷く姿を確認すると床に這いつくばる三人を踏み越えて退出していく。
室内に残された三体の屍はそれぞれの部下が、面倒臭そうに引きずりながら連れて行く。
その姿はあまりにも不憫であった。
常闇とフェンリルの世界間紛争は数日後の和平交渉により終幕する事となるのだった。
読んでいただきありがとうございます
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ブクマ、評価をありがとうございます
(*´ω`*)うれしいです
それでは失礼いたします
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