其の36 狂喜と不運、それが日常
ニル…壊れてます
ミア……諦めました
そんな話です
では、お楽しみ下さい
ひたすら土下座する女騎士を何とか宥めて見送った浩介は扉を閉めて大きなため息をついた。
「はぁ~、何なんだ?一体?」
彼女が話した内容など碌に頭に入っていない。
たぶん、常闇の世界から和平の使者が来るといった内容だろう?というぐらいで、それ以上に女騎士の印象が強く残っていたからだ。
「どうでもよいのじゃが……彼奴等は大丈夫なのか?あの女騎士はエルフと獣人にえらく怯えていたように思えるのじゃが?」
呆れた表情で彼女を見送った雅はあそこまで怯えさせるリアに寒気を感じたのか二の腕を両手で温めるように擦っていた。
「全く心外ですよね。こんな可愛らしい容姿の子に怯えるなんて、この世界は歪んでいます」
抱きしめたミアに満面の笑みを浮かべながら力説するニルの表情は気のせいか狂喜を孕んで見える。
「エルフに怯えるのは同感です……」
死んだ魚の目ような瞳でボソリとミアが呟く。
その姿はあまりにも不憫過ぎて誰もが目を追わせることすら躊躇させていた。あの雅ですらもだ。
ここ数日、ミアに自由は一切なかった。
朝、目覚めれば傍らにニルがいる。
食事もニルの膝の上である。
移動もニルに抱えられての移動である。
挙げ句の果てにはトイレにまで付いてこようとした時には流石のミアも半泣きで拒否をした。
そのため、どうしても束縛から逃れたくなった場合の最後の手段がトイレに行く事だった。
「トイレに行きたいです……」
虚ろな瞳で呟く。
その言葉にこの世の絶望を味わったかのような表情で項垂れながらニルは泣く泣く離れるのだった。
「早く戻ってきて下さいね…」
バタンッ。ガチャ。
涙目で見つめる瞳を無視して扉を閉める。
勿論、しっかりと鍵を掛ける。
漸く一人になり、ミアは大きな姿見が備え付けられた化粧台に腰掛けガックリと項垂れる。
「…はぁーーーーぁ」
そして、長いため息をつくのだった。
「…何でこんな目に」
その一言に尽きた。
業罪の皇女の命を受け、常闇の世界に潜伏していたミアは今まで命の危機に何度も見舞われた。
だが、そんな危機より今の状況の方が精神的にキツい。朝、目覚めると傍らに瞳を大きく見開きながら自分を見つめてくるニルに何度、絶叫しそうになったか判らない。
「…自由が欲しい」
かなり切実な願いであった。
けれど……。
「まだですかぁ~?まぁ~だぁ~ですかぁ?……はっ!?まさか、どこか悪いんじゃないですか!この扉を開けて下さい!看病します!」
ガチャガチャ、ドンドン、ガチャガチャ。
奇声に近い声を上げながら、ニルはミアの安否を確認しようと扉を叩き、ノブを何度も回す。
バキッ。
嫌な音が聞こえた。
何度目の破壊だろうと虚ろな瞳で考える。
この先の展開も何時もと同じだろうなと思いながら扉を見つめていると今までの喧騒が嘘のように静まり返った。
ギィー。
軋んだ音と共にニルが顔を覗かせる。
「ミアちゃ~ん、大丈夫ですかぁ~?」
その血走った瞳と目が合いミアは背筋に例えようのない寒気を感じるのであった。
*
扉の前で意気消沈していたニルが何かに気付き、奇声を上げながら叩いている姿を雅と浩介は冷めた瞳で見つめていた。
バキッ。
聞き慣れた音が聞こえ浩介はため息をついた。
「…あっ、また鍵を壊したのじゃ」
雅は呆れた表情を浮かべている。
フェンリルの屋敷に滞在して今日までに破壊された鍵が幾つになるのか数えるのも面倒なくらいだ。
その度に屋敷の人間に頭を下げるのだが、苦笑いしながらも対応してくれる人達に浩介は唯々、感謝するしかなかった。
ただそんな人々の同じ呟きが気になった。
「…まぁ、エルフ族ですから」
「ですよねぇ」
「ま、まさかリア様と縁戚……ちがう、はぅ良かった。二人もいたら大事ですからねぇ」
そんな彼等の会話に浩介も苦笑いしか出てこない。最後の人は女騎士と同じように震えていたので優しく否定しておいた。
この世界はどうやら中枢に近い人物ほどあの二人に対して怯える傾向があることが判った。
「どんだけなんだよ…あいつら。この世界をあの二人に任せて大丈夫なのか?」
他人事ながら不安になってくる。
だが、そんな不安も雅に言わせれば大したことでは無いらしい。
「言葉では言いづらいのじゃが……うん、雰囲気じゃな。この世界の者達はどこか安心しきった空気で満たされておる。永い年月、多くの世界を観てきたがかなり珍しいのじゃ」
指折り数えながら説明する雅。
仕草は幼い子供のようであるが、彼女は数千年を生きる精霊である。多くの世界を観てきていたのだ。そのためか、彼女の言葉には重みがあった。
「…そっか、愛されてんだな」
浩介は優しい微笑を称える。
その浩介の姿にキョトンとした顔を雅は浮かべた。その姿が別人のように見えたからだ。
遙か昔、雅を傍らに数多くの世界を渡り歩いた者の横顔とダブって見え、雅はニッと笑みを浮かべ浩介の背中に抱き着いた。
「妾も主殿を愛しているのじゃ!」
思い切り背中に抱き着いてきた雅の柔らかい感触と甘ったるい香りが浩介の鼻腔を擽る。
「うわっと!?雅?どうしたんだいきなり?」
いきなりのことに驚く浩介に雅は「えへへ」と笑いながらギュッと背後から抱きしめる。
あの宝物庫での永い年月、使われることのなかった日々、そんな無意味な時間も今の雅の幸福を増しているのかもしれない。
「…今の妾は幸せ者じゃ」
不意に口調が大人びたモノへと変わる。
横目でチラリと盗み見た浩介は息を飲んだ。
普段のあどけない仕草からは想像もつかないぐらい艶やかで…何より綺麗だった。
「…雅」
思わず彼女に見とれてしまう。
「…楽しそうですね」
ミアの冷たい瞳が浩介を襲った。
ビクッと身体を震わせ振り返る。
ニルに抱きしめられ、ダラリと両手足を伸ばした無抵抗姿のミアに浩介は反射的に視線を逸らした。
その瞬間、雅の唇が浩介の頬に当たる。
コレは不可抗力ではある。
だが、ニルの瞳は大きく見開かれる。
「…き、キス、雅様……羨ましぃ」
ミアを抱く両手がワナワナと震えている。
そんなニルを横目に獣耳が何かを察知した。
「大丈夫ですよ…裁きは下されますから」
ミアはゆっくりと目を閉じながら呟く。
意味が判らずニルは首を傾げる。
だが、雅はよっぽど嬉しかったのかテンションがかなり高めである。
「主殿ぉ~!もう一回するのじゃ!」
背中に抱き着きながらキス顔で足をバタバタさせる雅に浩介は顔を紅くしてしまう。
「今のは不可抗力だ!おまえ、こんなのアイツに見られたらどうなると思ってんだ……死ぬぞ」
その言葉にハッとに我に返る雅。
「…そ、そうじゃ。殺される…妾は何を取り乱していたのじゃ」
抱き着いていた両手が緩む。
「…ふぅ」
当面の危機を回避できた事に安堵のため息をつくと雅をソファに座らせて優しく頭を撫でてやる。
「うぅ、主殿ゴメンなのじゃ!悪かったのじゃ!」
涙目で俯き謝罪する雅は何を思ったのか、今度は真正面から浩介に抱き着いて更に謝ってくる。
流石に浩介も意味が判らず焦ってしまう。
「おい、さっきよりヤバいぞ……この状況」
脳裏に浮かぶのは最悪の結末……けれど、涙目で何度も謝ってくる雅を無下にする事が出来ない。
「しょうがねぇな……」
苦笑いしながら浩介は雅を撫でてやる。
だが、その判断が命取りになるなどとは微塵も思っていない二人にミアの予言した裁きの瞬間はもう目の前に迫っていた…。
ガチャ。
不意に扉が開いた。
その瞬間、ニルはミアを抱きしめ隣の部屋へと早足で避難していく。ミアはこの後の惨劇を想像し口元に笑みを浮かべる。
「少しは気が晴れます…」
そして、その瞬間が訪れるのであった。
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