其の6 執事の献身
皐月に縛られたまま引きずられるようにして元いた部屋に戻された浩介はようやく鎖から解放され、縛られていた身体を解しながら意識の奥深くに芽生えた新しい感覚を味わっていた。
「ふっふふん!こーぉーすけぇ、えぇ身体してるねぇ」
それとは別に鎖とは違うモノが腰の周りに抱きついて何かほざいているが浩介は見ないようにして……無視をする。
あの箱の中身に触れて意識を失っていた数十秒の間に浩介は多くの見知らぬ記憶と誰かの意識を受け継いでいた。
それらは自分の古い記憶のように曖昧なモノではあったが、自ら経験した記憶のような感覚を伴っており奇妙な違和感があった。
「あれは何だったんだ?」
思い出そうとすると離れていく記憶の断片を少しずつ組み合わせていきながら、ぼんやりと天井を見つめる。
「なんなんだろうねぇ?」
側で聞き覚えのある声が聞こえるが無視をする。
「うーん、なんだろ?自分の記憶…にしては違和感があるし……ってかお前はさっきから何してんだ!」
浩介の身体に抱きついたまま離れようとしないリアに気が付いていたが敢えて無視を決め込んでいた浩介は余りのしつこさに根負けして頭を掻きながらため息をつく。
「セクハラ?」
浩介の問いに少し首を傾けながら上目遣いで聞き返す。
「疑問系で応えんな!あぁー、しまったぁ!ついに突っ込んじまったぁー!」
思わず突っ込みを入れてしまい、ニヤリと笑うリアに彼女のペースにハマった事に気が付き頭を掻きむしる。
皐月と二人で部屋から出て行ったはずのリアが何故だか部屋におり浩介の腰回りに抱きつき、執拗なぐらい身体を密着させてくる痴女具合はかなり度を超え始めていた。
彼女を見下ろしながらその容姿、行動を観察する。
異種族というのもあるが普通にしていたら容姿端麗で、喋らなければ誰もが振り向く美人の部類に入るだろう。
正直なところ、ここまで懐かれれば悪い気はしない、しないのだが彼女は皐月の言うとおりアホで痴女の言葉がピッタリと当てはまるのが残念でならなかった。
「なぁ、そろそろ離れてくれないか?じゃないと、たぶん大変なことになるぞ……」
背後の扉から感じた殺気に浩介は冷や汗を掻きながら気付かないリアに声をかける。
「うんっ?なにがぁ?」
まるで猫のように喉を鳴らしながら身体中を触りまくり上目遣いを止めようとしないリアに最後の助言をした。
「…扉の先を見てみろよ」
低い声で後ろを指差す仕草に不思議そうに身体の隙間から覗き込み、すぐに青ざめた表情でゆっくりと浩介から離れ、素早く逃げる体勢に移すが時すでに遅しだった。
「グェッ!?く、くるしぃ。」
リアの身体を極太の鎖がグルグルに巻き付き、その鎖を握る鬼の形相の皐月がこちらを睨んでいた。
「あんたたち、いい加減にしなさいよ?」
指先がプルプルと震えているのが振り返らずとも鎖の揺れ方で察しがつくまでには経験で感じ取った浩介は、その怒気に満ちた声に後ろを振り返るのを躊躇させる。
「あんたたち」と一括りにされた誤解を解かなければ待っている未来はリアと同じなのは容易に想像できる。
「…ごくりっ」
生唾を呑み込み覚悟を決めて後ろを振り返った瞬間、すでに手遅れであることを悟り、直ぐさま土下座する。
「調子に乗ってすいゃせんでしたぁ!」
それをさせるだけの鬼気せまるオーラを感じっ取った浩介の判断が正しかったことをリアが証明した。
「あんたは大人しくしてなさい!っで、あんたは……」
ジャラジャラ、ゴンッ!ジャラジャラ、ゴンッ!
鎖が音を立てながら床を這い、縛られたリアは必死の抵抗も虚しく何度も床に頭を打ち付けながら部屋から引きずり出されていく。
「いや、いたっ!や、やめてぇ!ころされるぅーー!」
半泣き状態のリアの悲痛な叫び声が廊下に響き渡りながら、それを掻き消すかのように鎖の音と怒声が飛ぶ。
「や・か・ま・しい!!」
そして、扉が閉まり静寂が部屋を満たしていく。
土下座したまま嵐が通り過ぎるのをひたすら待ち続け、鎖の音とリアの泣き声が聞こえなくなって浩介は恐る恐る顔を上げると見知らぬ人物が目の前に立っていた。
「…何をなさっておいでですかな?」
執事服に身を包んだ初老の男性が苦笑した表情を浮かべ浩介を見下ろしながら片手を差しだしていた
「えっ?うわぁー!」
その声に今まで気配すら感じなかった浩介は驚きながら尻餅を付いて何が起きたのか分からず、まじまじと声の主を見つめる。
「どうぞ、お手をお取りください。男子たる者がそうそうと頭を下げるものではありませんよ」
柔和な表情ではあるが、どこか殺伐とした感覚に襲われ浩介は差し出された手をとり立ち上がった。
「ありがとう、えっとぉ?」
なんと呼べばいいのか迷っていると男性は折り目正しく一礼してから自らの名を名乗った。
「この屋敷の執事長を勤めさせて頂いておりますエレボス・レアと申します。以後お見知りおきを、猊下」
改めて深々と一礼する。
「猊下って、大層な?エレボスさんだっけ?俺はそんな呼ばれ方されるほど偉く無いんだけど?」
頭を掻く浩介に顔を上げずにエレボスは恭しく答える。
「貴方様は神器に選ばれた方で御座います。故に貴方様を名で呼ぶことは無礼に値いたします。故に勝手ながら猊下と呼ばせて頂きました」
頭を下げたまま浩介の質問に答えるエレボスを困惑した表情で見つめながら、どう対処するべきか思案する。
「頭を上げてください。年上の方に頭を下げられたままだと何だか気まずいんで」
正直なところ、こういった対応に慣れていない身としては気まずさだけが残り居心地が悪く頭を上げるよう促す。
「では、失礼します」
洗練された仕草で顔を上げ、柔和な表情を見せることで浩介はようやく落ち着きベッドに腰掛けた。
「ところで神器って?もしかして、箱に入ってたモノがそれだったんですか?」
慣れない敬語を使いながら聞き慣れない神器と言う単語と思い当たる節を脳裏で重ね合わせ自分の予想を立てる。
「御意、猊下が触れたモノが神器と呼ばれております。神器は先の統治者の魂の欠片と言われており、触れて認められる事になれば本流の統治者としての資格を得ることになります……ですが、もし認められなければ存在そのものが消滅します」
背筋に寒気が走るのが分かった。
「消滅って、どういう?」
少し震える声で質問する浩介に片眉を微かに動かし、何かに気付いたのか柔和な表情が一瞬、険しくなった。
「知らずに触れたのですか?」
小さく頷く姿に少し驚いた表情を浮かべた。
「それは運が良かったとしか言いようがありませんな。いえ、運命だったのかもしれませんね……失礼しました。質問の答えですが、消滅とは文字通り存在しない存在になります。猊下自身が世界に忘れ去られるという事です」
興味本位で触れたモノは資格がなければ存在自体が世界から忘れ去られるという事を知った瞬間、身体が意識を拒絶するかのように震えだし止まらなくなった。
「俺、何も知らずに興味本位で、まさか、そんな危険があったなんて、俺、生きてるよな、存在してるよな」
歯が噛み合わずカタカタと鳴り、掠れた声で文脈のない言葉を発し、震える身体を擦りながら自分の存在を疑い始める。
その様子を静かに見つめながらエレボスは統治者と成り得る若者に少なからず絶望感を感じていた。
「この若者が統治者の意志を継ぐ者……」
自らが知る魂の主は気高く意志の強い英傑であった。
その最後に立ち会えたことを自らの誇りとし、生きながらえてきた老齢にとっては許しがたい侮辱にすら感じた。
今、この場で若者の命を絶てば新たな候補者が意志を引き継ぐことも可能かもしれない。
そんな想いが脳裏を過ぎり、意識すらしていなかったが知らぬうちに殺気が若者へと向けられていた。
「汝、誰に刃を向けているか分かっておるのか?」
威圧感に満ちた声に我に返り声の主を見つめる。
先程まで震えながら自身の存在を疑っていた若者の瞳が真っ直ぐにエレボスを見つめていた。
その瞳には意識の奥深くまで見透かし屈服させる何かがあり、彼は自然と膝を折り頭を垂れた。
「…猊下、申し訳ありません」
威圧感に満ちた重圧に顔を上げることも出来ず、エレボスは平伏し謝罪の言葉を口にするので精一杯だった。
「汝の気持ちも分らんではないが、我が決め、我の意志によって選んだ若者じゃ。我に向ける殺意の刃は我の意志を否定する事に他ならん。」
額から一筋の汗が流れ落ちる。
室内の空気が張り詰め呼吸すら許されぬ雰囲気に少しでも気を許せば命を失いかねない緊張感が身体を支配する。
「汝に命ず。汝の刃で我を護れ。我に向けた刃を我のために捧げよ。汝の魂が従属せしこと、これは勅命である」
威圧感に満ちた声が彼の身体に浸透し姿勢を正させる。
「御意」
迷いは一切なかった。
自身の人生総てを賭けて守り抜く決意を心に定めエレボスは顔を上げ自らの主を見つめる。
「うむ、良い眼じゃ。汝の刃に幸あらんことを」
軽く頷き、満足したように瞳を閉じる。
彼は姿勢を正し真っ直ぐに若者見つめ続ける。
若者が瞳を開くと先程までの威圧感はなく、申し訳なさそうな表情を浮かべ顔の前に両手を当てて頭を下げた。
「ごめん、エレボスさん!」
驚いた表情を浮かべるエレボスに浩介は頭を掻きながら照れ臭そうに遠くを見ながら言葉を探す。
「さっき、意識が戻るとき彼と話をしたんだ。そのときにエレボスさんの気持ちが痛いほど理解できて。なんて言うか、エレボスさんがどれだけ期待してくれていたのかが分かって。あんなに取り乱して期待を裏切ってごめん!」
その姿に柔和な表情で静かに首を振る。
「私こそ申し訳ありませんでした。私が未熟なもので猊下に負担をお掛けしてしまいました……ですが、先程の雰囲気はもしや?」
雰囲気がまるで違う若者に微かに戸惑うエレボスに浩介は苦笑しながら頷いた。
「うん、彼の魂だね。ただ、彼と俺との境目が段々と無くなってきているのも分かるんだ。いい、ちょっと見て?」
そう言って左目に威圧感に満ちた瞳を宿らせる。
その瞬間、周辺の空気が一変し重厚なモノになり、浩介の表情も微かにだが威厳に満ちた雰囲気を醸し出す。
「これが彼の血脈なんだろうね。どうも、あの話し方が苦手だから使いたくないけど臣下には使えって五月蠅くて」
苦笑する浩介の言葉にエレボスはスッと立ち上がると姿勢を正し、胸元に握りしめた拳を当てる。
「今日より猊下を統治者として扱わせて頂きます」
困った表情で彼を見つめながら浩介は小さく頷く。
「ただし、皐月やリアには伝えないでほしい。もちろん、君の主人でもある業罪の皇女にもね。まだ、浩介として彼女達と付き合っていきたいからさ」
総てを見透かすようにエレボスの心の内を読み取り先手を打つ行動には最早、疑いようもなかった。
すでに浩介は魂の欠片に取り込まれ始めていたのだ。
「御意、では改めてご挨拶に窺わせてもらいます」
その事に気付かず深々と一礼し退出するエレボスに冷たい視線を向けながら意識に抵抗する気配に失笑する。
「最初に触れた神器が我だったとは不憫よのう浩介とやら……フフッ、アハハハッ!」
口元を歪ませながら笑う姿に意識の中で抵抗する気配が静かになっていくのが分かった。
その抵抗する気配こそが浩介の本当の意識であったのだが神器に納められていた意識は徐々に彼を蝕んでいく。
心の闇が広がり、渦巻く欲望に打ちのめされながら浩介の意識は奥深くへと沈み込み束縛される。
そして、闇に呑み込まれそうになる意識を形作る存在そのものが失われようとしていた。
世界から忘れ去られる存在、その世界こそが自分の内の世界で在ることに気付き、ようやく消失の意味を理解した浩介の意識は愕然とした。
〔そういうことだったのか……〕
そして、自分が統治者の資格を得ることに失敗した存在であり徐々に消失していく意識に絶望することになった。