其の4 業罪の皇女
部屋を出てしばらく俯いたまま皐月は扉に寄り掛かりながら、撫でられ続けた温もりを感じていた。
あんなに無防備に感情がわき上がった理由は彼女自身ですら分からなかったのだが、彼の暖かな眼差しと指先の感触が心の痛みを和らげてくれたことだけは確かだった。
小さく微笑を浮かべ、胸元で両手を握りしめる。
その感覚を忘れないようにするため彼女は瞳を閉じ、浩介に与えられた暖かな感触に思いをはせる。
けれど、心の奥深くから湧き上がる血脈が徐々に彼女の意識を支配し始めていく。
「私は中心の世界の一族………業罪の皇女」
自分の家名を呟き、その瞳に闇を照らす。
その瞬間、彼女は如月皐月では無くなり一族の血脈を継承する業罪の皇女として心の内に潜む闇を纏った。
今まで浩介と接していた雰囲気とはガラリと変わり、正に民衆を束ねる皇女の品格を漂わせ颯爽と歩き始める。
彼女の意識から浩介の存在が消え、自分を待つ客人への対応に向け思案を重ね始める。
彼らが謁見を求めてきた理由は直感的に焦臭さを感じる類いのモノで在ることが明白だったからだ。
「…全く、歴史を顧みない輩が多すぎる」
先の争いで流れた血や哀しみがどれだけ多く流され、その傷跡も未だ癒えていないというのに更に新たな火種を生み出そうとする彼らの存在に嫌悪感を感じながらも一族の血脈が敏感に反応し皐月の口元が微かに綻んだ。
「嫌な血脈を受け継いだものだわ」
そんな押さえきれない歪んだ欲求にかろうじて残っていた皐月の意識が憔悴したように呟いた。
他の世界では彼女の能力である業罪の血脈は業と罪を裁き、公平と和解を促す能力とされていたが実際は真逆の力であった。
彼女自身が求めずとも多重世界の負の連鎖が彼女の血脈に惹かれ導かれるように、血と哀しみ、憎悪と敵意とが頭を垂れて眼前に現れ、彼女は無意識に心躍らせる。
この感情が世界を分断させ、愛しきモノを死に追いやる元凶であったにも拘わらず彼女はそれを押さえることが出来なかった。
「皇女殿下、彼の処遇はいかがいたしましょうか?」
気がつけば全く気配を感じさせず彼女の半歩後ろを男が追随しており浩介の処遇について主人の意見を求めた。
正装された執事服に身を包み、白髪交じりの短髪を丁寧に押さえつけ、姿勢正しく彼女に追随している。
ただ柔和な表情に反して、その瞳は研ぎ澄まされた刃のごとく光を放ち、彼の主人に近付けば無遠慮に命を落としかねない殺気を放っていた。
「皐月が連れ込んだ異世界の子か……まぁ、よい。客人として丁重に扱え、あやつは大事な候補者の一人でもあるからな……そういえば、あやつの姉君も候補者の一人の可能性があるかもしれん。其方に判断は任せる」
執事と交わす口調すらガラリと変わり、浩介の存在をモノのように扱う彼女の姿からは先程までの皐月の姿はなく、その意識は心の奥深くに閉じ込められていた。
「御意、速やかに遂行いたします」
振り返ることのない主人に一礼し、言葉少なめに返答すると音もなく姿を消す。
静まり返った廊下に足音だけが響き渡り、そのか細い右手首を軽く捻ると彼女の装いが瞬時に変化する。
赤と黒を基調とした和服姿に移り変わり、口元は薄手のレースで隠され彼女の表情は目元だけだが、その瞳は見るモノの心を見透かすような錯覚さえ感じさせる輝きを放っていた。
正面に見据えた両開きの扉が彼女が近付くと音も無く開き、屋敷の主人を部屋へと導く。
部屋の中では円卓のテーブルを囲むように数人の客人が彼女を待ち受けていた。
年齢も性別も種族も違う客人を一瞥し彼らの挙動から感情を読み取りながら上座の席に座る。
「待たせてすまぬな。卿らを待たせるのは世の不徳のいたすところ故に其方等の用件を説明を願えるか?卿らも我の世界の理は十分に知っておるだろうからな」
彼女の言葉に誰もが口を噤む。
心の内を全て見透かす漆黒の瞳、そして偽りを隠す術を封じる声、彼女の前では嘘偽りは一切、通用しない。
それが彼女の持つ能力であり業罪の皇女の名を冠する世界の理の一つでも在った。
つまり彼女の前では世界の理によって彼等は本心のみを話すことしか出来ない。
「さて、まずは其方から話を聞こうか?」
彼女の瞳が年若い幼女に向けられる。
年齢は十歳に満たないだろうか、お下げ髪に白と赤の巫女服姿の幼女は恭しく頭を垂れるが自分を見つめる主人の瞳に一瞬、寒気を感じたのか軽く身震いすると年相応の子供じみた口調で話し始める。
「皇女殿下、おひぃさしぶりぃですぅ。けいか報告なんですがぁ、常闇の皇子の世界ではゆぅのぉうな技術者がぁ、いっぱぁい集めてぇ何やらすすめてぇるみたいですぅ」
言葉足らずな口調の幼女に苦笑しながらも内容の焦臭さを敏感に感じ取り皇女は話の先を促す。
「どぅやらぁ、異世界からぁ別の理ぉ得ようとぉしてぇるみたいなぁかんじですぅ」
どこか緊張感のない口調で話す幼子の話に自分の感性が確かなことに満足しながら皇女は小さく頷いた。
「…うむ、妾の理を覆しかねんな。引き続き調べよ」
「……御意」
先程までの口調が嘘のごとく明確な返事をした幼女は、頭を垂れたままその場から消えるように存在を消した。
「次はお主じゃな」
視線を向け直し、肩まで伸びた赤髪を無造作に束ね顔中に幾つもの傷跡を残す精悍な顔つきの若者に話を促した。
「報告は幾つか御座います。まずは先ほどの常闇の皇子の件ですが、どうやら我らの知らぬ血脈が存在するらしいとの情報を得て御座います。我が駐屯する世界でも噂だけは流れております」
彼が駐屯する世界の理で噂程度というだけに彼女は訝しげな表情を浮かべる。
「其方の駐留する世界ですら噂に過ぎぬか?」
「御意」
即座に答える男に嘘偽りは感じられない。
ならば真実であろうと納得はしたが、知らぬ血脈が存在するかもしれないことに一抹の不安を感じた。
「…で他に報告することは?」
ひとまず経過報告を待つとして、若者に先を促す。
「もう一つは候補者の件に御座います」
若者の言葉に眉間に皺が寄る。
「他の世界で候補者が見つかったのか?」
頭を垂れたまま小さく頷く。
「まだ、可能性にて御座いますが」
この多重世界には各世界にそれぞれ違った血脈を持つ皇子、皇女が存在し統治者として世界を治めている。
その血脈の本流ともいえる存在が中心の世界の統治者であるのだが、業罪の皇女と呼ばれる彼女ですら本来の統治者ではない。
この世界での彼女は執政を司る一族の血脈に過ぎず、その理も執政に関することのみに限定されていた。
本来の統治者である存在は先の争いで命を賭して世界を創り上げ、そして彼女を救った。
その血脈は通常とは異なり、血ではなく命によって継承されるモノであり、たとえ一族だとしても継承することは出来ない。
器となる存在にのみ血脈が受け継がれ命に刻まれる。
全ての統治者を屈服させ、世界すら変えることの出来る力のために器となり得る存在を統治者らは自らの一族に存在することを願い探し求めていた。
彼女とて例外ではないが、他の統治者とは大きく違っているのは果たすべき目的であった。
この多重世界を在るべき世界に戻すこと、それが彼女の望みであり業罪の皇女を縛り続ける宿罪だった。
故に他の世界に候補者が見つかることは好ましくない。
その候補者が彼女と同じ想いならば良いが、全く異なった願いなら世界は同じ歴史を繰り返す可能性がある。
それを食い止めるのが彼女の務めでもあった。
「可能性で成り立つのがこの多重世界じゃが、他の世界の候補者か……一度、会うてみるのもよいかもしれんな」
瞼を閉じ考え込む姿を若者は頭を垂れたまま盗み見る。
ただ、純粋に美しいと思った。
この美しき主人のためなら命を賭しても構わないと思わせる何かが目の前の存在にはあった。
業罪の皇女の魅力に世界が分断されたのも、命を賭して護った皇子の気持ちも彼には分かる気がした。
そっと頬の傷に手を当てる。
幾度となく生死を彷徨った証、それに触れることで自らの存在が世界に肯定されていると彼は思っていた。
「候補者の可能性を吟味し再度、報告に参ります」
頭を下げたまま簡潔に話す姿はまさに臣下にふさわしい様相を備えている。
「うむ、そうじゃな。だが、無理はするな。お主は死を恐れておらぬからな。」
若者の死臭に血脈が反応し口元が緩む。
「御意。では失礼いたします」
頭を垂れたまま姿を消す若者に軽く頷きかけ、彼女は最後の者へと視線を向け小さなため息をついた。
「最後はお主じゃが……やはり、例の件かのぅ」
軽く額に手を当て溜息交じりの彼女を楽しそうに見つめるのは特徴的な長い耳、肩まで伸びた美しい銀髪、整った美しい顔立ちをしたエルフ族のリア・キルケだった。
「はい、そうですね」
楽しそうに頷くリアに彼女は再度、深いため息をつく。
今までの者達と違い敬意を払う仕草も見せない姿に彼女はやれやれと苦笑しながら皐月と皇女の表情が交差する。
「彼奴は未だに雲隠れしておるのか?」
呆れた表情を浮かべる彼女にリアは両手を小さく挙げて諦めた様子で大袈裟に首を横に振る。
「皇女殿下にフラれてから未だに部屋に籠もっておりますねぇ。いい年して本当に情けないったらないです。しかも、それが自分の主なんて……あっ、忘れてた!これ主から預かってきてます。えっと、あっ、これこれ!…やばっ」
自らの主をそれと呼ぶリアが、主からの献上品として取り出したボロボロの親書と傷だらけの品に目を疑う。
「…これはなんじゃ?」
二つの品を一瞥する瞳に頭を掻きながら弁解する。
「いゃあ、ここに来るまで色々とありましてぇ。ほら、私こんな容姿でしょ?色んな方から目をつけられまして何やかんやで撃退してるうちに、あの、その、これの存在を忘れてたというか、どうでもいいやというか、あはははっ」
乾いた笑いに彼女は溜息しか出てこない。
つまり賊に襲われた際に我を忘れて暴れ回った結果、本来は無傷で届けなければならない献上品の存在をすっかり忘れてしまっていたということなのだ。
フラれて部屋に籠もる主人に、我を忘れて暴れ回る臣下、それらが治める世界の事を思い、他人事ながら執政官の苦労が偲ばれる。
取りあえずボロボロの親書を広げ中身を確認し、何度目かの溜息と共に投げ返された内容を見てリアも苦笑する。
その親書には「だいすき!!」とだけ書かれていた。
「いやぁー、ホントにすいません。馬鹿な主で…命懸けで持ってきた親書がこんな内容でアイツやっぱ馬鹿ですね」
主君を今度は馬鹿呼ばわりするリア、けれど臣下としての能力は多重世界屈指であると言うのだから恐ろしい。
「彼奴の気持ちはわからんでもないが、種族が違う以前に妾は同性を恋愛対象にはどうしても見れんのじゃ。」
リアの主の姿を思い出し背筋に寒気が走るのを感じる。
「そっすよねぇー。私はどっちでもイケる口ですけど」
小さく舌舐めずりしながら流し目を彼女に向ける。
「もぅ、よい。お主等はホントに似たもの同士じゃな。呆れてモノも言えんのぅ」
片手を振ってリアの動作をやめさせる。
「お茶目じゃないっすかぁ。まぁ、とりあえず馬鹿主は説教ついでに悪戯しときます。それはいいんですが……」
笑いながら手をヒラヒラさせるリアが少し硬い表情で献上品として持ってきた傷だらけの箱へと視線を移す。
「お主を襲った賊の目的もそれか」
先程までのふざけた様子がなくなりリアは頭を垂れる。
「御意。どこらか情報が漏れてる可能性も御座います。我が主からの言付けといたしましては業罪の皇女殿下の意思を尊重し、在るべき世界への導きに追随するとのことです………あーぁっ、もうだめ!身体が痒い、シリアスはやっぱ無理!これは、やっぱぁり殿下がぁ、優しく添い寝してくれないと良くならないかもぉー」
ほんの数十秒の真面目なやりとりすら耐えきれずに身体中を掻きむしりながら彼女をチラチラと見るリアに対して額に手を当て深い溜息と共に首を横に振る。
「はぁ、其方と添い寝など妾の貞操の危機じゃ。お主はもう少し真面目に職務を全うする気は無いのか?」
「ないっすよ?」
悶えながら床を転げ回るリアを呆れた表情で見つめながら尋ねる彼女にキョトンとした瞳で即答する。
「もともと、あの馬鹿との腐れ縁で仕方なく、ほんとぉに仕方なく付き合ってるだけですから。まぁ、森んなかで燻ってるよりかは幾分マシですけど」
床に胡坐を掻いて座り込みながら頭を掻く。
すでに自分の主を馬鹿とだけ呼ぶリアに主従関係とは何たるかを説いて聞かせることを諦めている彼女は同族に対するリアの考えに血脈の触手が微かに蠢いた。
「おぬし、同族との生活は嫌いか?」
その質問に天井を見上げながら考える。
「嫌いじゃないですけどぉ。なんて言うか、俗世間から離れて我関せずって今の考え方ってのはどうも私には向かないっていうか種族的に知識欲は尋常じゃないですからねぇ。世界が今の多重世界になった時も一切の関わりを断った事がどうも私の中で腑に落ちないって言うか……うーん、わかんないですねぇ。」
珍しく考え込んでみたものの、自分の納得できる解を見つけ出せずにあっさりと思考を切り捨てた。
彼らの種族は元々、世界から隔離された異世界の住人であるため多重世界の理に左右されない。
そのためか各世界の統治者からは重宝される反面、疎まれているのも確かではあった。
こうして誰かの統治者の臣下に収まるのは稀であり、言い換えればこのリアはエルフ族から見ればかなりの異端児であった。
長命なエルフ族にとっては過去の争いの三百年前ですら数年程度の認識でしかない。
実質の年齢で見ればリアも多重世界の生き字引と言っても過言ではない年齢であり業罪の皇女からしてみれば自らの行いの全てを知っている旧知の間柄に近い。
「そういえばぁ、皐月に近ごろ会ってないですねぇ。」
思い出したかのように皐月の名前が出て来る。
「今は、執務中じゃからの。血脈の力である妾の存在の方が執務を実行しやすさを求めれば、やむを得ぬ事じゃ」
「まぁ、そうすっよねぇ。でも、どんな感じなんですか?一つの器を二つの意識が共有する気分って?」
興味津々で皇女の瞳を覗き込む視線は知識欲に満ちており、異常なまでの知識に対する欲求を満たすことに情熱を注ぐ種族でもある彼らは森の賢者とも言われていた。
ただし、世界が多重世界になるまでではあったが…。
「うむ、難しいの。皐月は妾に嫌悪感を持っておるのは知っておるし、だからといって妾は皐月の想いも痛いほど分かる。まぁ、執務が終われば皐月と会う機会もあろう。その時にでも、聞いてみるが良い」
「そうやって、また逃げるぅ」
真摯に応えようとするも言葉にする難しさに彼女はさじを投げ、リアは納得できないと頬を膨らませ不満げな表情を浮かべる。
皐月と皇女の関係を知るのは、あの争いの渦中にいた本当に限られた者達にしか知られていない。
こうして軽口を叩いているリアもあの凄惨な渦中に巻き込まれ、馬鹿と称しているが主君のために刃を研ぎ澄ました一人に違いなかった。
今、こうして会話ができるのも生き延びた証でもあり彼女にしては珍しく優しい瞳でリアを見つめた。
「まぁ、よいではないか。確かにお主と皐月は性格が似てるようにも見えるしのぅ。執務後になか良うして……何じゃ、その目は?」
何故かキラキラと瞳を輝かせながら彼女の言葉に耳を傾けるリア、しかも生唾を呑み込む音まで聞こえ、気のせいか舌舐めずりまで始めているように見えた彼女は嫌な予感を禁じ得なかった。
「もーーちろん喜んで、仲良くさせてもらいます!!手取り足取り、あんな事やこんな事まで……ぐひひひぃ、あーぁ、楽しみだぁ!」
両手で自分の身体を抱きしめながら妄想に更け始めるリア相手に今日、何度目か数えるのも億劫になる深く長いため息をつきながら頭を抱えた。
「……全く、しょうが無い奴じゃ。皐月、すまんの。妾にはこの娘の相手はもう無理じゃ。勘弁しておくれ」
そうして、頭を抱えながら意識の奥深くに眠る皐月に謝罪し丸投げすることを固く決めた彼女であった。




