其の2 最凶の女中と瀕死のリア
浩介が自分の主の世界に行きたいと言ったとき、リアは微かな不安を隠しきれなかった。
その不安は一瞬ではあったが表情に出ていたらしく浩介には目敏く気付かれたようだった。
「…逢わせてもいいもんなのかなぁ」
長めのソファに寝転びながらリアは天井を見つめ呟く。
快諾はしたものの正直なところリアは迷っていた。
チラッと正面の机に視線を向ける。
それは黒檀で出来た重厚な物で、そこには所狭しと並べられた書類に目を通す彼女の姿が見える。
「大変そうだぁ」と思いながらも手伝う気はさらさら無いリアはテーブルに置かれた茶菓子の煎餅に手を伸ばす。
バリバリバリッ。
もう何枚目になるか分からない煎餅を気持ちの良い音を立てながら食べ、近くの湯飲みに手を伸ばした。
ズズズッ。
「はぁ、煎餅にはやっぱりお茶よねぇ~」
思わずため息が漏れる。
バンッ!
満足げな表情を浮かべながら更にもう一枚と手を伸ばした瞬間、激しく机を叩く音が聞こえ苦笑いする。
リアの行為は明らかに故意にだった。
ここ何日か慣れない事務仕事に翻弄されっぱなしの皐月はろくに休息を取っていないため、このまま旅に出れば直ぐに体調を崩すのが関の山だと感じていた。
だからこそ、リアはワザと皐月の邪魔しにきたのだが思っていた以上に耐え抜いてしまっていた。
けれど成功したようだ。
机の書類が盛大に床に散らばっていく様子を横目に見ながら皐月の次の行動を予測する。
「……リぃアぁ~、いい加減にしなさいよ!」
とうとう堪忍袋の緒が切れたのか皐月の額には青筋が浮かび、頬をピクピクと震わせている姿が視界に入った。
「さぁつぅきも一息ついたらぁ~」
敢えてダラケきった姿を晒していると皐月はジト目でリアを訝しげに見つめてくる。
どうやら意図に勘付いたらしく諦めた表情を浮かべた。
「あんたは一息つきっぱなしだけどね……」
小さなため息をつきながら一人用のソファに座り、皐月は冷めてしまったお茶を一気に飲み干す。
「ったく、まんまとやられたわ。まぁ、一息つこうかと思ってたから良いんだけどね」
少し負け惜しみに聞こえなくも無い言い分に耳を傾けながらリアは微かな笑みを浮かべる。
その微笑は友を思う優しさに満ちていた。
「まぁ、私の住んでる世界はけっこう複雑だからねぇ」
いつもの調子の口調で笑うリアに、そのことを嫌と言うほど思い知らされている皐月はため息をつくしかない。
「だいたい、何でこんなに色んな異世界を経由しないとアンタの居る世界に行けないのよ?全く、アンタの主にも困ったもんだわ」
皐月の質問に「う~ん」と考え込む仕草を見せたが、直ぐに結論に至ったのか半ば諦めた表情でぼやく。
「…明らかに趣味でしょうねぇ。あのバカ主の思考を理解しようって考えが間違いだと思うけどなぁ」
その考えには皐月も理解できた。
「まぁ、あの性格なら仕方ないか」
何故か二人とも納得してしまう。
それ程までに言われるリアの主が若干ではあるが不憫に感じてしまうが事実であるのだから仕方が無かった。
「っで、どの異世界を経由していくつもりなの?」
「まぁ、妥当なとこでエルフ界から精霊界を通ってあいつの世界まで行くつもりだけど?」
皐月の説明にリアは思わず顔を顰めた。
「えぇ~、実家に寄ってくのぉ~ヤダなぁ」
露骨に嫌がるリアに皐月はしてやったりの表情を浮かべ少し清々した気分で説明を続ける。
「まぁ、直接でも行けないことはないんだけど…うーん、彼奴の意識の例の護印がねぇ。反応しちゃったら困るし」
考え込みながら話す皐月を横目にリアはの懸念事項は護印など、正直な話どうでもよかった。
気になるのはただ一つ、実家に寄ることだけだった。
「そうね、実家と精霊界なら何かあっても対処できるだろうからねぇ……でも、実家はヤダなぁ~」
手足をソファの上でバタバタと動かし駄々をこねる。
「じゃあ残る?」
その言葉に動きがピタリと止まり、皐月に視線を向け顔を横にブンブン振りながら否定する。
「やだ!実家はともかく精霊には逢いたい。あの子達、見た目可愛いから、目の保養になる!ぐふふ、楽しみぃ~」
綺麗な顔しているのに此処まで下卑た笑みが出せるものなのかと皐月は茫然としながら苦笑する。
「一応、言っておくけど精霊って神の使いって呼ばれてるから下手に手を出したら……ってか、聞いてない……この際だから、すっごい天罰でも下ればいいのに」
精霊との出逢いに夢を膨らませ、夢想の世界にドップリと浸かったリアにホトホト呆れながら呟いた。
一息ついていた二人の部屋の外で気配を感じた。
コンコン。
扉を叩く音がする。
「開いてるわよ」
部屋の主である皐月が入室を許可する。
「お忙しい中、失礼致します」
綺麗なお辞儀をしながら入ってきたのは肩まで伸びた黒髪を靡かせ無表情な瞳をした屋敷の女中の一人であった。
ソファで一人身もだえるリアをチラッと一瞥すると女中は「見なかったことにしよう」と思ったらしく、改めて部屋の主である皐月へと視線を向ける。
「あれは気にしないでいいわ」
女中の一連の仕草を見て一言いっておく。
「…あれとはなんのことでしょう?」
小さく首を傾げ、さらりとリアの存在を否定した。
その行為に苦笑いしながらため息交じりに質問する。
「…っで、用件はなに?」
「はいっ、執事長であるエレボス・レアが無事に猊下の棲まわれていた異世界へと到着したようです」
「へぇ、エレっちやるねぇ」
さっきまで身悶えていたリアがひょいっと起き上がるとソファに胡坐を掻きながら盟友の状況に感心する。
「あぁ、リア様いらっしゃっていたのですね。これは失礼しました。全く、これっぽっちも、まさか居るんなて、その存在にすら気付きませんでした。てっきり、ソファに害虫でも発生したのかと思っておりました」
丁寧な口調で辛辣な発言をする女中に「エレボスも大変ねぇ」と日々、教育を行っている執事長に同情する。
「そんなぁ~、ミユっちあんまりよぉ~」
泣きそうな表情で近付いてくるリアをミユっちと呼ばれた女中は眉間に皺を寄せ、彼女の顔を躊躇なく殴った。
「いったぁいよぉ~」
ストレートに顔面を殴打され痛がりながらも何故か嬉しそうなリアに、更に険しげな表情を浮かべて殴った手をハンカチで丁寧に拭き取る。
「お嬢様、これはなんですか?ごみですか?あぁ、きっと大きな粗大ゴミですね。間違いありません。後できっちりとバラバラにして燃やしておきますね」
その瞳は真剣だった。
「…それは止めてあげて、一応は客人で五護衆の一人だから世界間の問題になっちゃうから。そ、れ、よ、り、リ、ア、大、丈、夫、な、の?」
その瞳の真剣さに呆れ返りながら、心配はしてないが念の為、棒読みでリアの安否を気遣う。
五護衆の一人と聞き、ミユル・マクシリアは瞳を見開き大袈裟に驚きながら頬に手を当てしぱし考え込む。
「はて?私と同じ五護衆の称号を持つ者にこのようなゴミが存在していた記憶は御座いませんが?うん?あぁ、もしかして!?リア様でしたか!まぁ、その顔の傷はどうされたんですか?誰かにやられたのですか?」
心配げな表情を演技しながらリアに近付いていく。
だがその両手はかなり力を込めて握りしめられている。
ボコッ!ドスッ!ドスッ!
室内に響き渡る躊躇なき打撃音にもめげる事なくミユルに親しげに話しかけるリアは終始、笑顔だった。
「誰がって?もう、忘れたのぉ~?ミユっちがぁやったん……えっ?マジ?ぐはぁ!?」
無表情な顔でリアを更に殴打する。
その打撃は的確に急所を狙っていた。
その結果……。
床でピクピクと痙攣するリアの姿があった。
それでも嬉しそうに笑っている姿を皐月は冷たい視線で見つめ、哀しげにため息をつく。
リアの憐れな姿に満足げな表情を一瞬、浮かべたがミユルは直ぐに無表情になり再度ハンカチで今度は念入りに手を拭いた。
「害虫は駆除されました。ご安心下さい、お嬢様。それでは失礼致します」
ハンカチをリアの顔に被せるように投げると綺麗なお辞儀で頭を下げ、そそくさと部屋を後にする。
「あぁ、そうでした。忘れておりました」
扉を閉める寸前にミユルは何かを思い出したかのように立ち止まり後ろを振り返ると二人を見つめる。
「猊下が先ほど宝物庫にて【八咫烏の太刀】を自分の獲物に選んだようで御座います。では、改めて失礼致します」
静かに扉を閉め出て行ったミユルを二人は(若干一人は恍惚感に包まれ意識を失ってはいるが……)ポカーンとした表情で扉を見つめていた。
呼んで下さってる方には感謝に堪えません。
本当にありがとう御座います。
今後とも、よろしくお願いします。