其の13 痴女の悪巧み
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
ようやく泣き止んだ皐月は「…顔、洗ってくるから」と言って俯いたまま部屋を出て行った。
リアと浩介の二人だけの空間だったが、普段なら襲いかかってきても不思議ではない状況にも拘わらずリアはどこか毒気を抜かれたかの表情で立ち尽くしていた。
何か感慨深いモノがあったに違いないと浩介が思っているとリアは両手を見つめ呟いた。
「さぁつきの身体、柔らかかったぁ~。でへ、でへへ」
顔が崩壊するほどに、にやけた表情を浮かべながら手の感触を確かめるかのように何度も握ったり放したりする。
「俺の純情を返せ……」
思わず突っ込みを入れ頭を抱える。
けれど「リアの行動はわざとだったのかもしれない」そんな考えにさせるほど場の空気が様変わりした。
二人のいる室内がいつもの緩い空気に包まれる。
「ところでさぁ、リアの主、元気してる?」
ふと、記憶からリアの記憶が蘇り尋ねた。
「う~ん、元気ちゃあ元気かなぁ。あの馬鹿、フラれて引き籠もってるけどね。うんっ?でも、どっしたの急に?」
不思議そうに首を傾けるリアの仕草が何だかいつもと違い可愛く見えてしまい、浩介は一瞬キョトンとした。
少し長めの銀髪がフワッと流れ、大きめの彼女の瞳が真っ直ぐに浩介を見つめている。
「可愛い……いや、違う!断じて違う。騙されたらダメだ、こいつは真性の痴女だ」
小さな声で思わず呟いてしまった自分の思考を首を振って必死に否定する。
もし、聞こえていたなら間違いなく襲われる。
「ごほん、いやグレンデルの記憶からリアの主のことが急に浮かんできたから、ちょっと聞いてみただけだよ」
咳払いをして冷静に勤めながら浩介はリアの質問に答えたが、彼女は不思議そうな顔をしながら浩介を見つめる。
「ふぅ~ん、まぁいいけど……ところでさぁ、こぉすけから見たらこの仕草って可愛く見えるんだぁ」
悪戯っ子のような微笑を浮かべ浩介に近付いてくる。
どうやら聞こえていたようで浩介の表情が強張る。
「い、いや、そんなことは……」
慌てて否定するも時すでに遅しと言わんばかりにリアの顔が浩介に近付いてくる。
「やばぃ、襲われる」と内心思い、逃げ腰で後ずさりながらリアから逃げようとして瞬間、浩介は頬に温かな感触を感じた。
チュッ。
浩介の頬にリアは優しくキスをしたのだ。
「ありがと、こぉすけぇ」
少し照れたような表情を浮かべ、いつもと違うリアの態度に浩介は茫然としながら彼女を見つめる。
何が起きたのだろうかと一瞬、思考が止まる。
普段のリアなら間違いなく抱きついてきて、こんな可愛らしいキスなどではなくもっと濃厚なものをしてくるはずである。
だが、実際は頬の軽いキスだけで身体を密着させてくるわけでもなかったため浩介は拍子抜けしてしまった。
「どうした?なんか悪いもんでも食べたのか?お前が襲ってこないなんて気味が悪い」
あんまりな発言にリアはジト目で浩介を見る。
「こぉすけぇー、それはあんまりだわ。私だってたまには可愛いって言われてみたいんだから……だって、その方が襲いやすいし」
視線を逸らし哀しげな表情を見せていた。
だが、最後の言葉を聞き逃さなかった。
心の声だったのだろうがしっかりと聞こえていた。
しかも、よく見れば口元はニンマリと笑っている。
計画的だと気付いた浩介はため息交じりに呟く。
「心の声が漏れてるぞ。それに、口元がニヤけてるから……演技するなら、せめて最後までやりきってくれ」
「……ちっ、思わず口元がニヤけちゃった」
軽く舌打ちして顔を上げるとアハハッと笑ってみせる。
「ったく、油断も隙もない」
「まぁ、でもドキドキしたでしょ?女は色んな一面があるから注意した方が良いよぉ。特にこぉすけって奥手そうだからねぇ」
ニヤニヤしながら横に座るリアに警戒しつつ、確かに一瞬ではあったが彼女の行動に動揺したのは事実だった。
もし、最初に出会った段階で今の手でこられたらと思った浩介は知らずの内に身震いしてしまう。
「…女は怖い」
浩介の意識に確実に刷り込まれた。
「でっ、話は変わるけど。こぉすけは最初にどの世界に行きたいわけぇ?それによって色々と旅の目的も変わってくるわよぉ」
上目遣いで可愛らしく浩介を見つめてくるリアに「こういった仕草は可愛いのに……」と思いつつ油断だけは決してしないと固く心に誓う。
「最初はリアの主の世界に行ってみようと思ってる」
その言葉に一瞬、リアは訝しげな瞳を浮かべた。
だが、直ぐにいつもの表情に戻りヘラヘラと笑う。
「なんでぇ~?あっ、私の私生活が気になるぅ?もう、しょうがないなぁ。じゃあ、私の家で皐月も交えて三人であんな事やこんな事、ついでに主も巻き込んで……ジュルッ、なんてパラダイス!?」
何を想像しているのか恍惚な表情で天井を見上げながら涎を拭き取るリアに言いしれぬ恐怖しか感じない。
「いや、リアの私生活は想像つくから興味ない。純粋にリアの主と話しがしてみたいんだ。それに、神器を失った世界ってのが気になるんだ」
神器を失ったことで隣接する世界のたがを外すことも考えられないことはない。
それだけ、神器を失うことは重大なことだった。
けれど、リアの反応は希薄だった。
「う~ん、会ってくれないと思うよぉ。基本、男嫌いだし……でも、そっかぁ!うん、うん、その手でいこう」
考え込んでいたリアの脳裏に名案?が浮かんだらしくニンマリ笑いながら、その瞳を浩介に向けてくる。
何故だか嫌な予感と共に背中に寒気が走るのを感じた。
「じゃあ、皐月が戻ってきたら話してみようかしらぁ?でも、嫌がると思うよぉ。皐月ってば私の主に苦手意識あるからねぇ」
苦笑いするリアに浩介はグレ記憶を引っ張りだし彼女の主を見つけ出すと「…あぁ、ホントに残念な娘だ」と浩介も思わず苦笑いした。
何のことはない、『類は友を呼ぶ』その言葉が名言であったと実感するような皇女だった。
つまりはリアと同類、主なのだからさらに質が悪い。
浩介自身、自分で行きたいといった手前、今更あとには引けずリアの名案に期待するしかない。
けれどリアの名案は文字通り迷案なんだろうと思い、せめて自分だけはしっかりしようと考えていた。
そんななか、誰かが近付いてくる足音が聞こえた。
その足取りはしっかりとしたモノだった。
先程までの迷いが感じられない。
リアと目が合い、お互いに頷きあう。
「戻ってきたねぇ。じゃあ、皐月も交えて今後の旅の話しをしましょ。わたしの明るい未来のウハウハなパラダイスのために!」
「なにがウハウハなパラダイスのために!だ。そこら辺はしっかりと皐月と話し合って決めるからな」
瞳を輝かせ握り拳を天に向けていたリアは浩介の言葉で直ぐに情けない表情へと変わりシュンと項垂れる。
「そんなぁ~、私のウハウハぁ~」
未練たらしく呟くリアを横目に浩介は呆れた表情でため息をつくと苦笑いしながら部屋に入ってきた皐月に微笑を浮かべた。
「おかえり」
一瞬、キョトンとした表情で浩介を見つめ、直ぐに頬を赤らめながら小さく頷いた。
「…た、ただいま」
「まったく、二人とも」
その様子をリアは優しげな瞳で二人を見つめていた。
いつもと違う雰囲気のリアに気付き、「…女は怖い」と擦り込まれている浩介は訝しげな視線で見つめるが皐月は何故だか恥ずかしそうにしながらリアを見ていた。
「皐月、よかったねぇ」
「…うん、ありがとう」
それだけで二人には通じるみたいだった。
あの争いを乗り越えてきた二人にしか分からない特別な何かがある思い浩介は触れることはしなかった。
「とりあえず、皐月がいない間に旅する世界が決まったわよぉ。こうすけぇってば私の主に会いたいんだって」
私の主と言った瞬間、皐月の笑顔が引き攣った。
「えっ?マジで?……冗談でしょ?」
「ううん、マジで」
引き攣った笑顔を楽しそうに見つめながら肯定するリアを案の定というか必然というか皐月は涙目になりながら顔を大きく横に振り断固拒否の姿勢を貫く。
「やだ、襲われる。貞操の危機、身の危険、手込めにされる。だから別の世界がいい」
「そこまで嫌なのぉ~。でもね、ちょっときて」
リアを手招きし皐月にボソボソと耳打ちする。
涙目で嫌がっていた皐月の表情がパァっと明るくなる。
その移りゆく表情に何故だか寒気を感じた浩介を二人は同じタイミングでニヤッと笑い見つめてくる。
「お前ら、なに悪巧みをしようとしてんだ!嫌な予感がビンビン感じてるんだが……勘弁してくれよ」
どんな悪巧みを考えついたのか分からず頭を抱えながらこれからの旅に一抹の不安を感じる浩介であった。