其の35 誘致者達の常識
ジャラジャラーーーースッ。
皐月の掌から顕現されていた鎖が力を失い徐々に消えていく。それと同時に束縛を解かれた浩介は地面に力無く横たわる形になった。
「…完全に意識を失っておられますね。まぁ、致し方ないので私が背負いましょう」
意識を失ったまま横たわる浩介を暫く見つめていたミユルは徐に彼を抱き上げると荷物でも持つように軽々と肩に背負う。
「それも、どうかと思うけど……」
端から見れば人攫いにしか見えないがミユルの服装から別の意味での違和感を与えるその姿を見ながら皐月が呟く。
「皐月お嬢様が鎖で簀巻にして引き摺って街中に入られるより百倍増しだと思いますが?まぁ、私が背負って街中に入っても問題はありませんから……何時ものことですし」
最後の言葉に誰もが何故か納得してしまうのはミユルの普段が容易に想像が付くからだ。
「では、お屋敷まで参りましょう」
スタスタと街中に入っていくミユルの後を追うように皆も歩き始める。
すると案の定、多くの誘致者達がワラワラと集まってくるのだがミユルの姿を見た瞬間に皆、顔を青ざめてサッと道を空けるように離れていく。
さらに皐月にも怯えた視線が向けられている。
それは、何となく予想は出来ていた。
前回、公衆の面前で皐月の侵した所行を覚えている者がかなりの数いるのだ。
怯えるのは当然のことだと言えるだろう。
けれどもあまりにも、あからさまな態度に皐月は不機嫌さを露わにしながら道を歩いて行く。
だが、そんな雰囲気の中でも何も考えないバカは必ずと言ってよいほど存在するらしい…。
「お嬢さん綺麗ですねぇ~、うちの職場で働かない?あっ、貴女もどうですか?そんな不機嫌そうな顔をしないでよぉ。すっごい楽しい職場だよぉ」
誰もが道を空ける中で一人の誘致者がミユルを無視して皐月とディーバに声をかけてきたのだ。
その光景に周囲がざわめく。
「……おぉ、彼奴いきやがったぁ」
「あぁ…死んだな」
「そういえば、あいつ最近来たばかりだったろ?あぁ、だからあんな無謀な事を……」
周囲の者達は憐れむような瞳で彼を見つめながら口々に彼の暴挙に悲観的な意見を口にする。
そんな周囲の声など耳に入らないのか無視を決め込んで歩き続ける皐月に彼はとうとう死地に足を踏み入れる暴挙に躍り出た。
「ねぇってばぁ~、こっちを見てよぉ?」
皐月の肩に馴れ馴れしく触れて自分の方へと振り向かせようとしたのだ。
その瞬間……。
「気安く触るな…」
怒気の含んだ低い声と共に彼を睨む。
ジャラジャラーーーゴンッ。
皐月の掌から突如として現れた鎖が綺麗に彼の顎を直撃し、楕円を描きながら宙を舞ったのだ。
その光景に周囲から揃った声が上がる。
「「「……やっぱりなぁ」」」
予想通りの結末であり、誰も彼に対して心配の声を上げない。なぜなら、他の者達は前回の皐月の所行をその瞳に焼き付けていた者達ばかりだからだ。
あのリアですら防げなかったあの鎖を一介のましてや新人誘致者如きが太刀打ちできるはずがない。
彼らは知っている。
近付いてはならない存在がいることを。
そして先頭を歩く給士服に身を包んだミユルの存在、彼らにとっての常識は『ミユルの縁者に手を出すな』であり、利口な者ほど理解している。
過去にどれだけの数の誘致者が彼女を勧誘しようとして恐怖を植え付けられただろうか…。
彼女はこの世界の五護衆である。
けれど、その姿を知る者は少ない。
何故なら彼女に接触を試みて無事に帰ってこれた者などいないから…。
そのため、この街で一つの伝説が生まれた。
『給士服に身を包んだ女性に手を出すな』
お陰で各世界で勤める侍女達に対してしつこい勧誘が無くなったのは副次的な産物である。
そのため彼女が歩くだけで人混みが自然と左右に分かれ、奇異な者でも見るような瞳と彼女から視線を逸らす瞳とが彼女の存在感をさらに押し上げる形となっているのだ。
結果として……。
誰もミユルの肩に担がれた者の意味に触れない。
否、触れてはいけないのだ。
それに触れることは即、死を意味する。
そんな周囲の反応に引き攣った笑みを浮かべるしか出来ない一同であった。
「…なぁ、あやつはこの街で何をしたのじゃ?」
怯えた瞳で前を歩くミユルを盗み見ながらディーバの服の裾を引っ張る。
「フェンリル様、この光景で理解できたでしょう?ミユル様に対して良からぬ行為を考えるのはお止めになられた方が賢明ですよ……」
内心の策謀を言い当てられたようでフェンリルはビクリと身体を震わせディーバの顔を覗き込む。
「…いいですね?」
恐い笑みで聞き返してくる。
「う、うん……分かったのじゃ」
その表情にコクリと頷き、世の中には関わり合いになってはいけない存在がいることを痛切に感じたフェンリルであった。
暫く進むと誘致者達の姿も疎らになり、反するように出店の数が増えてくるとフェンリルは瞳を輝かせながらキョロキョロと周囲を見渡し始めた。
「おぉ!スゴいのじゃ!あっ、アレは何じゃ?おぉ?これは?ディーバ、この通りはスゴい賑やかなのじゃ!」
今にも走り出そうとするフェンリルの手を握り苦笑するディーバに皐月も微苦笑を浮かべる。
「全く、子供じゃないんだから」
呆れた口調ながらも、その声には棘はなく寧ろ微笑ましさすら感じられる。
当の本人は九尾をパタパタと振り、獣耳は街の喧騒に忙しげにピクピクと動きながら身体全体で楽しさを表しており落ち着きがない。
「ははっ…申し訳ありません。何分、このような場所に出向かれること自体がないものですから」
子供のようにはしゃぐフェンリルの姿に恥ずかしそうに萎縮しながらもディーバは心が穏やかな気持ちになるのを感じていた。
「…まぁ、たまには良いですよね」
独り言のように呟くディーバにフェンリルが小首を傾げ覗き込んでくる。
「何か言ったか?」
「いいえ、何でもありませんよ。ただ、あまりはしゃぎすぎますと迷子になりますから、手を離さないようにしてくださいね」
何時もとは違う優しい口調でディーバは微笑む。その姿は母性に溢れたものであった。
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