其の34 不審者の定義
四大精霊達の驚きの声にも眉一つ動かさないミユルは淡々とした口調で話し始める。
「それでは皆様をバルクナールの街までご案内いたしますので私の後に付いてきて下さい」
用件だけを手短に伝えるとクルリと踵を返して彼らを待つ事すらせずにスタスタと先を歩き始めた。
その姿に周囲の者達は慌てて歩き始めるのだがフェンリルだけが少しだけ様子がおかしく足取りも他の者と比べて幾分か遅い。
「フェンリル様、大丈夫ですか?」
その様子に流石のディーバも心配そうにフェンリルに声をかけた。
だが、フェンリルは引き攣った笑みを浮かべるだけで言葉を発することもなく項垂れながらトボトボと歩みを進める。
「…そっとしておいてやるのじゃ」
憐れむようにミユルの洗礼を受けたフェンリルの後ろ姿を見つめながら雅はディーバに声をかける。
「まぁ、これが良い薬になればいいんですが…」
不安そうにフェンリルの哀愁漂う後ろ姿を見つめながらも彼女の性格をよく知るディーバは脳裏を過ぎる嫌な予感に頭を悩ませてしまう。
ー絶対に反省なんてしていない。
そう、確信を持って言えるのだ。
実際にフェンリルの心境はと言うと…。
外面はディーバが心配するほど落ち込んでいるように見せながらも内心では前を歩くミユルに仕返しするために虎視眈々とチャンスを窺っていたのだ。
ー今に見ておれよぉ~。目にもの見せて度肝を抜かしてやるのじゃ……じゃが、隙が無いのぅ
ミユルの後ろ姿をチラチラと盗み見ながら機会を窺うフェンリルだったのだが……。
ミユルの立ち振る舞いは隙だらけのように見えながらも流石は五護衆だと言えるほどで油断など一切なく、それが垣間見ることすら出来ない。
全く油断する気配すらないのだ。
そんなフェンリルを余所にミユルはと言うと何かを思い出したかのようにハッとした表情を浮かべ振り返る。
「…ところで皐月お嬢様」
歩みを止めることなく歩き続けながらミユルは後ろを振り返り皐月に声をかける。
「…なに?」
無表情な瞳で声をかけられるのは正直に言ってあまり気持ち良いものではなく皐月は警戒心を露わにする。
「そのゴミは何で御座いましょうか?」
その瞳が地面を這う浩介へと向けられた瞬間、周囲の歩みが止まり、それぞれなんともいえない無力感に包まれてしまった。
そして…。
「「…はぁ」」
大きな溜息をついてしまう。
けれど、そのような空気の中で何故か一人だけ信じられない様子で過剰に反応する者がいた。
「あっ、あっ、気付いたよ。ねぇねぇ、あの人ってば漸く気付いたよ!ねぇってば、聞いてる?」
ディーネの服の裾を引っ張り、左右に激しく揺すりながらサラは浩介を見るミユルを指差す。
「聞いてますよ…それよりサラちゃん、人を無闇に指差してはいけませんわ。失礼に値しますよ…あと、出来ればそんなに揺すらないで…酔いそう…」
サラの言葉を華麗にスルーしながら激しく揺すられるまま気持ち悪そうな表情を浮かべる。
あえて触れないようにしていたにも関わらず、好奇心旺盛な性格のサラにディーネは溜息を漏らす。
「…気付いていないわけがないでしょう」
ディーネは呆れた口調で項垂れる。
間違いなくミユルという人物は度しがたい性格なのだと思いながらサラに視線を向けるとディーネは小さく溜息をついた。
「えっ…?」
まるで衝撃的な事実でも知ったかのようにサラは瞳を見開き驚いた表情を見せていたからだ。
「…サラちゃん…本気……です…か?」
感情表現の乏しいノーミですら今のサラの表情に別の意味での驚きを露わにしている。
「………バカがいる」
ジト目でサラを見つめる安定のシルフィさん。
「……はぁ、なんでこんな子が火精霊の頂点にいるんでしょう。前の御方はまだ理知的であったのに…」
天を仰ぎ嘆くディーネにサラは頬を膨らませてそっぽを向きながらブツブツと文句を言い始めた。
「だって、だってさ。普通は気付くのにあの人ってば全然、気付かなかったじゃない!それなのに皆して私のことを馬鹿にしてさ…もう知らない」
ふて腐れてしまったサラは他の者達から離れて雅の傍へと近付いていく。
何気に恐いもの知らずのサラであった。
なにせ雅は【八咫烏の太刀】の精霊であり、幾数千年の時を生きる大精霊だからだ。
「うん?どうしたのじゃ?」
けれど雅は、よほど珍しかったのか自分に近付いてきたサラを肩に乗せてやると自ら話しかける。
本人は忘れているが基本的に雅は大精霊でありながら、とある事情で若干の精霊恐怖症であるはずなのだがそこは雅である。
同類の匂いがするのだろう……。
つまりは単純なのだ。
「ねぇ、聞いてよ雅様ぁ~。皆が私のことを馬鹿にするんだよぉ~信じらんないと思わないぃ?」
雅の肩に座り足をプラプラさせながら頬を膨らませて怒りを露わにするサラに雅は少しだけ、本当に少しだけだが面倒くさいなと思ってしまった。
けれど自分から話しかけた手前、聞いてやらないといけないなと思う当たり真面目なのである。
「ふぅむ、何故に馬鹿にされたのじゃ?」
なにげ聞いてしまって後悔する羽目になる。
「えっとねぇ、前を歩いてる人いるじゃない?あぁ~ミユル様?その人ってばさっきまでご主人様の存在に気付いていなかったのに今になって皐月様に質問したんだよぉ。それに驚いたら皆が私をバカにし始めたんだぁ!もう、頭にくるよねぇ?」
一気に捲し立てて喋り出し最後に雅に同意を求めてくるが流石の雅も表情が引き攣ってしまう。
「あぁ…そ、そうじゃのぅ」
それしか言葉が出てこなかった。
その姿に雅はふと考える。
何故この子が四大精霊なんだろうかと……。
まさかミユルの戯言を本気で信じる純粋無垢な精霊が未だに存在していたのかとそちらの方が雅には驚愕に感じるぐらいだ。
「…ま、まぁ、あれじゃ……好きなだけ、そこにいると良いのじゃ。そのうち皆も反省するじゃろう」
何とか言葉を紡ぎ出す。
先程まで痛み続けた胃痛を忘れるほどである。
「うん、分かった」
サラの元気の良い返事には既に敬語など存在していない。その光景を見てディーネが青ざめた表情でオロオロとしているのが見える。
「ど、ど、ど、どうしましょう?雅様にあんな口を利いただけでなくあんな場所に座るなんて……」
「…あき…らめる……です」
「……うん、サラはそういう子」
ノーミとシルフィは意外と冷静に対処する…というよりも関わり合いになりたくないといった方が正しいのかもしれない。
なぜなら二人は自然に他の者から特にサラとミユルから、かなりの距離を取っていたからだ。
「貴女達まで…どうすれば良いのよ」
一人だけ本気で悩むディーネであった。
*
一方、皐月はと言うと返答に窮していた。
歩きながらもミユルの視線は浩介に向けられており、皐月からの答えを無表情に待ち望んでいた。
「…あぁ、まぁ、これは」
チラリと浩介に視線を向け「ちょっと、やり過ぎたかしら…」と意識の片隅で思うもが先ほどの彼の言葉を思い出し皐月は赤面してしまう。
自分でも何故あんな事をしてしまったのだろうかと首を傾げてしまいたくなるが、あの瞬間は正しいことだと思ってしまったのだ。
「なぜ、皐月お嬢様は赤面されておられるのですか?まさか…そのようなゴミと一線を越えられたのですか?その様なゴミクズ以下の、いえ、それではゴミに失礼ですね……それでは、その物体は何と表現すれば良いでしょうか?難しいですね…あぁ、そんなことより先程の問いの答えがまだでしたね?それはなんですか?」
よく噛まずにそれだけ悪態がつけるものだとある意味で感心しながらも…皐月には答えられるはずがなかった。
いや、答えても良かったのだがそれはそれで面倒くさいことになる気がして皐月は黙りを決め込むことにしたのだ。
「うん…気にしないで」
それだけ言うとミユルから視線を逸らす。
「…はぁ、まぁ、皐月お嬢様がそうおっしゃられるのでしたら検索は致しませんが一応は帝の使いであらせられるので、浩介様の待遇はもう少し考えられた方がよろしいかと思います。では、先を急ぎましょう。付いてきて下さいね」
一気に興味を失ったのかミユルはスタスタと先を歩き始める…だが、しかし他のものは虚脱感に歩みを進めることが出来ない。
「…………なんなのよ」
皐月の呟きにディーバが声をかける。
「あれがミユル様なのですね…」
溜息交じりにそっと皐月の肩に手をかけ慰めるとディーバはいつも以上に重い足取りで歩み始める。
なにせ他人事ではない。
自分の主が何をしでかすか分からないのだから皐月の苦労が分かるというものである。
先の不安に項垂れながら歩く。
ゴンッ。
項垂れながら前を見ずに歩いていたため急に立ち止まったミユルに対応できず皐月は彼女にぶつかってしまった。
「なんで急に立ち止まるのよ?危ないじゃない」
前方不注意は前を見ていなかった皐月が原因であるにも関わらず文句を言う彼女にミユルは無表情で振り返る。
「着きました…」
「えっ?」
その言葉に思わずキョトンとする皐月達。
ミユルに案内されてまだ五分も過ぎていない。
精霊達から森の出口が近いとは聞いてはいたのだが、それでも早すぎる気がしてならない。
「…嘘でしょ?」
「何がでしょう?」
その言葉の意味が分からないとでも言うようにミユルは不思議そうに小首を傾げる。
「もう着いたの?」
「はい、あちらがバルクナールで御座います」
ミユルが指差した先を追いかけるように周囲の視線が動きピタリと止まる。その先には確かに身に覚えのある街並みが広がっていたのだ。
今まで気付かなかったのが嘘のような喧騒が聞こえてくるの目の当たりにして皐月はその光景を茫然と見つめる事しか出来ない。
「えっ、ホントにバルクナールだわ……こんなに近くまで着いていたのにで気付かなかったなんて……あり得ないわ」
眉間に皺を寄せ、訝しげな表情を浮かべる皐月に小首を傾げたミユルが何かを思い出したかのようにハッとする。
「……あぁ、忘れていました。この森は不審者を排除するために空間を弄っていたんです……ですが、おかしいですね。不審者以外には反応しない筈なんですが……あぁ」
無表情に周囲を見渡しミユルが一言。
「…不審者しかいませんね」
悪びれた様子もなく皐月らを不審者と認定するミユルの言葉には悪意しか感じられない。
仮とは言え皐月はこの世界の皇女である。
不審者扱いされる言われは決してないのだ。
むしろ、もう少し敬っても罰は当たらないはずである。けれど、ミユルは品定めをするように皐月の姿を上から下まで無言で見つめると最後に鎖の先へと視線を向ける。
「帝の使いで在られる浩介様を鎖で簀巻にして引き摺ってる行為自体、他者から見れば完全に不審者にしか見えませんよね?それとも、その様な行為が不審者以外でも行われると言われるのでしたらなんと表現いたせば良いのでしょうか?」
まさに正論の極みである。
「そ、それは、ほら……そうね」
皐月はミユルに返す言葉が出てこない。
「分かっていただければ良いのですよ」
そう言って表情を変えることなく優雅に一礼するミユルの姿に皐月は、いや周囲の者達全員がイラッとした表情を浮かべる。
ミユルの言葉は紛れもなく正論の一言に尽きるのだが、何故だろうと皐月は心の中で考える。
釈然としない感情が痼りとなって残っているのだが言い返そうにも現状は確かに不審者なのだ。
「うぅ、なんなのよ、この釈然としない感情は?そりゃあ、端から見たらふ、ふしん…不審者にしか見えないかもしれないんだろうけど…イライラする」
苛立たしげに掌の鎖を動かそうとする。
だが………。
ガシッと皐月の手を強く握りしめたディーバに止められ、憐れむような瞳で静かに首を横に振る。
「…ミユル様の思う壺です」
その言葉にハッとミユルに視線を向けると彼女の瞳がジィーッと皐月を見つめていた。
その瞳に皐月は直ぐに鎖から手を離す。
「…………ちっ」
舌打ちが聞こえた。
一切、隠す気のないハッキリとした舌打ちが皐月の心を抉り取り言い知れぬ焦燥感に襲われる。
思わずディーバの手を強く握りしめた。
「助かったわ。貴女が助言してくれていなかったら私は今頃どうなっていたことか……」
想像しただけで身体中が恐怖に震える。
「あの手の輩には慣れておりますから…」
ディーバは哀しげに遠い目をする。
気のせいか瞳が涙で潤んでいるようにも見え、皐月はディーバの手を強く握りしめ彼女を見つめる。
「アンタも苦労してるのね……」
「お察し頂き痛み入ります」
やはり、泣いていたのか瞳を拭う仕草を行うディーバは皐月は何かが通じ合った気がしたのだった。
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