7. 私有地ではないところ
「それなら、いいの?」
アンナは、レインの言ったことを理解できていないのか、首を傾げて尋ねて来る。
「ああ。私有地じゃないっていうのは、誰のものでもないってことだ。つまり、それは、俺たちが採ってきても問題ないんだ」
「へー」
アンナは、尚も首を傾げてはいたが、取り敢えず、分かったと言うように頷いてみせた。それを見ると、レインは、「よしっ」と言って立ち上がり、コートを羽織る。
私有地ではないところなど、人の管理が追いつかない山奥や、人が行けないような場所くらいのもので、近場は既にこの村の者が刈り尽くしてしまっている為、本当の意味で誰の手も行き届いていない場所を探し出さなければならない。そうなると、すぐには終わらない可能性もあるので、レインとしては、午前中には、鳩車(馬車の鳩バージョン)を用意して、出発したかったのだ。
「アンナ、ちょっと小さいかもしれないけど、これ着ろ」
レインが立ち上がったのを見て、出かけるのを察して立ち上がったアンナに向けて、レインは、昔着ていたコートを放る。アンナは、「わっ」と小さく驚いた声を上げながら、おたおたとそのコートを受けとって着られるか確かめるように、服の上から当てていた。
「……そう言えば、アンナに服作ってやらないとな」
レインは、お粗末なレインのお下がりの服を着ているアンナを見て、そう呟く。
風呂に入って汚れを落としたアンナは、窓から射し込む朝日をセミロングの金髪に反射させて、美しい輝きを放っている。薄汚れていても分かる整った顔立ちと相まって、さながら天使か何かのようだ。
アンナが幼いながらも美少女であることを認識したレインは、その天使が纏う衣服のショボさに呆れ返った。せっかくの容姿が台無しである。
「なぁ、アンナ。お前の服、作ろうと思うんだけど、なんか希望ある?」
「服?これじゃ、ダメなの?」
コートを着て、少し窮屈そうなアンナは、今の姿でもそれなりに満足しているのだろうか。確かに、集会で見た時に着ていた服は、麻の薄い服を着ていて、それもボロボロの酷い有様。正直、見えてはいけない場所が見えそうで、レインは、地味にハラハラしていたりした。
それに比べたら、今の服ーーティリの皮製のコートの下に茶色の、飾り気のない、少し破れた長袖の薄い服(だぼだぼの袖を幾重にも捲っている)に、色褪せた灰色の短パン(アンナが小柄なせいか、膝まである)、適当に毛糸を編んで作った長い靴下(端がほつれている)ーーは、凄いまともなのかもしれない。
しかし、女の子、しかも、国宝級超美少女が着る服ではないに決まっている。こんな服装でアンナを出歩かせたら、レインは世界に謀殺されるに違いない。
その旨を説明すると、アンナも納得したように頷く。
……国宝級美少女がうんたらかんたらの件は、「女の子がするような服装ではない」と、非常に噛み砕いて説明しているが。
「ならーー」
そう言われて、アンナは、たどたどしく服のデザインの要望を告げる。その要望を聞き入れて、レインは近くにあった紙にメモっていく。中には、細かいものもあって、やっぱり女の子だな、とレインは思った。
「じゃ、家ができたら、早速作るか」
「うん!」
レインがそう言うと、アンナは、普段の無表情を緩めて、嬉しそうに頷いた。
レインは、アンナのスリーサイズなど知らないが、自分が子供のときに着ていた服と同じサイズで作ればいいだろう、と思いながら、コートの他に、靴下二枚と手袋を手早く装着し、昨日と同じくクマ形態になる。小さいマフラーは、サイズが合わないので、アンナに渡した。それと一緒に、お古のクマ装備をアンナに手渡す。
アンナは、もたもたとしていたが、レインを見習って、早く着ようとしているのだろう。そのお陰か、アンナのオーダーメイドを取っていたにも関わらず、予定通りの時間帯に用意を終えることができた。
「それじゃ、行くぞ」
レイン(クマ)がアンナ(クマ)に声をかけると、アンナは、昨日とは違って、安定した足取りで玄関に向かう。靴下を二重にして履いているので、少し歩きにくそうではあるが、特に問題はないだろう。しかし、アンナは玄関の縁に足をかけたところでピタッと立ち止まった。
それを疑問に思ったレインが、アンナの方を向く。
「ん?どうかしたか?」
外に出たくないとでも言うのだろうか。確かに、寒いからそれは非常に分かる。レインも、昨日、「埃が!」をやったばかりだ。と言うか、毎日のようにやっている。今日だけ特別だ。そんなくだらないことを思い浮かべながら、アンナに話しかけると、少し震えているように見える。
「……マスター、私、靴ないよ?」
「………あ」
アンナは、レインが先ほどお古のクマ装備を漁っているときに、一つ、気付いたことがあった。「あれ?お古の靴は、ここには入ってないのかな」と。その時は、既に玄関に置いてあるものだと思っていた為、特に何も思わなかったのだが、いざ玄関に赴くと、長く、分厚いブーツが一組。
アンナは、身ぐるみ剥がされて簀巻きにされたので、実は、裸足のまま夜のカルラの村を歩いて来たのだ。
元々、少しはまともな服を着ていたし、靴だって履いていたのだが、現在、クレイマー……?あ、クライマーの家にある、もしくは、既に処分されているのだろう。どちらにしても、レインの元には届いていない。
「とは言え、あるかも分からないアンナの靴とかを取りに行くのに、わざわざ三つ離れた集落に行くのもな………。確か、お隣のメイソンさん家は、アンナと同年代の子がいたはずだから、ちょっと借りてくるか。……アンナ、お隣さんに挨拶がてら、靴を借りようと思うんだけど、靴下で外に出る訳にもいかないし、とりあえず、俺の靴を履いてくれ」
レインがそう言うと、アンナは素直にレインが用意した26.5センチの靴に、靴下でもこもこになった足を入れる。レインだったら絶対入らないが、小柄なアンナならもしかしたら、これで丁度いいくらいかもしれない。
「よし、今度こそ行くか。行って来ます」
「行って、来ます。……それは、出かけるときの挨拶で良い?」
昨日の夜と同様に、アンナはレインに疑問をぶつけてくる。これが、世界の文化差なのか、それともアンナがおかしいのかは分からないが、レインは、扉を開けながら首肯する。だって、寒過ぎて口開けるの嫌だったから。
ちなみに、メイソンさんは恰幅の良いおばさんで、レインが五歳だった頃から何かと構ってくる、ある意味、御母さんと言うべき存在だった。
最近ニートと化していたレインは、長らく会っていなかったが、どうせならと思って、メイソンさんを頼ることにしたのだった。
レイン達が外に出ると、相変わらず、クマが……
「って、何でいるんだよ!」
身長約260センチ、体重約300キロと、既に、某巨人が進撃してくる漫画の、小さいサイズのものと同レベルの巨体を有する親父が朝から家の前にいるのはなかなか、精神的にくるものがある。レインが、そんなことを考えて嫌そうな顔をして、親父に声を上げる。
「いや、その子供……アンナって言ったか。様子はどうだ?」
「ああ、そのこと……」
レインは、“冥界の民”だろうと予測されるアンナの世話と、監視を言いつけられていたのを今更ながら思い出した。
世話の方は、アンナがのんびりとしているせいで、昨日の夜と、朝のドタバタした騒動を含め、自然と行っていたが、レインは、アンナの相手をするので精一杯。お陰で、すっかり監視のことを忘れていた。
下手なことをしないように見張ってはいたが、それと監視は別だ。レインは、もっと閉塞的な嫌なイメージがあるものだと思っている。対し、この半日くらいでレインがしてきたのは、母親が赤ちゃんを見守るイメージである。
それはともかく、アンナを預かってから今まで期間は短いが、レインが見ている範囲では特に目立った異常行動は見当たらない。ただし、アンナの生活レベルの低さ等は抜きにしてだが。
「大丈夫かな」
レインがそう答えると、親父は、「そうか」と言ってレインから視線を外し、ギョロっとアンナの方を見る。
その視線を向けられたアンナは、「……ぅ」小さく息を漏らし、スッとレインの後ろに隠れた。大方、親父の野生的な視線に恐怖を感じたのだろう。レインだって、この巨体が自分の前に立っているだけで、押し潰されそうな気分になる。
「ねぇ、マスター。このクマ、大丈夫なの?食べられたりしない?」
「珍しく可愛げのある発言だが、いくらクマでも、あ、違う。いくら親父でも、それはないな」
「おいてめえら、誰がクマだって?」
「「お前だ」」
クマ呼ばわりされた親父が、「あぁ!?」と言わんばかりにドスの効いた声を出す。いつもマフィアかクマかみたいに迫力のある親父だが、十四年の経験から、これは割とキレているとレインは判断した。
しかし、それに対し、見事な二重奏を奏でて親父をクマ認定しようとするレインとアンナを見て、親父は表情を緩める。何だかんだで、レインとアンナは上手くやって行けそうだと思った。
「……?何だ、不気味な顔して」
「クマもといマスターのおとーさん、顔が怖いよ?」
「……うるせぃ」
親父は、ほっこりしていたところを二人して不気味だとか言われてげんなりする。もはや、何か言い返すのも嫌になってきていた。
ちなみに、親父はクマ化する前は渋くて漢らしく、割とイケメンだったのである。今はただのクマだが。顔面ヒゲに覆われたクマだが。
「ーーそう言えば、お前たちはどこかに行くのか?」
親父は元々、レインとアンナはまだ寝ていると思っていたので、二人揃って丁度扉から出てきたことに疑問を抱く。
「家だよ、家。今から木を採ってくるの」
「ああ、なるほど。土地は?」
「取り敢えず、俺の領地の、この前亡くなったジルさんの奥さんが、デリスの所の息子の家に厄介になるって言ってたから、その土地を貰うことにした」
「そうか。あそこなら、立地も良いし、良いんじゃないか?奥さんに、そのことは言ってあるのか?」
「メイソンさんとこでアンナの靴を借りたら、行ってくる」
レインはそう言い残し、「行くぞ」とアンナに声をかけた。アンナは、コクっと頷いてレインの横に立つ。レインは、もこもこと着膨れしたアンナの手を引いて、メイソンさんの家の前まで移動した。
コンコンコンっとノックを三回。ノックの回数は、無駄に奥が深い。トイレのノックは二回。目上の人には三から四回。レインは、前世に、暴虐の限りを尽くす上官の部屋にノック二回で入った者が処刑されたという話があったのを思い出した。
レインは、無意識だったが、ノックを三回にしておいて良かったと今更思う。
「メイソンさん、おはようございます。レインです」
レインが木製の扉越しに声をかけると、「はいはい、今行きます」と返ってきた。それから五秒ほどでカチャッと扉が開いた。
「あらあら、レインちゃん、お久しぶりねぇ。元気にしてた?」
中から出てきたのは、赤毛のパンチパーマの恰幅の良いおばちゃん。数年前にレインが作って渡した赤いエプロンを着けている。おばちゃんーーメイソンがレインの記憶通りの姿で、何処か心が温かくなった。
「お久しぶりです。相変わらず、お元気そうで」
レインがそう返すと、メイソンは、レインの後方、アンナに目を向ける。アンナは、「ん?」と首を傾げている。
「レインちゃん、その子は?」
「こいつは……俺が昨日から預かってる子です。ほら、挨拶」
「えっと、始めまして。アンナと言います。よろしく、お願いします」
レインに促され礼儀正しくたどたどしく自己紹介をするアンナを見て、メイソンはあら〜と言ってにこやかな笑みを向ける。ここだけ見れば、アンナは物凄く良い子なんだろう。アンナの自己紹介兼挨拶を受けたメイソンが嬉しそうな顔をしている点から察することができる。
しかし、レインとしては、アンナの不思議ちゃん過ぎるところを見てしまえば、この温かい笑みも凍りつくような無表情に変わるのかもしれないと思ってしまった。
「アンナちゃんって言うの?礼儀正しくて良い子ねぇ〜。レインちゃんみたいな引きこもりの家に居候なんて、大丈夫かしら」
案の定、メイソンはアンナを褒めちぎる。あと、地味に言葉に棘がある。レインのハートにグッサグッサと刺さって、既に致命傷だ。メイソンの言葉にアンナは嬉しそうにしているが、やはりマスターは心が痛い。
「そ、それはともかく、今日は用事があって来たんです」
「あら、何かしら?」
「実はーー」
レインは、アンナが訳あって服や靴を持っていない為、少しの間、息子さんの服を貸して欲しいということをメイソンに伝える。アンナが“冥界の民”である可能性については、一言も触れないようにだ。
もし、アンナが冥界の民かもしれないということが知れたら、クライマーのようにアンナを殺そうとする者が現れるかもしれないし、レインは特に疑っていないが、アンナがカルラの村に害を為す為に送られてきたのなら、こちらも危険だ。
この人の良いメイソンだって、この事案の前では、いつ村に敵対するかも分からない危険分子なのだから。
その為、アンナはあくまで、拾ってきた孤児の可哀想な女の子ということにすると親父と決めていた。
そんなレインの内心も知らず、メイソンは快く話を聞き入れてくれる。メイソンの息子さんの靴と、この前何処かのボンボンのところに嫁いだ長女が子供のときに着ていた服を貸してくれた。
「じゃあ、これで。ありがとうございました」
「ありがとうございました」
「いえいえ、また来て頂戴ね」
レインがアンナの服等を包んだ風呂敷を手に、メイソンに頭を下げ、礼を言うと、アンナも真似して同じように頭を下げる。まるで、仲の良い兄妹か何かのようだ。
そんな二人を見て、メイソンはにこやかに手を振り、ジルのものだった土地を所有している、ジルの奥さんの元へ足を向けるレインとアンナを見送った。
今回も読んで頂き、ありがとうございます。
この前、友人が、この作品を読んで、私のことを変態紳士と言って来ました。確かにアンナさんは幼女ですが、一応、それには理由があるんです。
決して、私の性癖は関係ありません。
ちなみに、その理由の一つとして、「キャラ付けが楽」というものがあります。
……虚しいな。
そ、それはともかく、次回投稿日は、1/18水曜日、もしくは1/21土曜日の二十二時になると思います。
誤字脱字等、教えて下さい。
次回も皆さんにお会いできたら嬉しいです。さようなら!