11. VS女王
遅れました。すいません。
それを見た瞬間、レインは一輪車に積み込んであった斧の柄を片手で握り締め、床を削りながら担ぎ上げる。
「アンナ、掴まったな?よしOK、右に切れ!」
「え、ちょっ……!待っ……!」
レインの指示に従って、ゲイポーが急に方向転換する。レインの反対側まで何とか辿り着いたばかりのアンナが急に大きく揺さ振られて床を転がったのを尻目に、開け放たれたままの戸から、クイーンを正面から睨み付ける。
「よぉ、やっぱり来やがったな」
予想通り、とレインは大して動揺を見せない。あれだけ自分の領域である森の中を逃げ回られて、しかも捕まえることが出来ないと来れば、魔獣とて待ち伏せくらいの手は取る。焚き火は人為的に起こすものであり、だからこその焚き火なのだが、普通に考えて組まれた木から火が燃え上がっていることなどないのだ。
ならば、クイーンは同士を殺した人間の拠点は其処であると判断するだろうとレインは踏んでいた。そうで無くても、アンナが解体したワルフは殆ど未処理で放置されていて、生臭い血の臭いが漂っているのだから。
とは言え、何度も言うが来ないに越したことはない。レインとは最悪野営地に既にクイーンが居るか、とも思っていた。しかし居ないのであれば、さっさと準備してクイーンと遭遇した反対側から逃げれば、クイーンとの遭遇時間は送らせられる。
「……まあ、出発して直ぐに来るとは思ってなかったが」
少々目論見は外れた形になるが、問題はない。この怪物とも、十分に戦える環境が整った。
クイーンとゲイポーは付かず離れず、一定の速度を保って逃走劇を繰り広げる。ただし、時速100kmにも及ぶ高速で、だが。レインが黒い暴風などと揶揄する程の速度を出せるクイーンも大概だが、此方のゲイポーも中々規格外だ。瞬間的な速度なら恐らくクイーンが勝るが、持久力なら圧倒的にゲイポーだろう。
レインとしては逃げ切れるに越したことはないので、そのままゲイポーに全力の逃走を続けてもらう。
「アンナ、大丈夫か?」
今更ながら、レインはクイーンを警戒つつ、首を背後に向けてアンナの安否を確認する。
「ゔ……気持ち悪い……」
「大丈夫そうだな」
「酷くない!?ゔぅ」
若干顔が青ざめており、少々吐き気を堪えている様な顔だがまだ元気そうだと、レインはアンナの苦情をバッサリと即答で切り捨てる。事実アンナは床を這って、縛り付けられた荷物にしがみついており、先の様な急転換をしても床を転がったり、投げ出されそうになったりだとかは無さそうだ。
病み上がり、と言うか気絶上がり(?)のアンナに対して中々鬼畜な対応だが、仕方がない。レインも余裕が無いのだ。
何故なら、先程からずっとクイーンと息がかかるくらいの近距離で肉迫しているからだ。何とか距離は詰められずにゲイポーは走り続けているが、何かの拍子に速度が落ちたら、クイーンは鼻面を鳩車内に突っ込み、レインもアンナもスプラッターな惨状を晒すことになる。
それ故にレインはこんな位置に立っているのだが。
「ーー離れた?」
その時、クイーンが少し獲物であるレインたちが乗っている鳩車との距離を少しずつ開け始めた。とうとう、体力で大幅に上回るゲイポーが何とかクイーンを振り切ったのか。レインは警戒は解かずにクイーンをじっと睨み付けーー
「……違う!アンナ、さっきの串をよこせ!」
「く、串?」
「ワルフの串焼きの!」
やっとでクイーンから逃げられたというのに、一体何を言いだすのだろうか、とアンナは困惑しつつもリュックのベルトに挟んであった手製の串を三本ほど取り出し、尖っている方を手に取ってレインに手渡した。
レインはアンナが刃物等の手渡し方を理解しているのに若干驚きを感じつつ、アンナに手渡された串を全て斧を持っていない方の手で受け取った。内二本をベルトに挟み、もう一本を人差し指と親指で挟むように持ち替える。
「ーーッ!」
それを大きく振りかぶると、再び大地が爆ぜたあの突進の体勢をとったクイーン目掛けて投げ付ける。それは存外真っ直ぐに空を割いて放たれ、突進の予備動作で一瞬硬直した瞬間、
「ギィェアアアアァァァアア!?」
クイーンの爛々と輝く右の眸に突き刺さった。激痛にクイーンは悲鳴と思われる奇声を上げてその場で苦しみ悶える。突進の為の予備動作は完全に解かれ、未だ全力疾走するゲイポーとの距離は更に開いた。
これこそがレインの狙い。そして、脆弱な自らに課した役目だ。ゲイポーとクイーンが走って競争したら、持久力ではゲイポーでも瞬間速度ならば圧倒的にクイーンだ。ケツに着かれたこの状態では、突進された瞬間にジ・エンド☆
ならば、いっそクイーンと至近距離に立って迎撃してやろうとレインは考えたのだ。そのために斧を引っ掴んだのだが、少々計算外だった。いや、考えれば分かる話でもあるが、大地が爆ぜる程の突進を走行中にいきなり行うなど無理があったのだ。タメがいるのも想定に入れておくべきだったのだ。
レインは遠距離用の迎撃手段を用意しておらず、アンナに串を用意させたのも、咄嗟に思いついたのがダーツだったからだ。結局串を投擲したときには既にあの豪脚の威力を爆発させる直前で、ただ運が良かったのだ。
とは言え、それでも上手く行ったのは事実。眼球を射抜かれたクイーンはその場で悶絶し、一方ゲイポーは走り続けてどんどん森を下って行く。実はこの森、森と言うよりも山と言ったほうが近いような斜面にあり、レインたちはその山頂の拓けた場所を野営地と定めていたのだった。
いきなり急斜面を走って下れと言われるゲイポーが可哀想に思えてくるが、彼等は同姓との性行為の他に、その卓越した脚で地を駆けることを本能にしている生物なので、むしろ彼等の業界ではご褒美です。
ついでにMなのもある。
そんな奴に命を預けても良いのか、とレインは内心げんなりしてしまうが口には出さない。「このホモが」とか「特殊性癖の権化」だなんて思ってもいないから言いようも無いのだ。ないったらない。
「マスター、あの大きいのは?私たち、逃げられたの?」
そんなことを呑気に考えていると、青い顔をしたアンナが袖を引いて問い掛けてきた。暗い中で見ると軽くホラーだが気にしない。
「今何か変なこと考えた?」
「いや別に。……取り敢えず、一旦巻いたと思う。でも、彼奴は魔獣だ。世界の害悪なんて言われてるくらいだし、警戒するに越したことはないがな」
ジト目でレインを追い詰めるアンナを即答で適当にいなし、レインは外に目を向ける。
(やっべ、女の勘ってやっべえ!何あの貫通仕様?俺ちょっと変なこと考えただけでピンチなの?なんか、クイーンよりもこっちのほうが怖いんだが)
今度こそは内心を悟られないようにレインは若干冷や汗をかいて、女の勘という世界最強の第六感の凄まじさに驚愕していた。あれは理屈など通用しない、一種の魔術とも言える力だろう。あの頭のおかしい魔術研究者たちは、合法的に女の勘を題材に研究するべきだとレインは心底思う。
それはともかく、クイーンは仲間意識の高い魔獣だ。配下のワルフの死体を喰らい、あまつさえその報復に来た別のワルフをも殺してしまったレインたちをそう簡単に見逃してくれるとはとても思えない。今は片目を失ったショックで立ち止まり、距離は離れたが恐らく調子を取り戻した瞬間にクイーンはあの豪脚の真髄を発揮し、どちらかが果てるまで追い続けるだろう。
そうなれば、村に逃げ帰ってもクイーンは村までやって来て大暴れする筈だ。レインとしてはそれは避けたいところだ。
ーー結局のところ、道は一つしか無いのだろう。
レインが覚悟を決めたのを見て、アンナも表情を引き締める。アンナはカルラに来てからまだたったの二日しか経っていないが、その二日間は非常に濃密で、そしてとても心穏やかに過ごせる日々だった。
これから造る予定の家でレインと楽しく暮らし、強面の親父とレインが繰り広げる親子漫才を見て、上達した料理をレインに食べてもらい、もしかしたらそれを気に入ってくれるかも知れない。
そんな光景を想像すると、レインと同様に村を、その可能性を守りたいとアンナは思ってしまった。
レインとアンナは顔を見合わせ、一つ頷く。暗い車内でよく顔は見えなかったが、互いの考えは不思議と手に取るように分かった。ならば、やることは一つだけだ。
道を阻む存在を。即ち敵を、
「「倒す!」」
二人は並んで立ち、血霧を蒸気のように噴き上げて追い縋る隻眼の女王を前に、不敵な笑みを浮かべた。
◆◆◆◆◆
迫る爆音ーー木々を薙ぎ倒し、大地を抉る破壊音がレインたちが乗る鳩車を追ってくる。今レインたちは、折角降った坂を再び駆け上がっていた。目指すのは先程の野営地。
そこならばあの巨獣にも勝てる、とレインは踏んでいる。
具体的な作戦はアンナに伝えており、今は迫るクイーンに追いつかれないように走り続け、野営地に到着するのを待つばかりであった。どうやらクイーンは片目を失ったことによって距離感が掴めなくなったのか、先程から一度も突進してこない。
あれがあったとしてもどうにかするつもりだったが、無いなら無いで好都合に決まっている。レインはほくそ笑むと、余程のことが無い限り追いつかれはしないので、アンナの方に向き直る。アンナは今、レインに支持された通りの道具を製作している。邪魔するのは悪いと思うが、緊張したままというのもあれなので何か話そうと思ったのだ。が、いかんせんレインは元々コミュ障ーーと言うか、喋ることができなかったのに、重い空気の中空気の読めない発言をする度胸は流石にない。
どうしたものか、とレインが悩んでいると、アンナの方から話を振ってきた。
「……初めて会ったとき、マスターは『なんで引き寄せる魔力を持っているのか』って言ってたけど、マスターは魔力が見えるの?」
「……」
魔力は見えない。
それは、誰にも知られている常識である。それは冥界の民(と思われる)アンナにとっても親しみのある話で、単純な話、「お前は空気が見えるのか」ということだ。確かにレインは、集会で簀巻きにされたアンナを見たとき、「なんでコイツは、‘‘引き寄せる魔力,,を持っている?」と言った。
その一言は、魔力は見えないという常識を真っ向から無視する発言だ。此方も魔力を空気に置き換えてみると分かりやすい。
「……ああ、俺は魔力が見える」
何処まで話したものか、とレインは悩む。村の長老と次長老には知られた話だから普通に魔力質について話題を提示してしまったが、これは大きな失言だ。信用できるかどうかも分からない相手を前に堂々と「魔力が見える」と言えば、まず精神科に行くことを勧められるだろう。それどころか、あの魔術研究者が出張ってくる。
もしアンナと魔術研究者が関係があれば、最悪だ。
しかし、実際のところアンナは魔術研究者とは関係がない、ちょっと特殊な事情があるだけのただの子供だ。「精神科に行くことを勧められる」というのは、あくまでも大人に話したら、ということであり、子供に話せば、
「へ〜、ねぇねぇマスター、どんな風に見えるの?」
こうなるのが当たり前だろう。いや、鳩車の外からは「グアアアアアッッ!!ガアァアアアッ!!!」と猛獣の怨嗟の雄叫びが響いているから、まず泣き喚くだろう。普通なら。アンナもレインも肝の太さは尋常では無いが故、こうも落ち着いていられるのだ。
それぐらいなら話しても良いだろう、とレインは目をきらきらさせるアンナに話して聞かせることにした。
「俺は人が持っている魔力を見ることができる。正確には、イメージを視ることができるんだ。魔力は瞳に映って見えるんだが、引き寄せる魔力の保有者の瞳は、中心に渦を巻くような感じかな」
これは恐らくレインしか知らないことだが、目の色は保有魔力の色と同じだ。本来空気中にある魔力は無色だが、魔核を通して体内に取り込まれると、魔力は色を持つ。それは、適性魔法属性のイメージ色と大体合致していた。
とは言え、魔法適性がない者は皆目が無色かというと、そんなことはない。実際のところレインの目は黒いし、あくまで参考程度である。
アンナは作業の手を止めずに、しかし興味深かそうに聴いてくれるので、話すレインとしても楽しいものだ。何より、折角異世界に来たのに何のチートもないと思っていたところからの、唯一の特殊能力の話だ。聴いてくれる相手がいるのは嬉しいものだ。
「グアアアアアッッッ!!!!」
「ひゃっ……!」
「っと、追い付かれたか……!」
凄まじい咆哮が間近で轟き、アンナはびくっと身を竦ませる。レインはすぐさま立ち上がって斧を構えると両手で握り締めて突き出し、鳩車の縁に牙を突き立てんとするクイーンを牽制する。距離感が掴めないクイーンは普通に噛み付くだけでも大変なのに、獲物は全力で正面を駆けている。そんな状況で刃物を突き出されたクイーンは、大袈裟に兇悪な顔を仰け反らせる。
しかし流石に慣れてきたのか、距離を離されることなく喰らい付いてきた。
遂にクイーンはガキィッと音を立てて鳩車に牙を立てて扉を捩じ切ってしまった。こうなってはどうしようもないので、レインはバックステップしてクイーンから距離を取りつつ横薙ぎに斧を振るう。当てるつもりのない一撃だったが、斧の先がクイーンの鼻面を浅く抉り、血肉を撒き散らした。
「まだ着かないのか……!?」
やっとで少し距離を離したクイーンから目を逸らさずに、レインは苛立ちを含んだ声を上げる。言ってもどうしようもないことは分かっているが、いくら何でも焦りが募る。斧の重みに身体を振り回されて足がもつれ、それも更にレインの苛立ちに拍車を掛けた。ここ最近夢見心地が悪いのもあって、何処かで鬱憤を発散したいレインは、考え無しに全力で野営地から遠ざかるよう指示してしまった自分に嫌気がさした。
鬱屈した気持ちをぶつける相手が正真正銘の化け物な時点で、何かが間違っている気もするがレインは気にしない。
堪え兼ねたレインがイライラと後方に顔を向けると、丁度その時アンナが声を上げた。
「マスター、見えた!」
野営地にそろそろ到着のようだ。
「アンナ、準備だ!用意はーー」
「終わってる!」
「よし、一丁やってやりますか!」
レインは一言そう言うと、急停止する鳩車がスピンするのも構わず、鉈と斧を持って飛び降りた。斧は前方に放り出し、鉈は手に握り締めたまま、地に着くや否やレインは衝撃を受け流す為に前転し、受け身をとる。
そして、這い蹲るように手を伸ばし、先に落ちた斧の柄を引っ掴むとレインは立ち上がる勢いのまま横に反転し、斧で空気を圧殺。その刃はやっと姿を見せた獲物に襲い掛からんと躍り出たクイーンの脚の付け根に届き、肩まで一本の赤い線を引いた。
「ギャァアアア!?」
堪らず絶叫するクイーン。ガクッと切り裂かれた脚から力が抜け、慣性の法則に従ってクイーンは前方に滑る。
「ーーッ!?」
その方向には、最初のワルフのときと同じように肩から倒れ込んだレインがいた。顔を上げれば黒い巨体が迫っており、それは止まる様子が見受けられない。予想外の事態に驚きつつもレインはどうにか避けようと身を捻るが、本当に予想外なことに、あれだけ格好つけた挙句初っ端から右の肩が外れたのか、堪え難い激痛が走る。
レインは顔を顰めて苦鳴を噛み殺し、目を瞑って身体を丸め、暴風を伴った衝撃に備えた。
「ーーポォオオオオッッツ!!!」
しかし、レインは前方のクイーンからではなく、横から背中を引っ張られて吹き飛ぶことになった。ゲイポーがレインの服の背中を摘んでクイーンの進路上から掻っ攫っていったのだ。
レインくんとアンナちゃん、肝太過ぎませんかね……?