006
子供たちに槍の手ほどきを終えた後井戸の冷たい水で体を拭いていたディアスに、いつになく真剣な顔でマティアスが竜皮紙を差し出した。
「徴税を兼ねた徴兵吏は、いつも収穫の時期に来るのですが・・・・・・近くどこかと争いになるのかもしれません。あなたの様なすばらしい戦士が居るとなれば、是が非でも連れて行かれることでしょう」
受け取った竜皮紙には5日後に徴兵に来るため、成人した男子は荷物を纏めておけという旨が高圧的な文言で書かれていた。受け取ってそれを読んだディアスにも、分かる程度には不愉快な文章だった。
「・・・・・・俺は、兵隊になる、つもりも、奴隷になる、つもりも無い。どうすれば、いいと思う?」
恐らく徴兵吏はそう大人数ではない。いざとなれば皆殺しにして逃げることもディアスならば可能だろう。だが、その方法を取ってしまっては村に多大な迷惑をかけることになる。ここニカル村に向かうという情報さえ伝わっていなければそれも可能だろうが、そんな賭けをすることは出来ない。
問いかけにマティアスは余り乗り気ではない顔で指を立て答える。
「クレーモラ様の徴兵に応じなくていい方法は、三つあります。ひとつは神官になることですが・・・・・・獣人のあなたが神官になることは出来ないでしょう。二つ目は、行商人となってラースの認可を受けることです。これも、今からでは間に合うはずもないですし、街で獣人が商人を行うことは難しい。最後のひとつですが、傭兵になることです」
獣人に対する差別は都市部では非常に苛烈なものだ。神官や商人になるのは難しい。
「傭兵でしたら、組合があり・・・・・・そこでホルムと呼ばれる銀の証さえ作ってもらえれば、徴兵はされません。かわりに組合の仕事を請ける義務があるはずですが、詳しいことは村暮らしの私には分かりません」
マティアスとて、ディアスをこの村から放逐したくは無い。森から降りて来る魔獣など一顧だにしない戦力に、その技を伝える能力。その上色々と村人が知らない知識を知っていると思えば実利的にももちろん、何よりこの半月ですでに友情を感じている。出来ることならばこれからも自分達とともに暮らして欲しいと思っている。
そのことが態度から十分伝わり、ディアスは微笑んだ。
「ありがとう、マティアス。俺は、たぶん、町にいっても、なんとか、やっていけると思う。なんなら、機会を見て、帰ってくるさ」
「すみません・・・秋までは少なくとも大丈夫かと思っていたんですが。また、ここに帰ってきていただければうれしいです。これは大した物じゃないですが、餞別がわりに受け取ってもらえませんか」
そういうとマティアスは、布に包まれた棒状のものを差し出してくる。ディアスが受け取って布をめくると、そこにははめ込み式の槍の穂先があった。
「鍛冶のロッツ爺さんに頼み込んで、一本譲ってもらいました。ディアスさんが使うなら、といい仕上がりのものを快く譲ってくれましたよ」
陽光にかざしてみると、鋭く輝くそれは良く磨きこまれていることが分かる。ロッツとは数度言葉をかわしただけだが、彼とマティアスの思いやりが感じ取れた。
「鉄は、貴重品なのに・・・・・・本当に、ありがとう。これ、大事に、使うよ。さっそく、柄を、付けてみる」
二日後、徴兵吏が来る前に余裕をもって出立することになった。世話になった男衆と杯を交わし村長にも挨拶をすませ、身の丈ほどの真新しい槍をかついでディアスは村の入り口に立っていた。周囲には村の人々がつめかけ、口々に別れと再会を願う言葉をかけてくれている。
「みな、ありがとう。いつに、なるかは、わからないけど、必ず、帰ってきます」
そう言って手をあげ、譲り受けた生活必需品を詰め込んだ背嚢を背負う彼に、かけよる影があった。
「ディアスさん!私、待ってますから!必ず戻ってきてください・・・・・・!!」
エルシだ。涙を浮かべ尻尾も悲しげに揺れる彼女は、目が粗いが丁寧に織られた短いマントをディアスの肩にかけると、その手を握り締めて嗚咽する。ニカル村は獣人に寛容とはいえ、やはり肩身が狭かった彼女のもとに現れた青年は、英雄的にうつったのかもしれない。彼女の思慕は、鈍いディアスにもさすがに伝わってきた。
「ありがとう、エルシ。いつか、必ず、再会を」
そう答える彼自身も村の皆にも、エルシにも再び会える日がいつになるかは見当もつかない。傭兵というのはディアスの考えたものほど自由度が高くないようで、まわされる仕事次第では何年も先になるかもしれない。しかし誰もそれを言葉にはしなかった。
握り締められた小さな手を優しく握り返すと、ぽろぽろと涙を零す少女を小さく撫で、ディアスは手を離す。いつまでも別れを惜しんではいられない。ここから東へ四日程の距離にある城市ボルクトへ出立しなければならないのだ。
「では、みな!元気で!!」
手を振って別れを惜しむという風習は、ここでも変わらない。風を背にうけて歩みだすディアスの姿を、ニカル村の人々はいつまでも見送っていた。