002
陽介が人里を探して歩き始めて約半日が経過したころ、辺りの木々もまばらになってきたあたりでひとつの幸運に出くわした。これによって彼の懸念がふたつ、一気に解消され、別の懸念が浮かび上がってきた。
「ん?あれは・・・・・・馬車か?」
人の足跡ひとつ無い林の中から開けた場所に出た時のことである。細長く続くそこは舗装もされていない道と見えた。そのかたわらに、明らかに人の手による物であったと思われるそれが横倒しになっている。
それは半壊し、時間によって朽ち果てた幌馬車であった。いくつかのえぐれたような傷跡と、盛大に飛び散った黒ずんだ血痕のようなものから、かつてここで何らかの争いがあった事は容易に推測できた。
「少なくとも人類に属する何かがいて、争いもあるのか・・・・・・まあ気が狂う程の孤独よりは、ましかな」
陽介の精神は、少々いびつだ。十年前の事故で両親と妹が目の前で肉塊に変わって以来、凄惨な画像や映像を目の当たりにしても、眉ひとつ動かさなくなってしまっている。血痕が染み付く程のなにかがここであったとしても、それ自体に心動かされることは無かった。
「このボロボロの幌をかぶってれば、少なくとも全裸の頭がおかしいやつとは思われなくてすむな」
そういうと、馬車に向かって合掌して一礼したあと、朽ちかけた幌を剥ぎ取り、マントのように身にまとう。
荒く織られた頑丈な布地は、そう短くない年月を経た後も何とか布としての体裁を保っていた。
「・・・・・・いざとなれば物乞いでもして服を手に入れるさ。何といっても動く頑丈な体はあるんだ」
この半日で独り言が増えたな、と益体も無いことを考えつつ少し大きくなった歩幅で彼は道を進んでいった。
”Legends”の設定によると、竜人は千年近い寿命を持つという。もしこの肉体がその設定すら反映していたとすれば、せっかくの動く体を手に入れたのに千年の孤独が待ち受けている可能性もあったのだ。そう思うと、ずいぶんと前向きに歩みを進めることができるのも当然のことだ。
夜。大木の根元にどっかと腰を下ろし、集めた枯れ木を前にして陽介は小さく呟いた。
「小さき火よ、我が手に」
唱えるとほんの僅かな虚脱感と共に、指先にマッチ程度の小さな火が灯る。それを枯れ木に近づけ息を吹き込むと、程なくして焚き火となる。種族的に暗視能力を持っている彼にしても、火は安心を覚えさせてくれた。
この呪文、祝詞、何と呼んでもいいが―これも、ディアスの体と脳が”知っていた”ことだ。どういった理屈でこのような状態になっているのか彼に知る由は無いが、いくつもの術法をディアスは覚えている。
ドラゴニュートには『祖竜信仰』という種族的受動スキルがある。それによって精神系の状態異常への耐性が上がる代わりに魔法威力が大きく低下していたが、それでも戦術の幅を広げるためにとポイントを割いて取得していた事に陽介は小さく満足した。
枯れ木が爆ぜる小さな音を聞きながら、夜空を見上げる。まばゆいくらいの満天の星空には知った星座はただのひとつもなく、赤い大きな月が昇っていることからも、ここは地球ではない事にいい加減納得する必要があるだろう。
「昨日までベッドの上に寝ていた俺が、今日は太陽系すら飛び出すとは、ね。・・・・・・ははっ」
自嘲するように笑うが、その声には微塵も後ろ向きな感情は無かった。地球に戻りたいなどと、僅かも思うことは無かった。それもそうであろう、牧島陽介にはもとより未来など無かったのだから。
「寝て起きても・・・この夢が続きますように」
そう何にともなく祈ると、彼は襤褸布を毛布代わりに瞳を閉じた。