017
世の中の大半は現金なものである。それはここ城市ボルクトでも何も変わらない。誰が広めたのやら「大刃ヒヒを打ち倒した二本角の獣人戦士」のうわさが広まると、買い物一つでも随分と楽になった。新たな雑嚢や靴底を鋲打ちした木靴、鎧の内側に着込むキルティングしたチュニックの予備など、ディアスは必要なものを買い漁った。
午前はセヴェリと練習試合などしながら、午後は街の中を見て周り買い物をする。雑嚢が満たされる程買い物をしても、銀貨五十枚―報酬が大きく上乗せされた結果だ―はそうそう無くなる事は無い。そうして生活必需品等をそろえる事に成功したあたりで二日が経ち、鍛冶屋に赴く。
「おやじさん。槍は出来てますか」
一礼して鍛冶屋に入っていくと、幾分か疲れた様子で弟子に檄を飛ばす老鍛冶師と鉢合わせした。
「おう、お前か。出来とるぞ…こっちだ、来い」
無愛想に招かれて鉄火場に入っていくディアスと、興味津々といった様子でそれを追うセヴェリ。老鍛冶師専用の部屋に入ると机の上に布がしかれ、そこに大槍が横たわっていた。
長さはディアスの背丈よりかなり長く、五メルク(2.5m程)だ。大刃ヒヒの剣刃は顔が映る程に磨き上げられ太目の柄は依頼通り鍛鉄の鉄棒で出来ており、頑丈そうな箍が接合部にははまっている。石突にも箍がはめられ、尖った鉄芯が飛び出していた。
「どうじゃ。ふるってみぃ」
吸い寄せられる様に槍を手に取ったディアスは、広い鍛冶場の中で遠慮がちに新しい槍を振るってみた。
ぶぉん、と重量物が空気を引き裂く音と共に剣刃がうなりを上げる。二、三の型を取ると、鋭く突き出して見る。驚くべきことに重心すらぴたりとディアスの体躯に合っており、まるで腕が延長されたかの様だ。剣刃が長いために薙刀に近い形状になっているものの、少し振るえばそれも手になじむ。
「素晴らしいですね。注文どおり…いやそれ以上です」
匠の技に敬服したディアスは、無意識の内に頭を下げていた。
「ふん、満足がいったか?しかしそんな色物をまともに扱えるとはな。・・・研ぎや修理はわしのところに持ってくるがいい。良いものを作れたからただでやってやる」
「…ありがとうございます」
早口でそういうと、ディアスの礼もそこそこにしっしっと追い出しにかかる老鍛冶師。用意された穂鞘をはめ、ディアスは入り口でもう一度頭を下げると、少し浮かれた足取りで鍛冶屋を後にした。
「ずいぶんご機嫌じゃねえか。それも無理ねぇか、大業物だからな」
そういうセヴェリと顔を見合わせてにやりと笑いながら、ディアスは上機嫌で歩く。ニカル村の槍には思いいれが詰まっていたが、彼の力に見合うものでは残念ながらなかったのだ。釣り合いの取れた武器を手に出来て、彼は大いに満足していた。
「こいつなら大概の相手とは五分以上にやりあえそうだ。素晴らしい鍛冶師だった」
「まったくだ。総鉄の大槍なんてものをこの出来で仕上げてくるとは流石じいさんだな。…まあ、鎧も出来てりゃ明日の謁見も格好がついたんだがな」
鎧に使う皮の加工はそうすぐに終わるものではないが、セヴェリとしては堂々たる戦士の出で立ちで謁見に望んで欲しいという思いがある。ちょっとばかり特殊な男だが、獣人の戦士がこれほどまでに力を示した事はそう無いことなのだ。
「まぁ鎧は仕方ないさ。普段着と変わらないポラ(チュニックの俗称)で謁見もどうかとは思うが…この外套だけで十分だろう」
獣人の少女エルシが送ってくれた短い外套は紅に輝くディアスの髪色に合う渋い臙脂色で、それだけでも十分な男ぶりだ。決してナルシストという訳では無いが、水鏡で見るその格好をディアスはいたく気に入っているのである。
「まぁな、お前はいい男だしなぁ。しかしだ、ラースとの謁見には気を使えよ。野心もあるし権力を使うことに躊躇いが無い野郎って話だ。そうそう喧嘩を売るような真似はするなよ」
「まさか。そんな事はしないさ…向こうが無茶を言わなきゃな」
そういうディアスの顔は至極真顔だが、聞き方次第では無理を通されそうになったら対立も辞さないと言っている様に聞こえる。セヴェリは処置なしといった顔で空を仰いだ。
「…心配だぜ…」
翌朝。いつもどおりに起きたディアスは、身支度をした後仕入れた香油で少しばかり髪を撫で付けると外套を羽織り、大刃ヒヒの槍を担いで何の気負いも無く城に向かった。セヴェリは無論来れないため、挨拶だけして出てきたのである。
昼の鐘が鳴るよりも一時間程前に城門につくと、立派な鎖鎧を着けた上級戦士と思われる門衛がこちらを改める。良く言い含められているのかはさだかでは無いがこちらを軽視するどころか、賓客待遇で城内に通された。ここナーゼルでは貴人との面会であっても、戦士から武器を預かるという事はしない。貴人とはすなわち強者であるべしという文化であるし、戦士から武具を取り上げるということはその者を信用して居ない証左となるからである。
そういう理由で、大槍や短剣を持ったまま、謁見の間に通される事となった。
城内は華美ではなく、戦のために作られた砦が時間と共に改修されたといったおもむきであった。回廊には矢狭間を埋めた跡が残り、そこかしこに屋上の防衛拠点につながると思わしき梯子がかかっている。帷子を纏った戦士達と何度かすれ違ったが、その錬度も高そうだ。
(あのワジとかいうメルクラースの様に腰抜けばかりじゃ無いらしい。気を引き締めて行こう)
そう思っている間にも案内役の戦士の導きで、城の中心近くと思わしき大扉の前に立たされたディアス。案内役から失礼が無いようにといい含められ、無言でうなづいて大扉をくぐる。
そこは高価であると人目で分かる毛竜の毛で作られたカーペットが敷き詰められ、一段高い奥まった場所に緞帳の様なものがかけられ金銀で装飾された豪奢な椅子がしつらえてあった。
そこで槍を前に横たえ膝をついてしばし待つと、幾人かのメルクラースとその侍従と思しき男達が次々に入ってきては左右に並び胡坐をかいて座る。あのワジの姿もそこにあった。ワジは幾人も居るメルクラースの中でもなかなか高位らしく、豪奢な椅子に程近い場所に陣取っていた。
そうして待つことしばし、昼の鐘が遠く聞こえて少し経った後。衛兵が声を張り上げた。
「ラース様のおなりであります」
皆が頭を垂れるのにならい、ディアスもとりあえず床に視線を固定しておいた。郷に入っては郷に従えという奴である。かすかに重い足音が響き、帷子の擦れとともにどかり、と着座する音が響く。
「面をあげい」
その太い声に従い顔を上げ、ラースを正面から見るディアス。
その男、ラース・クレーモラは四十がらみの偉丈夫であった。体格はディアス程もある。ナーゼルの純人らしい金髪をきれいに撫でつけ、板金と帷子を合わせた細かい象嵌の施された鎧の上から長く艶めかしい色合いの外套を纏っている。彫りが深く秀でた額の下、蒼い瞳は隠し切れないぎらぎらとした貪欲さと野心があふれており、整えられた口髭に隠れて皮肉げな笑みが浮かんでいる。
(こいつが、ここの親玉。なるほど、それだけの風格はあるな。ワジよりは遥かに使う、か)
「そなたが大刃ヒヒ殺しの勇士か。名はディアスといったかな?直接の返答を許す」
「は。傭兵のディアス・マキシマと申します」
ためらいも気負いも無く答えたその姿に、僅かにメルクラース達がざわめいた。
「ほう、肝が据わっているな。媚びぬその態度は気に入った。して…我が配下に入れ」
「失礼ながら、お断りします。我が望みはワジ殿にお伝えした事のみ」
間髪いれず断るディアスの姿に、さらにざわめきが大きくなる。歴史の転換点とも居える謁見は、始まったばかりだった。
めりーくりすますでございます。