015
「まさか…そんな事の為に、決闘したってのか?」
セヴェリは恐る恐る、現実であって欲しくないとでも言うようにディアスに問いかけた。当たり前だが彼にとっては自分の命を平気で対価にできるものなど存在しない。
「それこそまさか…だ。獣人達が無意味な戦術で殺されていくのが見過ごせなかっただけだ。褒美に関しては本気で何も考えてなかったんだ」
目の前の戦士長と副官は無意味な戦術と言われて顔に出るほどに機嫌を損ねていたが、ディアスは平静に見えて怒っていた。奴隷と言えども命を無駄に捨てさせる行為を何とも思わない彼らに、正面から説教してやりたい程だ。
「いや、それも大概おかしいだろ…死ぬとは考えないのかよ。まったく大物というか…」
「もういいよそれは。幸い腕一本で済んだ訳だし。で、俺の要求は通りますか?」
ぼやきながらも添え木を当てて包帯を巻いてくれるセヴェリ。されるがままになりながらディアスはメルクラースに問いかける。
元来傭兵とは自由戦士とも呼ばれ一定の身分と名誉、そして功績に応じた取り分を保障されている。無茶苦茶な要求をしない限り、大筋で認められるはずなのだ。今回の功績を鑑みれば、純人なら新たなメルクラースに大抜擢されてもおかしくないほどのもの。少女奴隷一人の身柄など良いか悪いかはさておいても大した褒美にはならない。
「…それなんだがな。あの女奴隷はラース様のお気に入りだ。ラース様にお伺いをしなければ、この場での返事はしかねる。大刃ヒヒの剣刃は、無論貴殿のものだ。鎧に出来る皮革もつけてやる」
ディアスとセヴェリは思わず顔を見合わせた。お気に入りの女を、あのような使い方で戦場に放り出すものなのだろうか?まったく理解が出来ないとばかりに首を傾げてしまった。
「お気に入りの娘が何故あんな扱いなのか俺にはわかりませんが。そういうことなら、クレーモラ…様と交渉する事になるのですか?」
不満そうなディアスだが、ラースと個人的な取引をすると言い出されてはメルクラース達も真っ青だ。いかな功績と言えそんなことをそうそう許すわけにも行かない。
「い、いや…交渉など。わしから今回の功を上奏する。恐らくは戦士として貴殿を迎えようとなさるだろうが。沙汰が下れば、城に呼ぶことにもなろう…さすれば、ラース様とお会いすることもかなうかもしれん。それまでは傷を養生しておくことだ」
なんとも奔放な獣人相手に、これ以上余計なことを言いたくなかったのかもしれない。メルクラースと副官は、それだけ言い置いてそそくさと天幕を出て行った。
「…で。一目惚れの麗しの姫君はどんな娘なんだ?」
二人が出て行くと、セヴェリはにやにやと笑みを浮かべてあごひげをこする。目の前の男に対する評価に、女のために命を張る勇士、あるいは大馬鹿者という評価が付加されたことは明白な表情だ。
「…そんなんじゃない。惚れたとかじゃなくて…そうだな、仲間に出来れば心強そうな娘だったし、それに目つきが気に入ったんだ。反骨心っていうのか?そういうのがあってさ」
「はいはい。そういう事にしといてやるぜ。表情に惚れ込んだと」
やに下がってからかい続けるセヴェリに、そっぽを向いて早口で反論するディアス。ふたりの下らないやりとりは街に凱旋するまで続き、戦士サウルも尊敬の眼差しに追加の色がつく事になってしまった。
悠々と街に帰還した戦士団一行は、たいへんな歓呼を受けた。街を襲っていたかもしれない魔獣を討伐したということで、この時ばかりは獣人達も人々に祝福の対象とされる。
「…とはいえ、結局名誉を受けるのは戦士団が主なんだな」
褒美の一環と怪我を慮っての理由から予備の巴竜を進呈され、それに乗っているディアスはぼやく。最前線で命を張った獣人奴隷達にはやはりというべきか歓迎の色が薄いのを見て取ったのだ。
「仕方あるめぇよ。結局俺たち獣人は、使い捨てにしても何処からも文句が出ない扱いなのさ。北の領はほんのちょっとマシって話だが、それも分かったもんじゃないしな…ムカつく話だぜ」
その横を歩むセヴェリは顔をしかめながらも半ば諦めた顔だ。長年ここで暮らし、差別に晒されて来たセヴェリにはそういうもの、として納得するしか道が無かったのかもしれない。
メインストリートを凱旋し、砦を増築した様に見える城までやってきた後は、戦士団はラースも出席する宴の席だ。だが奴隷達はわき道に逸れ、城門のそばにある小さな門から見えるバラックへと消えていく。何人もの奴隷達が、ディアスに手を振ったりしながら門の中へと入っていった。その中に、件の少女が居た。こちらをじっと見つめて立ち止まると、頭を深く下げて去っていく。
「こりゃあ脈ありかもなぁ?」
「だから、そんなんじゃ無いって」
他愛ない話をしながら、ディアス達は"槍と角笛”の組合に戻る。傭兵達は戦士団とは別に、酒樽と新鮮な食料がラースから下賜されて宴の場を設ける。これは古くからの慣わしだ。
「せっかくの宴だってのに、英雄様はこの大怪我じゃ大しては飲めないな」
「そうでも無いさ」
下人が二人がかりで大刃ヒヒの剣刃を運び込む様を取り囲んで見ている傭兵達を横目に、セヴェリの方に向き直ると、早口で呪言を唱えるディアス。
「痛みは去り、そこには何も残らず。ただ在るべき肉体こそ在り」
青白い光が腕を中心に走り、体の大部分に瞬間的に伝播する。セヴェリから分けてもらった痛み止めの薬でも抑え切れなかった鈍痛が、すうっと消えていくのが分かった。
「お、ま…術を…!?」
「しっ。後で話そう」
泡を食って大声を出しかけたセヴェリを制し、何事も無かったように腕を庇った体制をとって組合の建物に入っていくディアス。セヴェリは呆然とした後、ガリガリと頭を掻いて諦めた様にその後に続いた。
「新人にして大刃ヒヒ殺しの英雄様になったディアスと、無事で戻った皆の運命に乾杯だ!!」
元締めが音頭を取って始まった宴は、豪放磊落な傭兵達らしいものだった。麦酒と干してない肉類、キプルベクが盛大に振舞われ、純人獣人を問わずディアスの元に来ては荒々しく祝福して杯を合わせていく。以前険悪な間柄になった痩せぎすの剣遣いの男も例外ではなかった。
「相手から武器を奪ってってのは聞く話だが、魔獣から獲物を掠め取った奴はそうは居ないぜ!」
「あの武神顔負けの槍捌き、今回来なかった臆病者共にも見せてやりてぇもんだ!正面からどつき合って大刃ヒヒをぶち殺すなんざ、聞いたことがねぇ!」
「褒美に大層な美人を要求したらしいじゃねぇか!かーっ、うらやましい奴だ!!」
「ひっひ、若いねぇ!」
祝福と少しのやっかみ、笑いの渦の真ん中で、ディアスも存分に宴を楽しむ。横ではセヴェリが知己の獣人傭兵と肩を組んでコリンガを水の様に飲み干している。彼らにとっては生きて戻ってこうする瞬間こそが、最大の幸福かもしれないのだ。
結局宴は夜遅くまで続き、何人もの屈強な男達がぶっ倒れるまで続いたのであった。