014
左腕が完全に死んだディアスに対して、一声雄たけびを上げた大刃ヒヒは止めを刺すべく踊りかかった。どうやら利き手に当たるのは右腕らしく、左手でかく乱し右手で隙を狙ってくるあたり知能の程も思ったより低くないようだ。
(・・・体全体にダメージがある上に片腕か。片腕では捌ききれない。切り札を切るか?いや、まだやれる。狙いが当たれば・・・逆転出来る!!)
この状況からでも、恐らく切り札と頼んでいる能力を使えば切り抜けることが出来る。だがそれは最悪ここで暮らしていくことすら危ぶまれる選択だ。まだできない。そうディアスは結論付けた。
「グロォォア!!」
ヒヒの左腕から繰り出される連打を右手一本で捌く。受け止めるたびに走る衝撃で、集中力を乱す激痛が左腕に走る。だがそれを無視し、何発も跳ね返すことに成功した。秘めたる狙いを押し隠しつつ、執拗に左手の曲刃を迎撃するディアス。
(まずいな・・・槍がもう持たない。後数発打ち合えば、柄が壊れてしまう・・・!)
みしみしと悲鳴を上げる、ニカル村の槍。柄にはひびが入り、穂先と柄を止めている部分が緩みつつある。その逡巡を読み取ったわけではないだろうが、更なる殴打が繰り出される。もうこれ以上打ち合えないと悟ったディアスは、賭けに出ることにした。
「これで・・・通ってくれ!!」
大きく槍を振り上げ、幾度と無く迎撃してきた左腕の大刃のその根元に、思い切り叩きつける。
乾いた音がした。くるくると宙に舞うものが二つ…それは、折れ飛んだ槍の穂先と…そして同じく根元から折れた大刃ヒヒの曲刃。
はじめから、これが狙いだった。武器が通らないのであれば、通る武器を用意する。幸い、相手は全身から強靭な刃をはやしているのだ。鉄の穂先すら砕く頑強さを誇る魔獣の刃なら、その持ち主にも通用するはず、そう考えて、一本の刃に狙いを定めて打ちつけ続けていたのだった。
「とった!」
もはや槍としての体をなしていない柄を思い切り良く投げ捨て、ディアスは跳躍する。ゆっくりと進むかのごとく錯覚すらする瞬間の中。空中で折れたヒヒの曲刃をしっかと掴んだ。
一瞬、折れた刃を呆然と追ったヒヒと、目が合う。こんな経験を魔獣はしたことが無かったのだろう、そこが小さな、だが絶対的な隙となった。
振りぬかれたままのヒヒの左腕に着地し、さらに跳躍。もはや二の手を考えないジャンプで、十メルクの高み―大刃ヒヒの眼前に躍り出る。
「喰らえぇぇ!!」
渾身の絶叫と共に、奪い取った曲刃を拝みうちに打ち下ろす。肉と骨に食い込む、確かな手ごたえが右手に伝わった。全力で振り下ろされた大剣は、大刃ヒヒの額を切り裂き、顔面の中ほどまで切り込んだ。
「・・・・・・!」
いかに巨大な魔獣といえど、その体を操る中枢を破壊されてはおしまいだった。びくりと僅かに痙攣した後、奇妙な沈黙の中で大刃ヒヒはゆっくりと倒れこむ。いっそあっけないとすら思える幕切れにしばし辺りを沈黙が覆った。そして…
「うおぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
地面が揺れる程の歓声が、何とか着地したディアスの背を打った。奴隷も、戦士達も、傭兵達も、皆等しく声を上げてディアスの勝利に雄たけびを上げていた。
「ディアス!お前ってやつぁ・・・!傷は大丈夫か!?」
その声になんとか振り返ると、セヴェリと幾人かの傭兵達が走りよって左腕の様子を心配そうに見やる。術が使えない獣人であれば、下手をすれば一生物の怪我になる。上手く接合できなければ、戦士は廃業だろう。
「…心配かけたな、セヴェリ。俺は大丈夫。ここじゃ出来ないが、帰ったらなんとか治せる」
「…本気か?まあ今は、英雄様の勝利を祝うとするか…!」
「ああ…お前さんに祝ってもらうのが、何よりの誉れだ。…すまんが、壊れてしまった槍の穂先を拾ってくれないか。大事な物なんだ」
「お安い御用よ」
今になって鈍痛が全身を襲い始めたディアスは、顔をしかめながらも笑顔でセヴェリと勝利を祝い、拳を突き合わせた。そうしているうちに、戦士サウルが仲間と共に担架を担いで走りより、慎重にディアスを乗せると急遽張られた天幕へと運んでいった。
しばらくしてようやく歓声が止むと、天幕に戦士達の集団を割いてメルクラースとその副官がやってきた。まだ信じられないといった様子の二人は、一息つくことが出来たディアスに尊大さを引っ込めた態度で話しかける。
「大刃ヒヒと一騎打ちをして打ち勝つとは…この目で見てもまだ信じられん。貴殿は比類なき戦士だ…褒美を約束していたな、何でも申すがいい。そうだ、上級戦士扱いで我が配下に入れ。貴殿ならば亜人といえどもどこからも文句は…」
何としてでも取り立てたいとそう早口でまくし立てる小男のメルクラースに、しかしディアスは決然と首を振る。
「申し出はありがたいが、俺は兵士になる気はありません。それよりも、奴を倒した刃を貰い受けたい。それと…奴隷達の中に居た耳の尖った少女。彼女の身柄を引き取りたい。俺が望む褒賞は、それだけです」
傷に包帯を巻いてくれていたセヴェリが、盛大に噴出した。