衝動
自分に自信を持てって、みんなが言う。
自信を持てば、堂々と話せるようになるって、思ってるんだろう。
ときには、「伝わらなくてもいいから話せ、話そうとすることが大事なんだ」っていう人もいる。
そういう人は、どうしてそんな酷なことが言えるんだろう。
その人は、伝わらないという辛さを味わったことがあるんだろうか。
もしあったとしたら、その人はただのひどい人だ。
もしないとしたら、その人は無責任だ。
だって、伝わらないということの苦しさは、何にも比べ物にならないほどのものだから。
伝わらないということには、二種類あると思う。
言語が違うことから、伝わらないというもの。
言語も一緒で、文法も間違っていないが、話していることの意味が理解されない、いうもの。
言語が違うことによる伝わらなさはなんども味わってきた。
これも苦しい。
しかし、後者の方がもっと苦しいし、悲しい。
一つ一つの言葉は相手にも意味を成すのに、自分が言っていることの内容が意味を成さない。
理解されない。
「何言ってんだろうね」
「わかんないね」
こうやって首を傾げられる時の恥ずかしさと悲しさと失望感は、穴があったら入りたいというような物とは桁が違う。
穴があったらそこに落ちて、死んでしまいたいと思う。
その時すぐにでも、階段を駆け上って屋上に入って、そこから飛び降りてしまいたいという衝動に駆られる。
あぁやっぱり、わかんないか、と楽観的に考えることは、もうできなくなった。
昔は、無理にでもそうやって考えて自分を慰めてきたけれど、もう今ではそれもできない。
そんなことをする気力も無くなってしまったから。
今こうなってしまった時にできるのは、下を噛み切るか飛び降りるかして死んでしまおうと誘惑する自分の衝動を押さえ込み、自分を制御し、拳を握りしめて耐えることだけだ。