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メグ

作者: 大河原 こゝろ

ねえ、メグ、メグ。


私は、体の震えを抑えられなかった。

嘘でしょう?嘘だよね?


メグ、メグ。


(『メグって呼んでね。』

メグはそう言ってくれた。

呼び捨てで呼ぶことに慣れていない私は最初、戸惑った。

だけど、それがとても、とても、嬉しかったの。)


そう、メグ、あなたは、私のただひとりの友達。

ねえ、さっきのは全部嘘だよね?メグは、いつだって私のそばにいてくれるもんね?

私たち、魂で繋がっているんだもんね?


あぁ。なんだ。そうだよ。全て嘘だ。さっきまでのことは、何か別の世界の出来事だったのだ。

私は携帯を開く。メグからのメールが、数件、溜まっている。

「今日はメール出来ないのかな?寂しいなぁ」


ほら、やっぱりメグは、いつだって私のそばにいる。

体はもう、震えていない。

私はすぐにメグにメールを返す。


「メグ、メール遅れてごめんね。ちょっといままで、立て込んでいたの。

ところで今度、夜子のライブが渋谷であるみたい。私、チケット二枚取っとくから!」



『メグ』



思えば、いつだって私は一人ぼっちだった。


「孤独。」

そう、例えばよく晴れた空の下のグラウンド。

教室の、隣の人の席との、微妙な隙間。授業の班決め。

お弁当の時間。休み時間のトイレ。放課後の廊下。

そういったありとあらゆる時と場所に、「孤独」はいつも身を潜めていて、所構わず、私に襲いかかる。


私は、何の取り柄もない、十六歳の、女子だ。

「女子高生」、とは、クラスの中心で青春を謳歌している女の子たちのことを呼ぶ言葉だって、私は思う。

私は女子高生でもなんでもない。高校一年生の、ただの地味な女子だ。


もともと引っ込み思案で人付き合いが苦手だった私は、

中学時代、クラスメイト達に苛めを受けてから、人との距離の保ち方が、ますます分からなくなった。


高校に入学してからも、また苛められそうな気がして、クラスメイトが恐ろしくて、誰とも関わりを持たないうちに、周りはどんどんグループになって行って、気付いたら、私だけが、ひとりぼっちだった。

苛められはしないけど、相手にもされない。空気と同じ。必要な時だけ「苗字に、さん付け」で呼ばれる、存在感のない人間。休み時間も、お弁当も、クラス移動も、帰り道も、いつだって私は一人ぼっちだった。

何も変わらないまま、もうすぐ一年生の秋がやって来る。


何の取り柄もない私だけど、好きなものは、幾つかあった。

女性ロックシンガーソングライターの、夜子(ヤコ、じゃなくて、ヨルコ)。

そしてその彼女が着ている、パンクス・ファッション。


私は音楽について全く詳しくない。弾ける楽器は、リコーダーと鍵盤ハーモニカくらいだし、音痴だし、何がロックで、何がポップなのかもよく分からない。

ギターとベースの違いも、全くわからない。

(そもそもベースという楽器の存在を知ったのも最近。立ち読みした音楽雑誌の、夜子のライブレポートで、「アンコールの新曲で夜子はギターではなくベースを弾きながら歌った。」と書いてあったから。そのライブ写真を見ても、私にはギターもベースもどっちがどっちなのか見分けがつかなかった。)

そんな私が夜子の音楽だけこんなに好きになったのは、高校の入学する前の春休み、たまたま行ったクリニックの待合室のラジオで、夜子の曲が流れていたから。

夜子はちょっと鼻声の様な癖のある歌い方で、孤独についての歌をたくさんうたう。

その曲はその頃に発売したミニ・アルバムの最初に入っている曲で、「制服」というタイトルの、教室での孤独についてうたった歌だった。

私はその歌詞に、とても共感して、クリニックの待合室で、ちょっとだけ泣いた。


診察が終わって、急いでCDショップに行って、夜子のミニ・アルバムを買った。

たくさんの音楽があちらこちらで鳴っている。CDショップに行くのは久々だった。

(子供の頃にお母さんに付き添ってもらって、女の子向けのアニメのオープニング曲のCDを買った時以来だったと思う。)


自分の部屋に戻って、歌詞カードを読んで、夜子の歌声を聴きながら、久しぶりにひとりでワーワー泣いた。初めて、私の気持ちを、わかってもらえている気がした。

こんなに何かを好きになったのは初めてだった。


そしてその夜子が好んで着ているのは、イギリスのブランドVivienne Westwoodを中心としたパンクス・ファッション。

夜子が好きになってしばらくしたあと、音楽雑誌を立ち読みするために寄った本屋で、顔を覚えたばかりの夜子が、表紙になっている雑誌を見つけた。それは音楽雑誌ではなく、ファッション誌だった。パンクス・ファッションなどを取り扱っている個性的なファッション誌。

「イマドキの女の子向け」のファション誌が並ぶ中で、それは独特の存在感を放っていた。

今までファッション誌なんて縁遠かった私だけど、

(なんせ、何処にも出かけないから、洋服なんて近所の大型スーパーで買った私服が数着と、制服さえあれば、問題なかった。)

思わず、その雑誌を手にとった。

中には、Vivienneの他、色々なパンクス・ファッションブランドの洋服に身を包み、ギターを胸下に下げている夜子が、数ページに渡って載っていて、ファッションに対しての価値観などのインタヴューも、最後に載っていた。

衝撃的だった。心底、カッコイイと思った。

夜子以外にも、たくさんのパンクス・ファッションのモデルさんが載っていた。

パンクスの他にも、目がチカチカするような、個性的なファッションに身を包んだ人たちが、たくさん載っていた。一般の人の、路上スナップも載っていた。

すごい。こんなに個性的な格好を、こんなに堂々としているなんて。本当にカッコイイ。

私は、それからそのファッション雑誌を毎月購入するようになった。


本当は、私もこういう格好がしてみたい。だけど、そんな派手な格好をして、街中でばったりと同じ高校の人や、中学の人に会って、噂が広まって、また苛められるのではないか、とおもうと、とても怖くて、そんなことできない。

ひとりでも、同じ趣味の友達がいれば、違うのだろうな、と思う。

もしかしたら、同じ高校の人でも、夜子や、パンクス・ファッションが好きな人はいるのかもしれない。だけれども、今更、見つけたところで、友達になれる気がしない。

それ以前に、今まで地味で、空気みたいだった人間が、いきなり個性を出し始めたら、それこそまた、笑われるような気がして、苛められるような気がして、考えただけでゾッとする。

(私には昔からこんなふうに、物事をどんどん嫌なように想像してしまう癖がある。

お母さんにはよく、「想像力が豊かなのはいいことよ」と言われるけど、この「想像力」がいいように働いてくれたことは今まで殆どない)

私は「とにかく目立たないこと」をテーマに、地味なものに身を包み、逃亡中の犯罪者のように、毎日コソコソと、人目を避けて過ごすのが向いているのだ。自分でも、よく判っている。


ああ、ああ。でも。


本当に、たったひとりでいい。同じ趣味を持つ友達が、一人でいいから、いてくれればいいのに、な。

夜子やパンクス・ファッションへの思いが膨らむほど、その思いも同時に大きくなっていった。


そして、そんな私に、嘘みたいな出来事が起きた。その願い事は、ある日突然に叶ったのだ。

そう、あれは、景色がだいぶ秋らしくなってきた頃。

相変わらず私は教室の「空気」で、少しずつ肌寒くなる日々にますます、ひとりを実感させられる毎日だった。


その頃、私は毎日、毎日、「孤独」に襲われるたびに、「一人だけでいいから、友達が欲しい」と願うようになっていた。

私が毎日、そう強くお願いしたから、神様は私に一人ぐらい、友達を与えてくれてもいいかという気持になったのかもしれない。


それはある金曜日の、帰り道だった。私はバス通学だ。

その日も帰りのバスでは同じ制服の「女子高生」達が、甘いお菓子と、キャラクターもののストラップが揺れる携帯電話を片手に、キャーキャーと騒ぎながら、その場の空気を占領していた。どうして彼女たちの口からはあんなにも、次から次へと新しい言葉が出てくるんだろう。不思議で仕方ない。


私の携帯電話はほとんど鳴らない。

受信メールボックスの送信者には、お母さん、お父さん(私には兄弟もいない)、夜子のオフィシャルメルマガ、あと知らない間に登録されていたメルマガが何件か、それがずっと続いているだけ。


最早、携帯を持っている必要もないのでは、と思い始めていた。そんな時だった。


ヴーヴー、と、携帯のバイブ音がバスの中に響く。私は、自分の携帯が鳴っているのではないと思い、ぼーっと車窓の外を眺めていた。紅葉している葉が、強い秋風に揺らいで、なんだか淋しい。


しかし、一向にバイブ音は止まない。携帯を入れた場所を触ると、震えている。私の携帯だったのか。また、お母さんから、「急な用事で遅くなるから、夜ごはんの準備をしておいて」とか、そういった内容のメールかな。


携帯電話を、どこにでも売っている地味なグレーのスクールバックから取り出すと、閉じた状態の液晶画面に、知らないメールアドレスが映し出されていた。

誰?また知らないうちに変なメルマガに登録しちゃったのかな。

私は携帯を開いた。


タイトルは、『はじめまして』だった。

「こんにちは。はじめまして。音楽メル友募集サイトの、少し前の書き込みをみてメールしました。メグといいます。今、高校三年生、18歳の♀です。私も、夜子の音楽が大好きです。パンクス・ファッションを着てます。よかったら、メールしませんか?」


私は目を疑った。まさか、私にこんなメールが来るなんて。

胸がドキドキした。そうだ、そういえば、十日くらい前に、音楽のメル友募集サイトに携帯でアクセスしてみたことがあった。私は勇気を出して、「夜子と、パンクス・ファッションが好きな友達が欲しいです」と、メルアドを載せて書き込んだのだった。


書き込んだらすぐに誰かからメールが来るものだと思っていたのに、二、三日しても一通も来ないから、「やっぱり私は友達なんて望んじゃいけないんだ。」と、哀しくなって、書き込みしたことが恥ずかしくなって、ほかのサイト利用者に私の書き込みを笑われているような気持ちになって、それ以来一度も、そのサイトにはアクセスしてなかったのだ。

そうだ、すっかり忘れていた。


私は嬉しくて、何度も読み返した。ワクワクした。胸がいっぱいだった。

メグさん。私の未来の友達。私は少し震える手で、急いで返事を書いた。


『メールありがとうございます』

「はじめまして。メグさん。メールありがとうございます。

私は、高校一年生です。夜子が大好きで、パンクス・ファッションは着ないけど、すごく憧れています。是非、メールしましょう」


勢いで本文を書いて送信完了画面が出てから、ハッとした。私はいままで、家族以外にメールを送ったことがない。

こんな内容でいいのかな。急に不安な気持ちになって、送信済みのメールを読み返した。そうしている内に、早速、画面の右上に、メール受信のマークがチカチカと表示された。

早い。メグさんが返事をくれたんだ。胸がはちきれそうな程ドキドキした。

『ありがとう☆』

「メールありがとう!夜子が好きな友達、欲しかったんだ!嬉しい!

敬語じゃなくていいよ。メグって呼んでね。よろしくね!」


なんだか、嬉しくて涙が出そうになった。私もまたすぐにメールを返した。

あまりにも夢中になって携帯を見ていたから、いつも降りているバス停を乗り過ごした。

一つ先のバス停で慌てて降りて、いつもより10分くらい、長く歩いて家に帰った。

夕暮れ時の冷たい秋風が強く吹いて、私の伸ばしっぱなしの肩までの黒髪を、空に吹き上げる。いつもなら、寒くて、寂しくて、惨めで、泣きたい気持ちになるのに、今日はこの風すら愛おしかった。

ついに、ついに。私にも、望んでいたたったひとりの、「同じ趣味を持つ」友達が出来るのだ。

家に帰ってからも、部屋にこもって夜子を聞きながらベッドに寝そべり、メグとひたすら、メールを交換した。メグはすぐに返事をくれた。私も、すぐに返信した。

どんどん言葉が浮かんで、話題は尽きなかった。メグも、夜子のこと、パンクスのこと、洋服を買うお店のこと、ギターを弾くこと。色々と話してくれた。


いつもなら家に帰ったあとは、携帯電話を部屋の机の上に置きっぱなしにしておく私だから、(携帯でネットもあまり見ないし、充電は三日に一度で十分だった)

夜ご飯の時さえも、食卓に携帯を持ってきた私に、両親は、「携帯なんて気にして、今日は一体どうしたの?」と不思議そうな顔をした。

両親は私に友達がいないことをよく知っていた。たったひとりの娘なのに、こんな人間になってしまって、申し訳ないと思っていた。でも、もう違う。私には、ちゃんと友達がいる。今日、メール交換をし始めたばかりなのに、「友達」と呼ぶなんて、早すぎるかもしれない。

でも、メグはこの先、絶対に、私のいい友達になってくれる。その確信があった。

例えばどんなに「黄信号は“とまれ”」だと知っていても、例えば誰かに「黄信号は、“注意して進め”だよ」と強く言われると、「そうなのかもしれない…。」と揺らいでしまう私だけど、

今回のこの確信には、自分でも驚く程、揺るがないものがあった。


そして、その確信は正しかった。それから何日たっても、何週間経っても、メグと私のメールは、話題が尽きなかった。どんな話をしたか、いちいち覚えてないくらい、一日にたくさんのメールをした。


私の高校は、朝のホームルームで携帯を担任に回収されて、帰りのホームルームで返される。今までそのシステムに不満を覚えたことはなかったし、「携帯回収とかマジありえない」と騒ぐクラスメイトの気持ちも全く理解できなかった。でも、今はよくわかる。

「早く放課後になって欲しい。メグとメールがしたい。」

授業中も休み時間も昼休みも、私はずっとそのことばかりを考えていた。

学校では相変わらずひとりだったけど、いつもメグのことを考えているから、「孤独」に襲われることもなくなった。それが、ものすごく嬉しかった。


メグも高校で携帯を回収されるといった。

私が「学校、終わったよ」とメールすると、しばらくしてから、「あたしもいま携帯返された。」とメールが来る。それからは、夜までずっと他愛のないメールを繰り返す。


メグは高校三年生で、今度の春に卒業だけど、進学するつもりはないらしい。

「あたし、卒業したら働くんだ。いとこの兄ちゃんが仲間とやってる小さいパンクス・ショップでバイトさせてくれるって言うし、知り合いのライブハウスの手伝いもしたいしね。」


進学校に通っているから、周りが受験モード一色で、学校がいづらい場所だといった。

でも、メグは強いから、そんなのに負けない。信念を貫く人。


メグは色んな音楽を聴くと言っていた。

時々、夜子以外のアーティストの名前を出したりした。

メグが名前を出すアーティストは、私も雑誌などで見たことのあるものばかりだった。

私は夜子以外のアーティストには興味がなかったけど、いろいろな音楽を聴くメグが心底、格好いいと思った。


メグがパンクスファッションを着るようになったのは、年の離れたいとこのお兄さんがパンクスファッションを着ていたからだと言った。

高一の春に久々に会ったいとこのお兄さんが、とても格好良かったんだ、といった。

パンク音楽の超王道と言われるイギリスの昔のバンドがあるらしくて、いとこのお兄さんはそれを聴いて衝撃を受けて、パンクスファッションを着るようになったから、「お前も聞いてみろよ」って、メグに教えてくれたらしい。

メグも同じようにそのバンドが好きになって、いとこのお兄さんにいろいろ聞いて、自分もパンクスファッションを着るようになったそうだ。

そして私も毎月買っている、あのファッション誌を読むようになって、

其処で夜子の存在を知ったらしい。


「いろいろ聞くけど、やっぱり夜子は格別だよね。

あたしも孤独について、いろいろ考えるから、すごく共感できる。

初めて聞いたとき、気持ちを分かってくれる人がいるんだって思って、泣いたなあ(笑)」


メグはそうメールしてきた時があった。

だから、

「私も、初めて聞いた時に共感してワーワー泣いたよ。「制服」が、一番共感できるなぁ!」

って、送った。


そしたらメグも、「やっぱり「制服」はやばいよね。私も、あの歌が一番好き。

ほんとうに、あたしたちって、似てるよね。きっと、魂でつながっているんだね。

あたしたち、きっと、ずっと出会えるのを待ってたんだね。」


って、言ってくれた。

その言葉が嬉しくて、私はそのメールをもらった時に、部屋でちょっとだけ泣いた。

嬉し涙なんて、人生で初めてだった。


メグとメールを始めて、二ヶ月が経った。

相変わらず話題が途切れることはなく、毎日毎日、メールを繰り返している。

本当に、他愛のないことから、真剣な悩み事まで、メグとは、なんだって話せた。

私の人生には、一生「ひとりぼっち」という言葉が付まとうんだと思っていた。

でも、違う。きっとこの先もずっと、メグがいてくれる。とても、幸せな気持ちだった。


休みの日にお母さんが、「最近、楽しそうだけど、何かあったの?」

と、聞いてきた事があった。

「友達が出来たんだよ。」と、私は笑顔で答えた。

お母さんは、あらほんとう、と云って、どんな子なの?その子といつもメールしてるの?と、嬉しそうに色々と聞いてきた。私も嬉しくなって、メグについて、沢山話した。


あっという間に冬がやって来て、冬休みが始まった。

これで、毎日朝から晩まで、メグとメールができる。そう思うと、とても嬉しかった。


冬休み二日目、いつもどおり、夜になってもメールを繰り返していると、メグから、

「あたしたち、お互いのこといろいろ知ってるくせに、まだ、声も顔も、知らないんだよね。もしよければ、これから、電話で話してみない?」

というメールがきた。

私は、胸がドキっとした。家族や親戚以外と、電話越しに喋ったことがほとんどない。

電話が嫌いだから、家の電話は絶対に出ないし、(お母さんがいない時に家の電話が鳴ると、いつもハラハラしながら、鳴り止むのを待つ。)学校の連絡網も、お母さんに済ませてもらう。


メグの声は、聞いてみたい。おしゃべりしてみたい。でも、どうしよう。大丈夫かな。

会話が続くかな。電話越しどころか、普通の会話さえ、家族以外とほとんどしてないのに。

迷って、いつもより返信に時間が掛かってしまった。そうしている内に、続けて携帯が鳴る。

「やっぱり電話は嫌?」というメグからのメールだ。

ああ、早く返事を返さないと、メグが悲しむ。メグに嫌われるのは絶対に嫌だ。


「ううん、私も喋ってみたい。電話しよう。」私は意を決して、そう送ってみた。送信ボタンを押すときに、手が震えた。メグとはだいぶ前に、携帯番号を教え合っていた。

どのタイミングで、掛かってくるんだろう。携帯をじっと見つめながら、緊張で震える手を押さえ込む。


ヴーヴーヴー、と、携帯が鳴る。メグからの着信だ。

緊張が喉までこみ上げてくる。震える手でボタンを押し、携帯を耳に押し充てる。

「も、もしもし。メグ?」

私はひっくり返りそうな声で、電話の向こうに話しかけた。

「あ、もしもし!メグです!なんか、メールであんなに話してるのに、電話するってなると、ドキドキするねっ!」メグの声は、ちょっとハスキーで、イメージ通りで、すごく格好よかった。電話の向こうからうっすらと、夜子の歌声が聞こえる。

「そうだね!ドキドキする。でも、メグとずっと話したいと思ってたから嬉しいなぁ。メグの声、格好いいね。」自分でもびっくりする程、私の口からスラスラと言葉が出てきた。

学校でやむなく何かを人前で読まなきゃいけないときに、原稿を前にして百回練習しても必ず何度かつっかえる私なのに。自分じゃないみたいだった。

「あたしもずっと話したいと思ってたんだよ。念願の電話ができてよかった。」

メグが優しい声でそう言ってくれた。

それから私とメグは電話越しに二時間も喋った。会話が続くかどうかと不安がる必要なんて、少しもなかったのだ。私達は、いつも登下校のバスの中で見ていた「女子高生」達のように、次から次へと新しい言葉を口から生み出して、笑いながら話し続けた。

「ねえまた明日電話しようよ。」メグは最後にそう言ってくれた。

「うん、しよう!明日は私から掛けるね!」私はそう返した。

電話を切ったあと、私はしばらくベッドの上に寝転んで、喜びを噛み締めた。

夢みたいだ。友達と夜に長電話するなんて、「女子高生」達にしかできないことだと思っていた。私にも出来るんだ。嬉しくて、嬉しくて、このまま家を飛び出して、冬の暗闇の中、ひとりきりでハイキングだって出来そうな気持ちだった。


その夜から私とメグはメール以上に電話をするようになった。ほぼ毎日、電話で喋った。

電話代を気にして、メグから掛けてくれた次の日は、私から掛ける、というのを繰り返した。

毎晩、下らない事で笑ったり、時々、真剣な話をしたり、夜子の話をしたり、ファッションの話を聞いたり。本当に幸せな時間だった。


そんな日がしばらく続いたある日、私ははっとした。私の携帯電話代は、お母さんが家のお金から払っている。お母さんとお父さんとしか電話をしなかった今までは、家族間無料のサービスのおかげで、私の通話料はほとんど毎月ゼロ円だった。

だけど、今は違う。一日おきに、二時間程度の電話を掛けているのだから、今月はとんでもない額の、請求が来るかもしれない。これは、お母さんにちゃんと話すしかない。


メグがライブハウスのお手伝いに行くということで電話ができない夜、私はリビングでテレビを見ているお母さんのもとに行った。

「最近、私、毎晩友達と電話をしているでしょ?今月の電話料金、すごいことになるんじゃないかな、と思って…。ごめんなさい。でも、本当に大好きな友達なの。」

お母さんは私がそう言うと、「確かに最近毎晩電話をしているものね。ここからでもその声がよく聞こえてる。毎晩すごく楽しそうにおしゃべりしてるから、それはお母さんもすごく嬉しいのだけど、」そう云って立ち上がると、お母さんは自分の携帯電話を持ってきた。

「取り敢えず、今どれくらい通話料が掛かっているのか、お母さんの携帯から見られるから、見てみるね。」

料金はお母さんがまとめて払っているから、お母さんの携帯からだと、そういう情報が見られるのか。私はドキドキした。何万円も掛かっていたら、どうしよう。

しばらく無言で携帯を操作するお母さんの横に立っていた。

お母さんはしばらくすると急に顔を上げた。ちょっとこわばった表情だ。

やっぱり、とんでもない額なのかな。

「…ねえ、本当に、こっちからも電話をかけているの?」

想像していたこととは違うことを云われて、私はビックリした。

「うん、一日おきに私から掛けてるんだよ。どうして?」

思ったよりも、通話料が掛かってなかったのかな。なら良かったんだけど。

「ううん、なんでもない…。……思っていたより通話料が掛かってないみたいだから、また同じように、電話を掛けて大丈夫。」お母さんはそう云った。どこか、上の空のような目をしていたけど、なにか他に考え事をしていたのかもしれない。

それよりも私は、これからも通話料を気にしないでメグと喋っていいと知って、嬉しくって、上機嫌で部屋に戻った。またあした、メグに電話をかけよう。


翌日、私は冬休み前に学校に忘れ物をしていたことを思い出した。冬休みの課題を進めるためには、絶対に取りに行かなくてはいけない。年末になると学校も閉まってしまうし、嫌なことは、先に済ませておこう。

「これから忘れ物を取りに学校に行くことになったの。冬休み中に学校に行かなきゃいけないなんて、最悪だよ。」行きのバスの中で、私はメグにそうメールをしようと、久々に持ったスクールバックの中をかき回し、携帯を探した。無い。何処にもない。そうだ。朝ごはんの時に、食卓に置いたまま出てきてしまったのだ。

バスはもうすぐ学校前のバス停に到着する。忘れ物をとって帰るだけだ。一時間も掛からない。仕方ない。帰ってからメールをしよう。私は職員室で担任に一声掛けて、急いで教室に向かい、忘れ物をスクールバックに入れて、10分も掛からないでバス停に戻ってきた。


バスもちょうどよく、五分後には現れた。

家の近くのバス停でバスを降り、急いで玄関のドアを開けた。


お母さんが、食卓の、いつも私が座っている椅子に座っていた。私が勢いよくリビングのドアを開けると、ビクッと肩を震わせた。同時に、微かに携帯を閉じる、「パタン」という音が聞こえた。

「ただいま。携帯を忘れてしまったみたい。」

そう言って近づくと、お母さんは何故か私の携帯を右手に持っていて、「あ……、早かったのね。携帯、これね。ごめんね。お母さん、今、忘れたのに気づいて、もっと分かるようなところに置いておこうと思って…」といった。なんだかごまかしているような声だ。

私がいないあいだに、私の携帯の中を見ていたのかもしれない。

どうしてそんなことをするんだろう。

私の初めての友達のことが、そんなに気になるのかな。

お母さんはなんだかすごく悲しくて暗い顔をしていた。

最近、お父さんや、遠くに暮らすおばあちゃん達とでも、何かあったのかな。

そんなお母さんに、「私の携帯見てたの?」とは聞きにくくて、私は何も知らない顔で、「あ、そうなんだ。ありがとう」と言って携帯を受け取った。

部屋に帰ってメグにメールした。その日の夜もメグと電話をした。相変わらず、幸せな時間で、さっきみたお母さんの暗い顔なんて、あっという間に忘れた。


「ねえ、今度さ、二人で原宿に買い物に行かない?」

冬休みも中盤になった頃、ある夜の電話で、最後にメグがそう云った。

私は当たり前のように「行こう!」といった。

以前のように、「ちゃんと話せるかな」なんて悩むことはなかった。

だって、メグと一緒なんだもん。絶対に、大丈夫だ。

私はメグのおかげで、ちょっとずつ性格も変わってきたのかもしれない。


私とメグは、一週間後の日曜日に、原宿で会うことになった。

待ち合わせ場所は、竹下口の改札前。

私の家から原宿までは、電車で一時間弱。もちろん、一人で都内に行くなんて初めてだった。

でも、不安よりも、楽しみな気持ちの方が強かった。

メグに会えるんだと思うと、胸がワクワクした。


「来週の日曜日、友達と原宿に買い物に行くね。沢山洋服が欲しいから、今まで貯めてたお小遣い、下ろしてもいい?」

メグとの電話を終えたあと、私はリビングにいるお母さんにそう云いに行った。

お母さんは、今まで一人も友達がいなかった私が、友達と遊びにいくということに、すごく喜んでくれるかと思ったけど、

「あら、そうなの…。お友達と、仲良くするのよ。お小遣いは、好きに使いなさい。」

と、なんだかとても不安そうな顔をして云った。

お母さんは最近あまり元気がない。理由はわからないし、それについては話さない。

今回のことも、一人娘が一人で東京に行くなんて、ちょっと不安なのかもしれない。

私は、深く考えないようにしていた。


あっという間に一週間が過ぎた。

私はパンクな服なんて持っていないから、近くの駅ビルで買った黒い丸襟のワンピースに、黒のタイツ、黒いショートブーツを履いた。ちょっとでもパンクな格好に近づきたくて、全身黒にした。普段着といえばスエットかTシャツにスカート、スニーカーな私は、これでもかなり頑張っておしゃれをしたほうだ。

美容室にも行った。今までは胸くらいまで伸びて邪魔になったら、お母さんの知り合いの床屋さんに連れて行って貰っていた私は、美容室に行くなんて初めてだった。

とてもドキドキして、お店の前で帰ろうかと思ったけれど、こんな伸ばしっぱなしのボサボサの髪で、メグに会う訳には行かない!と思って、勇気を振り絞って美容室に行った。

いつもは肩の辺りで適当に揃えてもらう髪の毛を、顎のあたりの長さのショート・ボブにしてもらった。少しだけおしゃれなメグに近づけた気がして、とても嬉しかった。


「じゃあ、行ってきます。」

私が頑張っておしゃれをしたから、お母さんもお父さんも、驚いていたようだった。

その日はお父さんも仕事が休みだったから、二人共玄関先まで出てきて、私を見送ってくれた。

「気をつけてね」

二人とも不安そうな顔をしていた。



「おはよう!ついに今日会えるんだね!今原宿に向かってます。」

山手線に乗った時に、メグからメールが来た。

「私も今向かってる!とても楽しみだよ」

私はそう返した。もっと緊張するかと思ったけれど、思ったより緊張していない。

それよりも、楽しみだという気持ちの方が強い。

『次は、原宿』アナウンスが流れる。

約束の十一時の、五分前だった。電車を降りた時に、またメグからメールが来た。

「ごめん、あと二駅。もう着いたかな?ちょっと待っていてね。」

私は竹下通り口の改札を抜けた。

目の前に竹下通りの入口が見える。たくさんの人が、その通りを歩いている。


「改札を通ったところにいるよ。全身黒い服を着ていて、髪型は黒いショートボブだよ。」

私はそうメグに送った。

「了解!いま原宿着いたよ。待ってて」

すぐにメグから返事が来た。胸がドキドキする。ちゃんと見つけてくれるかな。

携帯を何度もチラチラと見ながら、メグを待つ。


電話でいつも聞いていた声で、私の名前が呼ばれた。

「待った?ごめんね!ちょっとおしゃれに気合をいれてしまって、時間掛かっちゃった。」

メグが、目の前に立っていた。私より、十五センチくらい大きい。

襟足だけ伸ばした黒髪のショートカットで、前髪を斜めに揃えている。

白い肌に、真っ黒いアイメイクをした大きな眼、赤い唇。

黒い無地のロングTシャツの上に、黒い革のジャケット、真っ赤なミニ・スカート、黒いタイツに赤い網タイツを重ねて履いていて、靴は黒いエンジニア・ブーツ。

腰には三連の鋲ベルトを巻いて、首からはシルバーの、小ぶりなネックレスを下げていた。

メグは私の想像する「パンクな女の子」そのものだった。

格好いい!私は心からそう思った。

「メグ、格好いい…」私は思わず第一声でそう言ってしまった。

メグがにっこり笑った。「ありがとう。その髪型とワンピース、とっても似合ってるよ」と、私の見た目も褒めてくれた。


それから私とメグは、二人で原宿を歩き回った。

私はとても誇らしかった。今まで友達がひとりもいなかった私が、こんなに格好いいパンクな友達と原宿を歩いているなんて。嬉しさと誇らしさで胸がいっぱいだった。

メグと私はたくさんお喋りをしながら買い物をした。私が大きな声で話したり笑ったりすると、周りにいた人たちが何故か私をチラチラと見た気がした。きっと、メグが格好いいからだろうと私は思った。

メグはよく買い物をするというお店をたくさん教えてくれた。

私がファッション誌でよく見ていて行きたいと思っていたお店ばかりだったから、とても嬉しかった。

メグが一番好きだという「de・stroy・er」というパンクブランドの路面店では、ちょうどよくセールをしていた。メグが「セールだなんて知らなかった!」ととても嬉しそうにしていた。

メグはTシャツ二枚と、パンツ二着、アクセサリーを三種類と、ハットを買った。特にそのハットは何かとのコラボ品らしくて、「これなかなか手に入らないんだよ!セールで買えるなんて本当に嬉しい!」と、クールな顔に似合わない満面の笑顔でそう云った。


「そうだ、これ、あげるね。」

メグは「de・stroy・er」から出たあと、黒地にトゲトゲした書体で「de・stroy・er」のロゴが描かれた大きな紙のショップバッグを下げながら、私にビニールの小さい袋を渡してくれた。

「さっき、こっそり買ったんだよ。」

開けてみると、クロネコをモチーフにしたネックレスだった。

後ろに「d」と彫ってある。「de・stroy・er」のロゴだ。

「私もおんなじものを買った。お揃いだよ。友達の証。使ってね。」

メグが優しく笑いながらそう云ってくれた。

「メグ…ありがとう」

私は早速、首からそのネックレスを下げた。

それを見ていたメグは、自分のネックレスを袋から取り出して、首から下げた。

そして、私に笑いかけてくれた。私は、嬉しくて、胸がいっぱいで、泣きそうになった。


その後私はメグに勧めてもらって、黒いジャケットと、黒い変形Tシャツと、膝丈の赤いチェック柄のスカートと、真っ赤なベレー帽を買った。

アクセサリーとベルトも数点買った。

長いあいだ使い道がなくて貯めていたお小遣いが、あっという間に財布の中から消えた。

でも心は大満足だった。

そのあと私とメグは、ゲームセンターに行った。メグが、プリクラを撮ろうと云ってくれたから。私はプリクラ機どころか、ゲームセンターに入るのも生まれて初めてだった。大音量の音楽と、女の子たちの笑い声で、店内はガチャガチャしていて、うるさい。でも、私はとても嬉しかった。

楽しくて、嬉しくて、メグとふたりで、大笑いしながら、何枚もプリクラを取った。


撮ったプリクラは、手帳の中に大切にしまった。全てのプリクラに、楽しそうに笑う私とメグが写っている。

「嬉しい。宝物にするね。」と私がメグにいうと、メグは「うん、私も大切にする。また撮りに来ようね」と言ってくれた。


「今日は本当にありがとうね。また会おうね。」

楽しかった時間はあっという間に過ぎて、私とメグは、原宿駅のホームで別れることになった。それぞれ逆方向の山手線に乗るため、二人、同じホームで電車が来るのを待っていた。


私は、なんだかとても寂しかった。何故だか、もう二度とメグには会えないような、

そんな気持ちになった。ホームから見える原宿の空は、最後に残っていたオレンジ色が、あっという間に闇に飲み込まれていった。

「ねえ、メグ、また絶対、会えるよね?」

私は思わずメグにそう云った。

メグは、ふふっと吹き出した。

「何云ってんの、今、また会おうねって云ったばっかりじゃん。会えるよ。ていうか、会おうよ。」

私は、「うん、そうだよね」と、頷いて、下を向いた。

「どうしたの、寂しい?」メグが優しく笑いながら私を見つめた。

そして、私の名前を呼んだ。

「大好きだよ。今日はありがとうね。また会おうね。」

そう云って私をぎゅっと抱きしめてくれた。

メグ、メグ、私も大好きだよ。本当に、メグに出会えてよかったよ。

私はそう云おうとしたけど、なんだか言葉が出てこなかった。

そうしているあいだに、メグの後ろに山手線がやってきた。


「じゃあ、またね。また、メールと電話しようね。」

メグはそう云って、山手線に乗っていった。窓越しに、手を振ってくれた。

二分遅れて、私が乗る山手線もやってきた。

私は、さみしさがいっぱいで、なんだかボーッとしながら、山手線に乗った。

普段買い物なんてしないから、たくさんのものが入った買い物袋が、重たく感じた。


そのあと、どうやってうちに帰ったのかは、あまり覚えていない。

とてもたくさん歩いて、喋って、笑ったから、自分で思っている以上に疲れていたのだと思う。


帰宅すると、お母さんはとても心配した顔で、私を家に迎え入れた。

お母さんはとても青白い顔をしていた。

お父さんは、いなかった。

「お父さんね、今日は休みだったんだけど、午後から急にお仕事になって出て行って、

まだ戻ってないのよ。」

お母さんはか細い声で言った。

私は疲れきって、そんなことにはあまり興味を持てず、

ろくに話もせずに、部屋に戻って、あっという間に眠ってしまった。


翌日私は、昼頃に目を覚ました。

ベッドの端で充電していた携帯を手に取る。

いつもは、メグからのメールを知らせる赤いランプが、チカチカと点滅しているはずなのに、今日はとても静かだ。

携帯を開いてディスプレイを見つめても、メールや着信を知らせる通知は入っていない。


「メグ…?」

私はベッドの上で、小さくそう呟いた。メグも今日は、疲れてまだ眠っているのかな。


不意に、部屋の外から、お母さんが私を呼ぶ声が聞こえた。

「起きて。どうしても、一緒に行きたいところがあるの。

着替えて、降りてきて。」

一緒に行きたいところ?よくわからないけれど、お母さんの声が、いつも以上に暗く、真剣だったから、私は眠い頭をなんとか覚まして、着替えをして、リビングに降りていった。


なんだか重苦しい空気が、お母さんとお父さんのあいだには流れていて、

私は居心地が悪かった。

「どこに行くの?」

トーストを片手に私がそう聞くと、お母さんは相変わらず青白い暗い顔で、

「いいから、早くご飯を食べて。済ませたら、車に乗ってね」と云った。


お父さんが運転する車が向かった先は、白い建物だった。

そこは、大きな病院だった。「精神科・心療内科」と整った文字で、表の看板に書いてあった。

「せいしんかって、何?」

私は助手席に座ったお母さんに聞いた。でも、お母さんは何も答えなかった。

私は携帯電話を開いた。メグからのメールは、まだない。

さっき、「おはよう、昨日は楽しかったね」って、メールを入れたのに、

それに対しての返事も、返ってこない。まだ寝ているのかな。


四十分近く、待合室で待たされた。

その間もメグからの返事は一向に返って来なくて、私はなんだかとても哀しくて、落ち着かない気持ちだった。

ようやく私の名前が看護師さんに呼ばれ、お母さんが私の手を引っ張って、三人で診察室に入った。


「娘には、実在しない友達がいるようなんです。」

椅子に座った途端、白衣を着た初老のお医者さんの前で、お母さんは突然、泣きそうな声でそう云った。

「実在しない、とは?」

お医者さんは、お母さんの顔と私の顔を交互に覗き込んで、すこし困惑したような声でそう云った。

お母さんは気持ちを抑えられないような早口で、言葉を続けた。

「今年の秋からなんです。

中学生の頃に苛めにあって以来、友達が一人もいなかった娘が、突然、

メールのやりとりをする友達が出来たと私に話してきて…。

私は初め、とても…。とても嬉しかったんですが…。


異変を感じたのは、娘が冬休みに入ってから、

その「友達」と、毎晩長電話をするようになって、

娘が通話料を心配して、確認して欲しいって私に云ってきたので、

携帯で、前日までの通話料は確認できるから、一緒に調べたんです。

そしたら……、そしたら、通話料は、ゼロ円だったんです。

だから、私は娘に、『本当にこっちからも掛けているの?』って、聞いたんです。

そしたら、娘は、『一日おきにこっちから掛けてるんだよ』って云うので…。

なんだか嫌な予感がして。


翌日、娘が高校に忘れ物を取りに行くと云って出かけたとき、

携帯電話を忘れていったので。

中を、見てみたら…。」


お母さんは、今にも泣きそうな声だった。

私は、なにが起こっているのか全くわからなかった。

いつもどおりじゃないお母さんの姿に心細くなって、ますますメグが恋しくなった。


「家族間でのやりとりを除いたら、受信ボックスも送信ボックスも、

ほぼ……空っぽだったんです。

娘の頭の中で、「友達」に宛てて送ったつもりなのであろうメールが、未送信ボックスにだけ、大量に保存されていて。

電話の着信、発信履歴も、家族間以外は、全く無かった。

それをみて……全て、娘の妄想であることを確信しました…。」


わからない。お母さんが何を話しているかさっぱりわからないよ。

妄想?メグが私の妄想なわけがないじゃない。

だって、私たちは昨日原宿で、実際に会ったんだもの。

私はメグの姿を見て、話をした。メグが抱きしめてくれて、あったかかった。

メグにプレゼントを貰った。プリクラだって撮ったんだから。

「それで昨日、娘が都内まで、その友達に会いに行くというので。

夫が、仕事を休んで、実は、こっそりと付いていったのです。」

お母さんは、お父さんの方をちらっと見た。

お願い、お父さん。お母さんのこの変な話を早く止めてよ。

「ええ、そうなんです。」

お父さんは、お医者さんの方を向いて話し始めた。

「昨日、娘が家を出たあと、私が、すぐに、あとをつけて行ったんです。

娘には、申し訳なかったのですが、どうしても、

確かめなくてはいけないと思いまして。

そして、娘は………。

誰もいないところに向かって、話し掛けて、笑っていました。

あまりにも、見ていて辛くて、何度も、娘の前に出ていこうかと思ったのですが…

あまりにも楽しそうにしているから、止めてしまうのも辛くて…。」


嘘だ。

お父さんまで何を言っているんだろう。

わからない。わからない。わからないよ。

メグは私にとって大切な人。大好きな人。実在しないなんて、嘘だ。

ふたりとも何を云っているのだろう。


「極度の寂しさから、そのような妄想をし、幻覚を見てしまっているのでしょう。

冬休みが終わったあとも、しばらく学校は休ませたほうがいいかもしれません。

二週間に一度、通うようにしてください。

しばらくは精神を落ち着かせるための投薬と、

当院の臨床心理士によるカウンセリングでの治療を進めていきましょう。

自分の妄想の邪魔をするものから、極端に逃げようとし、

頭の中で都合の良い解釈に切り替えてしまうという症状も、この手の患者さんには多いです。娘さんがまたもとの状態に戻れるよう、こちらも全力を尽くします。」


そのあとのことは、ぼんやりしてよく覚えてない。

また、待合室で長いあいだ、待たされ、ようやく家についたあと、

私はよくわからない錠剤を二錠飲まされ、

少し、ベッドで眠ってね。と、お母さんはそう云った。


メグからのメールは、まだ来ない。

まさか、お母さんたちの云うとおり、本当に、メグは、私の妄想なんだろうか。

手が震える。

嘘でしょう?

そうだ、昨日、メグが私にくれたクロネコのネックレス。

あれは確かに、メグにもらったものだ。

あれがあれば、メグは存在する。

急いであたりを見回すと、確かにクロネコのネックレスは枕元に在った。

私はほっとして床に座り込んだ。

その足元に、何故か、袋に入ったままの、同じクロネコのネックレスがもう一つ、落ちていた。なぜ、メグがつけて帰った筈のネックレスがここにあるの?

私は急いで、二人で選んだ洋服が入っている、de・stroy・erの大きな紙袋を探った。

私はひとつの紙袋にまとめて入れてもらったはずなのに、何故か、紙袋も二つ在った。

片方を開けてみてみると、自分で買った、赤いベレー帽などが入っていた。

もう片方も、開けてみた。

なぜだかわからない。メグが買ったはずの洋服が全部入っていた。

ここでしか買えないと云っていた、コラボ商品の帽子も入っていた。

私が持っているはずがない。

嘘だ。ねぇ。どうしてなの。メグ。

あの時確かに大きな紙袋を、それぞれ一つずつ下げて帰ったよね?

私は確かに見た。大きな紙袋を肩に掛けて、山手線に乗るメグを見たはずなのに。

どうして、ネックレスも洋服も全部、私が持っているの?


そうだ。プリクラがある。

二人で笑いながら、並んで撮ったんだ。

メグはとっても綺麗だから、隣に写るのが少し恥ずかしかったけど、

私は初めて撮ったプリクラが、嬉しくて仕方なかったんだ。

私はガタガタと震えの止まらない手で、昨日手帳にしまったプリクラを取った。


ああ。

ああ。


そこには、


見慣れた顔が、ひとつだけ写っていた。

どのプリクラにも、脇に一人分の、不自然なスペースを空けて立っている、大嫌いな自分が、ひとりきり、大きな口を開けて笑って写っていた。







「孤独。」

そう、例えばよく晴れた空の下のグラウンド。

教室の、隣の人の席との、微妙な隙間。授業の班決め。

お弁当の時間。休み時間のトイレ。放課後の廊下。

ありとあらゆる時と場所に、「孤独」はいつも身を潜めていて、所構わず、私に襲いかかる。



ねえ、メグ、メグ。


私は、体の震えを抑えられなかった。

嘘でしょう?嘘だよね?


メグ、メグ。


(『メグって呼んでね。』

メグはそう言ってくれた。

呼び捨てで呼ぶことに慣れていない私は最初、戸惑った。

だけど、それがとても、とても、嬉しかったの。)


そう、メグ、あなたは、私のただひとりの友達。

ねえ、さっきのは全部嘘だよね?メグは、いつだって私のそばにいてくれるものね?

私たち、魂で繋がっているんだもんね?


あぁ。なんだ。そうだよ。全て嘘だ。さっきまでのことは、何か別の世界の出来事だったのだ。私は携帯を開く。メグからのメールが、数件、溜まっている。

「今日はメール出来ないのかな?寂しいなぁ」


ほら、やっぱりメグは、いつだって私のそばにいる。

体はもう、震えていない。

私はすぐにメグにメールを返す。


「メグ、メール遅れてごめんね。ちょっといままで、立て込んでいたの。

ところで今度、夜子のライブが渋谷であるみたい。私、チケット二枚取っとくから!」

                                      終






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