第8話 自習室
「のう、静夜よ」
「なんだ?」
「なぜ自習するための部屋が予備校に必要なのだ?」
おたぬき様がそんなことを尋ねてくる。
静夜は読んでいた詩集を置き、その問いにすぐに答える。
「必要としてる生徒が居るからだろ」
「だが自習など、自分の家ですればよいのではないか?」
「環境が問題なんだろ」
「ふむ。最近よく耳にする、地球温暖化とかいうやつか?」
「家だとだらけるから、自習室でぴりぴりした空気を味わいたいんだろ」
「つまりマゾなのか?」
自分一人では返答に限界を感じた静夜は、周りに救いを求めて視線を向ける。だが真穂さんもこすずちゃんも心地よさそうに居眠りをしていた。
真穂さんは持参した枕に頭を載せて座ったまま眠っていたが、一方でこすずちゃんはイスを並べて横に寝転び、本格的に眠っている。まぶしさを防ぐため彼女は顔にハンカチを広げて載せていたが、何度見ても死んでいるようにしか見えない。
静夜はおたぬき様の方に向き直り、もう一度分かりやすく説明を試みる。
「周りがみんな勉強してたら、自分もがんばらなきゃと思うだろ? だから自習室でみんな勉強してるんだろ」
「ふーむ。静夜もよく利用しているのか?」
「俺は苦手だ。どうにもあの空気が耐えられない」
だらだら勉強するのが好きな静夜にとって、雰囲気が張り詰めている自習室は足を運びにくい場所だった。
おたぬき様がぽんと手を打つ。
「だから静夜は二浪中なのか!」
「ほっとけ」
「好きにするがいい。私は勉強の仕方について口出すするつもりはない」
おたぬき様がゆっくりと何度も頷く。
以前からもそうだったが、どうやらそれが彼女のスタンスらしい。
静夜としては非常にありがたかった。口うるさく注意されるようなら、この場所はとても居心地の悪い場所となり、通うこともないだろう。
「のう、静夜」
「なんだ?」
「自習室で勉強する生徒たちに、私がお茶を配るというのはどうだろうか?」
「いいんじゃないか。喜ぶ生徒も多いだろうし」
「いくらくらいが妥当だ?」
「有料か」
「一杯三百円くらいだろうか」
「山頂か」
「予備校も山頂も、大差ないだろうに」
「その心は?」
「どちらも息苦しいだろう」
おたぬき様がドヤ顔をしているが、少しも上手くなかった。
「そもそも予備校の神様が息苦しいとか言うな」
「受験生とは誰もが息苦しいものだろうに」
「いや、別に」
「だから静夜は二浪中なのか!」
「ほっとけ」
「うーむ、だが真穂も浪人は楽しいとか言い出しておるしのう……」
おたぬき様が困ったような顔になる。
少しだけ迷ってから静夜は意見を口にした。
「ここが快適すぎるんだろ」
「ふーむ、ここを自習室にして、床を針山にでも変えるべきか」
「こすずちゃんが喜ぶだけだろ」
針山と聞き、眠っているはずのこすずちゃんから小さく笑い声が聞こえてきた。
しばらくおたぬき様は渋い顔をしていたが、やがてぱっと笑顔になる。
「まあいい。私はここはこうあるべきだと思っておる。自習室は自習室。ここはここだ」
「というより、もしここが自習室になったとしたら、おまえはどうするんだよ?」
「……ふむ、考えていなかったが」
しばらく間を置いてから、おたぬき様は言葉を続けた。
「もしここが自習室になったら、私はお茶を四百円で配る係になろうと思う」
「そりゃよかった」
そんな日が来ることは一切ないだろうと確信した静夜は、再び詩集を手に取り、読書を再開させた。