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第45話 迷い

 二次試験の結果が出た。

 静夜は第一希望の大学に、受かることができなかった。

 一方で、滑り止めの大学にはなんとか受かった。


 静夜は迷っていた。



          ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 昼時。静夜は予備校に行くと言って家を出たが、実際に向かったのは近所の河原だった。

 河原に着いた静夜は、何をするでもなく、ただ河原の斜面に腰を下ろしてぼうっとしていた。河原では小さい子どもたちが楽しそうに追いかけっこをしていた。


 日が暮れ、あたりが鮮やかなオレンジ色に染まり出したころ。静夜の隣に腰掛けてくる人物があった。

 ちらりと横目で見ると、そこにはここ一年、毎日のように顔を合わせていた彼女の姿があった。今日も彼女の頭の上では、たぬきの耳が揺れ動いている。


 何か話しかけてくるだろうと静夜は身構えていたが、彼女は何を言うでもなく、ただじっと流れゆく川を眺めていた。

 静夜は小さく苦笑してから彼女に声をかける。

「珍しい所で会うな」

「私だって散歩くらいする。別に静夜を探していたわけではない」

 おたぬき様はそう言いながら、ぱたぱたと扇子で自分を扇いでいる。それは静夜が試験前日に、彼女へ贈った扇子だった。


 それからしばらく沈黙が続く。

 先に口を開いたのは静夜だった。


「本命は駄目で、滑り止めは奇跡的に受かった」

「ふむ。そうか」

 彼女はすでにその結果を知っていただろう。予備校への合否の連絡はもう済ませていた。だが彼女が知っていたとしても、静夜は自分の口からちゃんと伝えておきたかった。

 ちらりと横目で見ると、おたぬき様は柔らかい笑みを浮かべていた。その笑みは、いつも彼女が見せていた無邪気な笑みとは違い、どこか大人びたものだった。


 冗談っぽく聞こえるよう、静夜はわざと軽い調子で言った。


「二浪したのに駄目だったんだから、さっさと本命なんか諦めるべきなんだろうけどな。……もしもの話、なんだが。もし俺が、もう一年、お狸部屋の世話になりたい、なんて言い出したらどうする?」

「好きにすれば良い」

 さらっと返ってきた彼女の言葉に、静夜は拍子抜けする。てっきり叱り飛ばしてくれると思っていたからだ。


 静夜が黙り込むと、おたぬき様はゆっくり頷きながら口を開いた。


「存分に迷うが良い。迷うことは決して悪いことではない」

「背中を押しては、くれないんだな」

「川に突き落としてほしいならそうするが」

「そのときは道連れにするから安心してくれ」

「私は泳ぎは得意だ」

「俺もだ」


 小さく笑い合う。

 橙色に染まった空を見つめながら、静夜はゆっくりと立ち上がり、大きく体を伸ばす。


「帰るのか?」

「ああ」

 静夜がその場から立ち去ろうとすると、おたぬき様がりんとした声を出した。

「一つだけ、言っておきたいことがある」

「なんだ?」


「遊べ。静夜」


「まあ、試験もおわったからな」

 おたぬき様が首を横に振る。

「違う。人生を遊ぶがいい。存分に人生を、遊び切れ」

「……願わくば、そうありたいものだな」

 すっとおたぬき様が立ち上がる。

「よし。さっそく私と遊ぶか」

「遊ぶって? 何してだ?」

「泳ぐぞ」

「え?」

 おたぬき様は扇子をその場に置くと、川へと駆けていく。

 まさかと静夜が思っていると、おたぬき様はためらうことなく着物姿のまま、真冬の川へジャンプして入っていった。

 浅いため溺れはしないだろうが、それでも真冬の川だ。静夜があっけにとられていると、おたぬき様は大きな声で呼びかけてきた。

「来い、静夜!」

 彼女は満面に笑みを浮かべている。


 しばらくそんな彼女を見つめていた静夜だったが、やがて、自然に笑みがこぼれた。

 一つ大きく息を吐いてから、自分も駆け出す。


 助走を付けて川へと飛び込む。

 すぐさま痛いほど水の冷たさが身に染みてくる。こんな所に飛び込んだ自分の馬鹿さ具合に呆れつつも、真冬の水の冷たさが、もやもやしていた自分の心を鮮明にしてくれたような気がした。


 ただ川に入っただけなのに、おたぬき様は愉快そうに笑っていた。

 そんな様子に釣られて、静夜も心の底から笑った。

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