第34話 ぴりぴり
「ぴりぴりしておるのう」
おたぬき様が折り紙をしながらそんなことを言ってくる。今日は珍しくお狸部屋にいるのは静夜と彼女の二人だけだった。
静夜も折り紙を一枚もらい、とりあえず昔覚えた手順を思い出しながら鶴を作っていく。
「辛いものでも食べたか?」
「たわけ。センター試験まで100日を切り、予備校全体の雰囲気が変わったと感じんか?」
「まあな。授業合間の休み時間でさえ勉強してるやつも格段に増えた」
その言葉に、おたぬき様は渋い表情になる。
「本人らは追い込みだと思っておるようだが、ペースを崩すと調子も崩す。調子は気合いでは治らない。周りの空気などに惑わされず、ペースを保ち、己のリズムで勉学に励むのが良かろうに」
「おまえって案外、予備校の神様らしいよな」
「どういう意味だ?」
「他意はない」
おたぬき様が慣れた手つきで手裏剣を作っていく。すでに机には五つの手裏剣が並んでいた。
それから黙々とお互いが折り紙を作っていると、やがておたぬき様が独り言のように口を開いた。
「おぬしがここに来るようになってから、どのくらい経つ?」
「半年だな」
「早いのう、もう半年か」
「俺もこの半年でずいぶん成長したもんだ」
冗談めかして静夜がそう言うと、おたぬき様は真顔で「寝言か?」と返してきた。悲しかった。
一つ目の鶴を作り終わり、続けてもう一匹を作っていく。
「おぬしも、すっかりぴりぴりが取れたのう」
「俺がぴりぴりしてたことなんてあったか?」
ちらっと横目で見ると、おたぬき様は柔らかい笑みを浮かべていた。
「この予備校に初めて来たころのおぬしは、だいぶすさんでおったぞ?」
「そうだったか?」
試験で宅浪の成果がまったく出ず、ふてくされていたのは確かだったが。
すっとおたぬき様が指さす。
いつも真穂さんが座っている場所だ。
「あやつもそうだった。いつもいつも、ぴりぴりしておった」
「真穂さんが? 冗談だろ?」
「真穂は現役生時代、東大合格間違い無しと言われるまでの秀才だったのは知っておるか?」
「いや……初耳だ」
静夜が驚いて手を止め視線を向けると、おたぬき様はゆっくりと頷いた。
「あやつはいつも勉強ばかりしていたらしく、常にぴりぴりしておった。現役生のころから何度かここに模試を受けに来ておったが、私は真穂はきっと落ちるだろうとにらんでいた。そして案の定、あやつは落ち、ここに浪人生として通うことになった。――それから三年が経ち、今ではセンター試験が迫っているにもかかわらずバイトに精を出すざまだ。……どうしてこうなった」
おたぬき様が頭を抱える。
だがその表情は柔らかいものだった。
「ぴりぴりした真穂さんか。みじんも想像できないな」
「たかが三年。されど三年。あやつは浪人を続ける中で、次第に自分というものを見つけていったんだろう」
「俺は二浪してるが、見つかりそうにないな」
自虐気味に笑むと、おたぬき様が失笑する。
「自分などそう簡単に見つかるものではない。おぬしらの歳になってくると、『自分探しの旅』と称して世界中を飛び回る学生が必ず出てくる。だがそれで自分を見つけてくる若者はごくごくわずかだ。そうではなく、自分を見つけたものこそ外の世界に出てみるべきだな」
おたぬき様は六つ目の手裏剣を完成させると、そっと机に並べる。
静夜が黙ったままでいると、彼女は言葉を続けた。
「静夜よ。どうして私がこの部屋で勉強を禁じているのか、その理由はわかるか?」
「ああ。今の話を聞いて、なんとなくだけどな」
「では答え合わせといこう。正解は――」
満面に笑みを浮かべて、おたぬき様は答えを口にした。
「私が、遊ぶのが好きだからだ」
そう言って彼女は、できあがったばかりの手裏剣を楽しそうに投げつけてきた。




