第32話 浪人の道
静夜がお狸部屋で小説を読み進めていると、志野ちゃんが煎れたばかりの紅茶を出してくれた。事務室の設備を借りたそうだ。
「読書の秋ですね」
「ありがと」
来たばかりは戸惑ってばかりいた志野ちゃんだったが、最近ではだいぶこの環境に慣れてきたのか落ち着きを見せていた。
今はおたぬき様もこすずちゃんもゲームセンターに行っている。そのため室内はとても平和で静かだった。
志野ちゃんは続けて真穂さんに紅茶を出す。
「はい、どうぞ」
「ねえ、志野ちゃん」
「はい、なんでしょう?」
「こすずちゃんから聞いたんだけど、進路のことで悩んでるそうね?」
「あ、はい……」
志野ちゃんが表情を曇らせながら、真穂さんの隣に腰を下ろす。
真穂さんが体を志野ちゃんへ向けてじっくり話を聞く体勢になる。
「目指す大学は決めてるのかしら?」
「それが……なんだか最近になって、急に自信がなくなってきて」
「合格する自信かしら?」
「いえ。自分が何を目指したいんだろう、ってわからなくなってきて。それで、勉強もあまり手が着かなくて」
「志野ちゃん、心配しないで。たとえ悩んでいなくても、勉強が手に着かない人も身近に居るのよ」
真穂さんが優しいまなざしを静夜へ向ける。
静夜も優しい笑みを返しておく。
「真穂さん、わたし、どうしたらいいんでしょう?」
志野ちゃんが悲しげな表情になる。
そんな彼女を励ますように、真穂さんは柔らかい笑みを投げかけた。
「そうね。志野ちゃんは、将来何になりたいのかしら?」
「……それが、よくわからなくて。去年の今ごろも同じようなことで悩んじゃって、勉強に集中できなくなって」
「モチベーションが保てなくなったのね」
「どうすれば保てるものなんでしょうか?」
「いっぱい遊びましょう」
「え?」
「いっぱい、遊ぶのよ」
困惑する志野ちゃん。その一方で、真穂さんは笑みを浮かべながらも至って真剣な表情をしていた。
真穂さんが言葉を続ける。
「いっぱい遊んで、これでもかって遊べば、あなたにも見えてくるわ」
「何がですか?」
「浪人の王道よ」
「ろ、浪人の王道……!」
志野ちゃんが息をのむ。
立ち上がった静夜は、ごそごそとおたぬき様のおもちゃ箱を漁り、ハリセンを探し出す。そろそろ必要になりそうに感じていた。
真穂さんが笑みを消し、真剣な表情で話を続ける。
「わたしの見立てだけど、志野ちゃんは浪人に対して負い目を感じてるわよね?」
「そ、それは……確かに、ちょっとは」
「志野ちゃん、いい? 浪人っていうのはね、道を踏み外すことじゃないわ。浪人することで初めて見えてくる道もあるのよ」
「それが、浪人の王道……?」
ゆっくりと真穂さんが頷く。
ハリセンを見つけた静夜は、ゆっくりと真穂さんに近づいていく。
真穂さんは志野ちゃんの瞳を見つめながら、力強い口調で言った。
「浪人は決して美化されるものじゃない。けれど卑下するものでもないわ。常に堂々と、いま歩んでいる道を突き進みなさい。そしてやがて見えてくる浪人の王道を、自分の目で確かめてみるといいわ。その王道を心から感じることができたとき、人は自分の人生とは何かを見出すことができるの」
「す、すごいです、浪人の王道……!」
志野ちゃんが目を輝かせている。
「わたしも三年目にして、ようやく王道の真理が見えてきたわ」
「ど、どうやったらわたしも王道が見られるでしょうか……!」
「王道を進むために必要なのは勇気じゃないわ。怠慢よ」
「怠慢……!」
「さあここで問題よー。今おたぬき様とこすずちゃんが、近くのゲームセンターへ遊びに行っているわ。そこで志野ちゃんが取るべき行動は何かしら?」
「わ、わたしも……精一杯、遊ぶ! ゲームセンターに行ってきます!」
真穂さんが静かに頷く。
慌てた様子で志野ちゃんは部屋から出て行こうとする。
「気をつけていってらっしゃい」
「はい、楽しんできます!」
満面に笑みを浮かべると、風のように志野ちゃんは部屋をあとにした。
部屋に残された静夜は、持っていたハリセンをおもちゃ箱に投げて戻す。真穂さんが小首をかしげる。
「あら? わたしを叩くんじゃなかったのかしら?」
「いや、やめた。久しぶりに志野ちゃんが楽しそうに笑ってたからな。最初からそれが目的だったんだろ?」
「あらあら、どうかしら」
「俺にも教えてくれないか。真穂さんが見えてきた、王道の真理ってやつを」
「そのためには、わたしたちはどうすべきかしら?」
その言葉に、静夜はすっと真穂さんへ手を差し出す。
真穂さんはそっと静夜の手をつかむと、静かに立ち上がった。
「俺たちも行くか、ゲームセンターに」
「ええ」
笑みを浮かべ合いながら、二人してお狸部屋を後にした。




