第1話 受験生からの依頼その一 お金が欲しい
「おたぬき救済委員会では、受験生の悩みを解決しようと努力だけはしますー!」
静夜が窓から外を覗くと、校舎前でこすずちゃんが委員会の宣伝のため、予備校帰りの生徒たちにビラと食券を配っていた。
依頼者がめっきり減っているため、その対策として打ち出されたのがビラ配りだ。
ビラなんて誰も受け取らないだろうと静夜は乗り気ではなかったが、こすずちゃんは『誠実な態度を見せればきっと受け取ってもらえます』と強気だった。
そしてその言葉の通り、こすずちゃんは誠実な態度でビラと食券を配っている。生徒たちはこぞってビラを受け取りに群がってきた。
こすずちゃんの頭の上で、たぬき耳のついたカチューシャが揺れている。
周りの生徒たちはかわいそうにと同情の視線を注いでいたが、こすずちゃんはわりと気に入っているのか満足そうにしていた。
「今日の依頼を発表する!」
おたぬき救済委員会の委員長であり、この予備校の神様でもあるおたぬき様が大きな声を上げた。
予備校内にある一室、通称『お狸部屋』にメンバーが集まり、いつものように委員会の活動が始まる。
おたぬき様以外の委員会のメンバーは、静夜、真穂さん、こすずちゃんの三人だ。三人ともこの予備校に通っている浪人生である。
小さな背のおたぬき様の頭上では、たぬき耳がぴょこぴょこと揺れていた。一見すると安物のカチューシャと変わりないように見えるが、動いているということは本物なんだろう。
一方でしっぽは見当たらない。着用している着物の中に隠しているのか、それとも生えていないのかは静夜は知らなかった。
静夜が席に着くと、その向かいに真穂さんがいつものように柔らかい笑みながらゆっくりと腰を下ろす。
おたぬき様は肩まで伸びたセミロングの髪を揺らしながら立ち上がり、声を張り上げた。
「今日の依頼は、『お金持ちになりたい。お金をください』という切実な願いだ!」
「受験生ならもっとほかのことを願えと思うが」
「わたしは有価証券が欲しいわー」
静夜に続き、真穂さんがそんなことを言ってくる。
おたぬき様はどこか不満そうに反論してくる。
「受験生にお金は大切だ。ゲーム代やデザート代、漫画代など考えればいくらあっても足りないだろう。よって依頼を解決するためのアイデアを募集する。みなのもの、何かよいアイデアはないか!」
おたぬき様が期待を込めたまなざしで静夜と真穂さんを見てくる。
静夜は少しだけ考えてから、おたぬき様に尋ねてみた。
「あれってできないのか? ほら、葉っぱを札に変化させるやつ」
「札を葉っぱにするのなら得意だ!」
おたぬき様が胸を張る。
「なんとか逆にしてくれ。それで何枚か万札にして、依頼者と俺に渡してやれよ」
「だがそのためには見本がいる。まず私に何枚か万札を渡してくれぬか」
おたぬき様がにやにやと笑みを浮かべる。これは絶対渡してはいけないと静夜の勘が告げる。確実に返ってこない。
静夜が目をそらして無言を貫いていると、真穂さんがパンと手を叩いた。
「ひらめいたわー。静夜くんとおたぬき様が結婚すればいいのよ」
何かまた真穂さんが突拍子もないことを言い出した。
おたぬき様は持っていた扇子でびしっと真穂さんを指す。
「真穂、その意図を説明してくれ。返答によっては静夜を叩くぞ」
真穂さんがにこにこしたまま説明してくれる。
「結婚すれば、ご祝儀をたくさんもらえると思うの。そのお金を利用しましょうー」
「平和的なようでいて、何かすごく黒い気がするのは俺の気のせいか?」
静夜にそう言われても、真穂さんは相変わらずにこにこしていた。
おたぬき様が扇子で机を強く叩く。
「だが私と静夜が結婚したところで、誰が祝ってくれると言うのだ!」
「強気な自虐やめろ、何か悲しくなってくる」
「『え、おたぬき様と静夜君が結婚? ウソ、マジ受けるー』と小馬鹿に笑われるだけで終わるのが目に見えているではないか!」
「でも、愛の力があればそんなことは気にならなくなると思うのー」
真穂さんが真剣そうな顔つきでそう言ってくる。
「そ、そういうものなのか?」
「愛はすべてを覆すわ。たとえ遅刻をしようが、生カキを食べて食中毒になろうが、愛さえあればすべて解決するのよ」
「そ、それが愛の力……!」
おたぬき様が何か感銘を受けたのか、目を輝かせ出す。
話がずれてきたので、静夜はわざとらしくせき払いをしてから軌道修正を試みる。
「お金が欲しい、という話のはずだったんだが」
今度はおたぬき様が静夜のことを扇子で指してくる。
「金の話ばかりしよって、この守銭奴め! 今は愛の話だ! 真穂、もっと愛について教えてくれ!」
「ええ、いいわよ。では次は、『貢ぐ』という愛について説明しましょうー」
それからも話に花が咲き、おたぬき様と真穂さんの二人は盛り上がっていた。
今日も依頼は解決できそうにないと静夜は判断し、席を立って窓際に移動する。
外を見てみると、こすずちゃんが食券をあたりにばらまいていた。散らばった食券を拾おうと多くの生徒たちがはいつくばっている。
「ひれ伏しなさい、愚民どもめ!」
とこすずちゃんは楽しそうにしていた。
今後もわが委員会は閑古鳥が鳴くことだろう。
静夜はその結論に達し、一人静かにあくびをかみ殺した。