「日常」「非日常」
目が覚めた。目を開けてすぐに目に飛び込んでくる俺の部屋の天井は相変わらずの光景で全くもって代わり映えしない。とは言いながら、何故か色褪せているように見えるのは何故だろうか。
「っ……いでで」
起き上がってから背伸びをするようにすれば、左肩にずきりと響く痛み。見れば、首筋近くまで、シャツの布部分からはみ出すように白い包帯が自己主張していた。
あぁ、昨日は大変だった。帰ってきてみれば、だいぶマシになりつつはあったとはいえ肩の怪我の事がばれて大騒ぎになり、こっちが何とか凶暴な犬と喧嘩になったと強引に理由を説明してとりあえずはひと悶着を抑え込んだ。まぁただでさえ事なかれ主義で喧嘩だなんて滅多に無かった俺の事だから、余計に両親を心配させてしまったんだろう。それに賢いあの二人の事だ、俺の嘘には多分気がついている。それでいてもとりあえず追及を止めてくれたのは何だかんだで俺の事を信じてくれているから。だなんて考えるのはあまりに自惚れだろうか。理由はどうあれ、ありがたい事に変わりは無いんだけど。
いつもと慣れない状況にやや苦戦しつつ制服に着替え、鞄を右手で持ち上げる。今日はとある事情もあるので、シャツとジーンズを鞄に突っ込んでいく。制服に予備があって良かった、サイズはやや小さいが全くもって問題は無い。軽くほつれた程度ならともかく、制服ごと食いちぎられるようにされてしまったため直すのも難しいだろう。……そう考えると買い直す必要があるから、やはり申し訳無くなる訳で。ほんとは俺のせいじゃないとはいっても、本当の事を言ってもまず信じないだろうからどうしようもないし。
リビングに降りる。母さんに挨拶し、左肩の具合を聞かれる。「大丈夫だよ、大げさなんだから」と笑って見せれば、母さんも困った様に笑う。朝飯をを食べ、学校でも変える為の予備の包帯と消毒液も棚から取り出し、鞄に突っ込んで準備完了。
玄関に向かう……前に、振り返って。
「あ、母さん」
「はいはい?」
「……心配かけて、ごめん」
「そんな事言ってる暇あったら、さっさと治しなさい。気を付けるのよー?」
「うん。行ってくる」
何だって、こういう時の母親の笑顔って。本当にほっとするんだろ。
++++++++
「……ん。蓮、おーい。授業終わってんぞー、お前はまさか学校に泊るつもりかー?」
「えっ。……あ」
通学中も授業中も、どうもあまり目の前に意識が集中しなかったというか。気が付けば放課後だ……やばい、結構授業聞き逃したかも。とはいっても、寝てる事が多いから大差無いのか。止めよう、虚しくなってくる。
「おいおいどしたよ、心ここにあらずって感じだぞ?寝不足……じゃないな、お前の事だから爆睡するはずだし」
「さらっと言いやがるなお前」
「けどま、身体の調子には気を付けろよ?身体の頑丈さには定評のあるあの新山も珍しく病欠っていうんだからさ」
新山、と聞いて一瞬どきりとした。
あの後。俺は気絶してるままの新山を運び、この日常へと戻ってきた。そしてそこで丁度目が覚めた新山と話して。丁度あの場所で悪魔に襲われた時の事は覚えていないらしかったのには本当にほっとした。とりあえず道路の脇で倒れてたと適当に嘘を吐き、家まで送っていった。あの時は何だかんだ体調は問題無い、と笑っていたが……実は無理をしてたんだろうか。あの場所で悪魔に襲われてるんだ、何か悪影響が出ていてもおかしくはない。そもそも、本当に覚えていないのか……?実は覚えてて、隠してるって可能性もある。とにかく、新山があの場所にこれ以上関わらずに済めば良いんだけど。
「……そういや、お前は今日はクラブあんの?」
「え、あぁある。一緒に帰れなくてすまんな」
「気にすんな、そこまで付き合ってもらっちゃこっちだって申し訳無い」
話を逸らす様にこの後の予定を聞けば、イケメン眼鏡は申し訳無さそうに両手を合わせた。相変わらず人が良さ過ぎるだろこいつ。……それに、一人で帰った方が今日は都合が良い。勿論、それを口には出せないけど。
じゃ、とだけ軽く言葉を交わし、鞄を担いで教室を出る。階段を降り、下駄箱で靴を履きかえる。そして出て……行く前に、周りの人の多さを確認。少ないと判断すると、あえて校舎の裏側へと回り込んだ。鞄からシャツとジーンズを取り出し、手早く着替えて制服を鞄へ押し込む。
これ以上制服は無駄に出来ないからな……あの世界に行く以上、これがベストなんだろう。
『ね、レン』
『……何だ?』
悪魔だと解って警戒、正直いつでも戦える準備をしていた俺を、リアンは何でも無い様に見つめて。
『今日は戻ってた方が良い、ニーヤマもいるんだし。で……また、来て欲しい』
『こんな物騒な所にか?』
『出来る事、何でもするって言った。約束、守ってくれるよね?』
指を唇に当ててくすっと笑う少女は普通に見れば可愛らしかったと思う。
その瞳が「獲物を見つめるかの様な金色」でさえなければ。
俺は、とてつもない「約束」をしてしまったんだ、と。その時になって取り返しがつかないかの様な感覚を味わったものだ。
……以上、回想終わり。
まぁ、実際リアンがいてくれて俺も新山も助かったのは事実だ。感謝もしているのだから、やれる事はやってみようと思う。
「悪魔って事は……やっぱあいつも、人間食べんのかな」
ぽつりと、思わず口をついて出た言葉。それは俺が考えていた最悪の状況。即ち、「俺が喰われるのではないか」という可能性。
そうなったら、俺は全力で抵抗するだろう。俺は生きていたいのだから。勝てないかもしれない、それでも俺は死にたくないから。そうならない事をとことん祈る事しか出来ないが。
「……はは、参った」
どうも思考が参りそうになると、人間は笑うしかないみたいだ。口から漏れる自分の声に、また「参った」と呟く。
マンホール。俺が文字通り非日常に「脚を突っ込んだ」場所。
力に目覚め。悪魔に襲われ。今もまた悪魔に会いに行こうとしている。
あぁ、けど新山は救えたな。少なくとも悪魔に殺されずに済んだ。それを考えると、俺もちょっとは良い事が出来たんだと思うと、少し気が楽になった。
今日は雲があちこちにあって太陽の光を隠したり出したりを繰り返している。夕方近くになっても直射日光もだいぶ熱く感じられるこの頃だ、少し前までの俺ならこの天気は大好きだっただろう。けど今は勘弁してほしかった、黒くなりつつある雲を見ているとそれだけでどんよりと気分が沈みそうだ。
太陽が雲の隙間から照らしてくれる時を見計らって、脚を動かす。マンホールへと、一歩踏み出す。
視界が黒に染まっていく。もう、後戻りは出来ないとでも言うかの様に。
++++++++
「いらっしゃい」
「……ども」
フードを相変わらず被ったまま、リアンはこの場所へ来てすぐの俺を出迎えてくれた。ある程度覚悟は決めているとはいえ、こうもあっさり来られると心の準備というか、調子が狂う。
「ちゃんと、来てくれたんだ」
「出来る事何でもする、って、言っちまったからな」
「そっか……ふふ」
くす、と口元に指を当てつつ笑う。それだけ見れば美少女なんだけどな。けどフードの下でまた目が金色になっているんじゃないかと思うとどうもはやり落ち着かない。
「ついてきて」と言われるままに歩く事数分。またこの場所を拝む事になるとは思わなかった。
学校。
初めて来た時には何が何だか解らないでぶっ壊れたこの景色に本当にどうすれば良いか悩んで、パニくって。それが、ほんの一昨日の話。ここ数日濃密過ぎるだろ俺。
「……まだ、無事な場所あったんだな」
「ここ、結構過ごし易いんだ」
そんな会話をする俺達の目の前には倉庫の様な建物が。俺の学校についての記憶が正しければ……ここは体育倉庫か、あの色々道具とか放り込んでおく場所。瓦礫とかの丁度向こう側だったから気付かなかった。
その扉を開く彼女について、自分もまた中へと入り込む。中は思ったより汚れている訳でもなく……というかむしろ、結構色々なものでごった返していたはずの中はだいぶ物が減っていて、広々としていて綺麗な印象を受けた。
「近くに悪魔も出てきてたけど……大丈夫なのか?」
「そもそも音が漏れにくい場所みたい。入口は一つだけ。その入口もあたしが塞いでる」
指差すままにそちらを見れば、扉には確かに淡い、蒼の光。原理はあんまり解らないが、とりあえず安全は確保されてるらしい。いや、目の前に悪魔がいるから俺としてはむしろ逃げる場所が無くて安全が保障されないんだけど。
「で、何でもしてくれるって話だけど」
リアンがそこ等辺に適当に置いてあるマットに座りつつ口を開く。俺も壁にもたれる様に座り込む……出来るだけリアンからは離れた場所に。
さて、俺は一体何を言われるのやら。ポケットに手を突っ込んで、スマホは握っておく。やばい、やっぱり緊張しちまう。そりゃそうだ、また俺の命が悪魔に左右されそうになってんだ。
「レンの事、教えてほしい」
……。え?
「俺の……事?」
「うん。あたしはこの世界から出た事は無いし。それにね、こうやって人間と話すのも初めて」
人間と話すのが初めて……え、それは何?食料と見てたから話す気さえ起きてなかったとかそういうオチ?
「だから、レンに興味がある。色々、教えて欲しい」
「あぁ……ま、ぁ。俺なんかで、教えられる事なら」
拍子抜けして、その勢いのまま答えてしまう。
本当に不思議な事になった、と思う。
人間の俺と、悪魔のリアン。後戻りの出来ないはずの、けれど奇妙な非日常。
これより、開幕。
猫ツールです。
非日常の冒険、いよいよ開幕。
リアンとの「約束」をきっかけとして、蓮は異世界へ深く踏み込んでいきます。
今までが何だかんだプロローグ、でしょうか……これかたいよいよ?本編……になりそうです
まぁその前に、次回は説明が多くなりそうではありますが。
よろしければ、お付き合いくださいませ。
それでは