「帰ってきた」日常
俺は基本的に人とつるまない。いや、正確にはつるめないというべきだろうか。人付き合いが苦手という事でもある。
何せ俺自身がコミュ障気味であるというのもあるが、名前の事でイジメられたり自分に取り柄があまり無いが故に他人に嫉妬しやすかったりで、すっかり他人との付き合い方は歪んでしまったと言って良い。だからこそ明弘みたいな奴はとても珍しいし、それに感謝しているのだ。頼んだ覚えは全く無いが。
そんな俺でもやはり人恋しくなる時はある。例えば、訳も分からずいきなり家や校舎がぶっ潰れていて人が見当たらずやっと出会ったのは化け物でしたって時とかは、特に。
だからこそ、すぐそこで塀の上にしゃがみ込んでいる少女に出会えた時は嬉しかった。ようやく、まともな人に会えたと思ったからだ。
「え、えっと……君、大丈夫?」
「何が」
「いや、ほら。色々と物騒だし」
「問題ない」
……いかん、妙に話が続けにくい。というかこんな状況になっているのに何でこの子はここまで平然としちゃってるんだ。さっきの化け物とかを見てたなら今の状況がどれだけおかしいか解るはずなのに。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、そいつは立ち上がり、軽く塀を蹴って地面へ降り立った。青のパーカーが風に揺れ、フードから少しはみ出る位の長さの黒髪がふわりと舞う。それは良いけど降りる時はその赤のスカート位押さえろ、不安になる。色々な意味で。
つかつかと歩み寄り、俺の顔をじっと眺める少女。初めてそこで気が付いた。少女の瞳は、透き通るような蒼だった。綺麗だ、と思う。美的センスなどまるで無い俺だが、綺麗だと思う。まるでサファイアの様。例えるならそんな所だろうか。
「へー……目覚めたばっかりってとこ?やるじゃん」
「え?目覚めたばっかり?」
オウム返しの様に聞き返す、というかこうでもしないと上手く話を繋げていけない気がする。というか目覚めたって……道路でぶっ倒れてた事か?それともやっぱ、さっきのスマホのあれか?
「『力』。さっき悪魔を殺したでしょ」
「あ、悪魔?」
……殺した。殺してしまった、のか。実感が湧かない。あんな化け物だったから。しかもあれが悪魔だなんていうから、余計に。案外あっさりまた復活してたり、なんて思ってしまう。
現実味がまるで無い。疲労感も身体のあちこちが痛むのも。さっきの化け物もそれをぶった切ったのも。全てが、全部が、何もかもが、まるで夢みたいだ。
そんな風に文字通り夕焼け空の下で黄昏てる俺を見ながら、少女は首をかくんと傾げた。
「あぁ、やっぱり。別の場所から来たんだ」
「別の場所?や、俺はこの先に行った所にある家に住んでた、んだけど」
自分の家の方向を指差しながら言うも、肝心のその家は潰れてたし……学校もボロボロだし。これからどうすりゃ良いんだ。スマホも相変わらず電波は通じないままだし。そういやさっきのインストール云々はどうやって成功したんだろう。電波届いてないのに。他に行くべき場所って何があったっけ。
「そう。じゃぁ、さっさと帰れば?」
「や、だからその家がとっくに潰れて……って、あ。そうだ、何でこんな事になってるか知らないか?俺が気が付いたらこんな風になっててさ」
あっさりという少女に話が噛み合っていない様に感じながらも、とりあえず一番聞きたい事を尋ねる。何かしら解れば、するべき事も思いつくかもしれない。
「別に。大した事は何も起きてないよ。ここは『そういう場所』だから」
「は?そういうって」
「帰りたいんならそっちへさっさと歩けばいい」
俺が指差した方向へ顔を向ける少女。ダメだ、やっぱ噛み合ってねぇ。まるで意味が解らん、何だそういう場所って。俺が知ってるこの場所はこんな風に物寂しい感じじゃなかった。朝は若干通学生とかで騒がしい場所だ。この夕方だって帰る人達で明るくてうるさい声が聞こえる場所だ。こんな空気の場所じゃねぇんだよ。悪魔だとかそんな物騒な奴だっていないんだよ。
「行かないの?また悪魔に襲われたいんなら話は別だけど」
透き通った青が俺を見つめる。何を考えてるのかまるで解らないその瞳に、一瞬身体が震えた。得体の知れない何かを感じた気がして。思わず目を逸らしてしまうのが情けない、と我ながら思う。
「わ、分かった。ありがと、じゃぁ俺は行くよ」
そうとだけ言い残し、背を向けて歩き出した。背後で少女が何か言った気がするけど、それを気にする余裕もないままに歩く。
そして、少し歩いたら出る交差点。
ずぶり、と俺の脚がたまたま踏んだ排水溝の蓋にめり込んだ。あまりにいきなりの事に声を出す暇も無く、俺の身体はあっさり沈み込んでいって。視界が黒に染まって。
++++++++
「あ、れ?」
気が付けば、また道路の上に突っ立っていた。太陽はだいぶ傾き始めていて、空は夕暮れ。それでもまだ容赦ない直射日光は俺の身体を熱している。
「でさ、今日理科の先生がさー」
「うわそれは酷い」
「なぁ今週の週末遊びに行こうや」
「カラオケなら行く、お前おごりな!」
「はぁ!?」
聞き慣れた騒がしさ。見慣れた制服姿。何でこんなに懐かしいとか感じてしまうんだろう。時間は大して経っていない。今日の朝にだって通学中は騒がしさなんかどうでも良かった。いつもと変わらない退屈な日常だ、だなんて思っていたのに。
「帰ら、ないと」
口から呟きが漏れる。長い間立ちっぱなしだったかの様に強張って若干痛い足を動かし、家へと歩く。道路も綺麗なまま。道路標識だって折れちゃいないし、ミラーだってきちんと俺の姿を映してくれている。そんな道を、歩く事数分。
俺の家は、きちんとそこにあった。窓から中の部屋の光が漏れている。
何で手が震えるんだろう。ドアノブを握った瞬間に家が崩れてしまうかもしれないから?いきなり地震が来るかもしれないから?それとも……「化け物」が襲ってきそうだから?
考えながらも、身体は動く。ドアノブを回して開ける。目に飛び込んでくる見慣れた玄関。そして漂う、どこまでも良い匂い。
「ただいまー」
お決まりの言葉を口にする。靴を脱いでリビングへ。
「お帰り、今日は遅かったね」
「寄り道でもしてたか?お帰り」
あぁ、いつも通りだ。母さんは台所に立って料理でもしていて、父さんは椅子に座って新聞を読んでいる。何も変わっていない、無事そのものじゃぁないか。
「ん、どうした?」
「あ、いや。今日は父さん、早いんだね」
「そっちが遅いだけじゃないか?ってのはともかく、確かに早く会社から出れたね、今日は」
「そっか。まぁ、確かに寄り道、してたんだけど」
「ほらほら、早く鞄部屋に置いて服も着替えてきなさい。今日はビーフシチュー、蓮は好きでしょ?」
呆けていた所を訝しげに見られて、何とか取り繕うように受け答えをして。母さんに言われるがまま、二階へと階段を上る。
自分の部屋に入り、ベッドに倒れこんだ。鞄を床のクッションに放り出す様に置き、制服もボタンを外してだらける。
スマホを起動してまずする事は明弘にメール。「明日って宿題あったっけ」と打ち込み、送り付ける。それからベッドの上にスマホを置き去りにして立ち上がり、制服のシャツを脱いでTシャツを被った所でスマホが震える音が聞こえた。
【無いよ。明日は帰りにゲームやろうぜ】
何故だろう。「明日は」という言葉にやたらとぐっと来た。「勿論」とだけ返事して、ズボンも脱いでジーンズを履く。
今日はやたらと疲れた。ベッドに寝ころびスマホを操作する。
……無い。メニュー画面を見ても、メニューカスタム画面で探しても、基本機能の部分を全て見直しても。やっぱりあの時見たはずの緑色のアプリは見当たらない。という事は、やっぱり。夢オチ?夢オチなのか?あんな道路で夢見てたのか?
いや、考えるのは止めよう、考えるだけ自分がみっともなくなりそうだ。とにかくあの出来事は全部夢で、実際に家は潰れてないしどこまでもいつも通りだった。それで良いじゃないか。
「ご飯ー」
「あぁはい、すぐ行くー」
扉越しに聞こえた母さんの声に答え、立ち上がる。今日のビーフシチューは特別美味そうだ。何となくそう思いながら、扉を開けた。
猫ツールです。
とりあえず蓮はいつも通りの日常へと帰る事となりました。
だからここで物語は終わり、これからはいつも通りの日常を……だなんて訳には当然なりません。
彼が気付いていないだけで、力は彼を選んだのですから。彼もまた、力を選んだのですから。
日常と非日常の境界は曖昧で、案外気が付かない内にあっさり踏み込んでるんじゃないかと。
たまに、そんな事を思ったり。
よろしければ、これからもお付き合いください。
それでは