「誰そ彼の」世界
……声が聞こえる。何かを言っているのだろうが、まるで聞き取れない。
聞こえないと解ったのだろうか、まるで叫ぶ様に声が張り上げられる。声量が大きくなったのは良いけど、相変わらず聞き取れない。声がまるでぼかされているかの様だ。
目の前に何かがぼんやりと映し出される。なんだろう、この緑に光る長方形は。これについて声は何か言いたいのだろうか。
ゆっくりと、手を伸ばす……。
「……ん、あ?」
目が覚めれば、俺の身体は地面の上にうつ伏せになっていた。
……何でこんな場所で寝てんだっけ?俺。そんなに寝不足なはずもないのに。それともあれか、まさかの家に帰って寝たら夢遊病で歩いてきたとか?少なくとも後者じゃない、鞄も制服も帰るときそのままだ。じゃぁ道路で寝落ち?何それ怖い。
起き上がって服を軽く払う。すっかり空は夕暮れ、端っこが青く染まりつつある。おいどんだけ寝てたんだ俺は。周囲に人はいない……こんだけ長い時間が経っていたのだとしたら、普通は人を呼ばれるか何か変な事が起こると思ってたが。実際は違う?それとも長い時間人が誰も通りがかっていない?それとも見て見ぬふりをされた?
……考えるだけ無駄か。とりあえず家に帰ろう。
「……えっ」
だが、そんな俺を待っていたのは訳の分からない光景だった。
家が潰れていた。まるで地震でもあったかのように、見慣れた屋根が下の部分を押し潰す様にして瓦礫に被さる形となっていた。
「えっ、あ?何じゃ、こりゃ」
自分でも呆けた声を出してると思う。だが目の前の俺の家であったはずの建物は間違いなく壊れている。いきなりのこんなんじゃこんな声を出してもおかしくはないと思う。
何があった。俺が帰る途中にいったい何があったんだ。
とりあえずまずはスマホを取り出す。何かしらどでかい事が起きてたんなら、すぐにニュースになってるはずだ。
だが無意味だった。スマホのアンテナの部分にバツ印……圏外の状態になっている。当然ネット、テレビも繋がりやしない。緊急地震速報のページも開いてみたが何の新しい情報も入っていない。
いやおかしい。トンネルでもないのに。こんな開けっぴろげな場所なのにどうして圏外なんぞになるっていうんだ?間違いなく何かが起きている。
たまらずに走り出した。どこへ?一体どこへ行けば良いっていうんだ?その疑問にはすぐに答えを導き出せた。学校だ。地震があった時もとりあえず校庭なら大丈夫だとはよく聞く話だ。いやそもそも地震があったかどうかすら知らないんだけど。それに学校には、アイツがいる。クラブ活動で残ってる奴も結構いるはずだ。先生だっているはずだろう、何か話くらい聞けるはずだ。
走りながらも異様な光景が簡単に目に付いた……折れた電柱、割れてぼろぼろになっているミラー。今日の朝ご丁寧にいらつかせてくれた信号機も、光らず仕事放棄。まぁこんな状況で赤信号だったら流石にスルーするけど。
「……ここも、か」
校舎もまた酷い有様だった。あちこちぼろぼろで太陽の光を見事に反射していたはずの窓は見事なまでに割れている。壁に所々穴まで開いて、崩れ、歪み、ひびが入っている。
あんなに嫌々来ていた場所なのに。朝までまるで壊れそうにないと思っていた場所なのに。嬉しいとは思わなかった。悲しいだなんて当然思わなかった。
何も、感じなかったんだ。
それが、どうして。どうしてこんなに虚しいんだろう。どうしてこんなに何もかもどうでも良くなったような気分になるんだろう。
どうでも良くなんか、ないだろう。やりたい事はあるだろう。ゲームだってしたかった。何だかんだで知り合いと話すのは楽しかった。なのに何で。どうして。
「……明弘」
親しくしてくれた奴の名を呼ぶ。俺なんかとつるんでくれたイケメン眼鏡。あいつは無事だろうか……頭も回るしリーダーシップもある奴だ、何だかんだで切り抜けているだろう。ていうか切り抜けてくれなくちゃ困る。良い奴なのに。
「母さん、父さん」
家族の名を呼ぶ。こんな俺を育て上げてくれた人。色々と俺にアドバイスしてくれたし、どんなに俺がやる気を無くしていても何だかんだで飯も作ってくれたし体調にも気を使ってくれた母さん。毎日仕事に行って、家族の生活を支えてくれている父さん。進路や成績の話等で色々言われてうざいと思ってしまう事も多々あった。俺の事を解ってくれてないんだろとか思っていたが、違う。俺が心配してくれてる二人を理解しようとしてなかっただけだ。ずっと、その事だって解っていた筈なのに。仕事で出かけてる父さんはともかく、母さんは家にいたはずだ……頭が回らなかった。母さんも賢いから、きっと避難出来ている。頼むからしていてくれ、まだ何の恩返しだって出来ちゃいないんだ。父さんも無事でいてくれ、一緒にラーメンをまた食いに行きたい。
校庭にも、誰もいなかった。何かが動く気配さえ無い。所々地面にクレーターみたいな穴が開いている……本当に、何があったって言うんだ?
……あ。思い、出した……!
マンホールから出てきた黒い「何か」。あれが俺の足を掴んで……!
だとしたら。もしかして今のこの状況は全部……「あれ」の仕業なのか。化け物にやられたっていうのか。俺の家も。校舎も。全て。
「……何だよ、それ」
思わず口に出す。何でいきなりこんな事してくれちゃってんだよ。
「ぎゅはははははははは!」
変な笑い声が聞こえたのは、まさにその時だった。
前を見る。いない。左右。いない。後ろか!
壊れて役割を失った校舎。振り返った俺の視界の中、その瓦礫の部分から飛び出す様に何かが出てきた。
カラスの羽が生えた人間のような。身体はがりがりに細くて服はぼろぼろで。目から血の涙を流して、それでいて頭が直角に曲がっているその様相は間違いなくホラーに出てきそうなそれ。それが二つ。夕焼けの光の中にあってそれは、明らかに違和感の塊だった。
「『ニンゲン』!『ニンゲン』だ!」
「珍しい!珍しい!」
「ねぇ!ねぇ!美味しそうだよ!だよ!」
「食べよう!食べよう!」
聞いているだけで頭にガンガン響いてくる声。聞き取ろうとするだけで頭が痛くなりそうだ、嫌な声だ。けど、それよりも聞き捨てならない事を言った気がする。
「食べよう」と言ったか。俺を指差して、「美味しそう」と言ったか。
こいつらは、「あれ」と同類なのか。こんなに、滅茶苦茶にした奴なのか。
「あ!あ!逃げるよ!逃げるよ!」
逃げるに決まってるだろ、喰われてたまるか!
校舎の残骸を横切り、校門をダッシュで駆け抜ける。いつもは重く感じてだるかった鞄が何故か軽い。死に物狂いになると本当に馬鹿力が出るらしい。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
自分の呼吸がうるさい。心臓の音がうるさい。走る脚が地面を蹴る音までもがうるさく感じる。
「待てぇ!待てぇ!」
「食べたい!食べたい!」
何より後ろから追いかけてくる奴らの声がうるさい。あまり距離を離せてないだろう事を直感で悟る。相手がまるで楽しそうに笑ってるように感じるから余計にそれが、怖い。怖くて怖くてたまらない。
喰われたくない。死にたくない。そんなのは嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
息がかすれそうになる。喉がひりひりしてくる。脚が痛くなってくる。上半身が重くなってくる。
このままじゃ間違いなく追いつかれる。じり貧のまま俺が疲れ果てて、捕まる。とっくにパニくり、疲れてきて動かなくなりそうな頭を必死に回す。
目の前に見えた交差点を右折。更にすぐ見える路地裏へと曲がる。その場所はゴミ捨て場となっていて、行き止まりだ。だけど、ここのゴミを投げ込む箱の影になら隠れられる……!
「ぁ、はぁ、はぁ……っ!」
転がり込む様に影へと入り、三角座りにして背中を壁に預けて荒い息を何とか鎮めようと若干焦る。静かだから、そんな音さえ余計さっきよりも大きく聞こえてしまう。それが「見つかっちゃうんじゃないか」と余計俺の心を震え上がらせようとする。
「ぎゅはは。ぎゅはは」
「どこかな?どこかな?」
近くまで来やがった。嫌悪感を感じずにいられない声は隠れる様にしながらもなお聞き取れる。それもまた、怖い。
「……匂う。匂うよ!」
「『ニンゲン』!『ニンゲン』の匂い!美味そう……美味そぉ……!」
匂い!?姿をくらませただけじゃダメなのか!
けどここはゴミ捨て場だ、多少の匂い位なら誤魔化せるんじゃないか?
「ここかなぁ。ここかなぁ?」
「汗。汗の匂い。ふふ。ひひ」
そんな俺に残された僅かな希望は、もうすぐそこまで聞こえる声と羽の音にあっさり砕かれた。
もう、ほぼ捕捉されていると見て間違いないだろう。悪い予感というのは何でいつも当たってしまうんだろう。
何も出来ない。全力疾走の後の俺じゃ逃げてもすぐ捕まる。あんな奴等相手に何かを出来そうにもない。
詰んだ。
そう思った時だった。
ポケットの中でスマホが震えた。慌てて取り出し、音を消そうとして。
【生きたいですか? はい いいえ】
画面に映っている文字に。とことんまで単純明快な質問に。思考が止まる。けど、指は動いていた。
迷わず「はい」の方を押す。
当たり前だ。やりたい事はあるんだ。しなきゃいけない事だってある。死ぬのは嫌だ。
いやそんな事さえ今はどうでも良い。どうしようもなく嫌なだけだ。怖いだけだ。死にたくないただそれだけだ。
「俺は、生きていたいんだよ……!」
恐怖の限界だった。かすれ気味な声で、けど大声で、俺は思わず叫んでいた。
スマホから、光が溢れた。
猫ツールです。
一転して非日常の世界に放り込まれた蓮の戦いが、ここから始まる事になります。
未だ彼は無力な為、この世界ではただ怯え、焦り、逃げる事しかできません。その当たりの描写についてはまだまだかなー、と思っていたりします。
精進していきたいと思いますので、よろしければお付き合いくださいませ。