10 七日目。秋田・青森(13)
部屋は、無事、和室を二部屋確保です。
もう時間も遅く、食事は途中で購入したお弁当で済ませています。ですので浴衣に着替えるやいなや、温泉に直行です。ゆっくりと湯(含塩化物鉄泉。“赤湯”)に浸かり、筋肉をほぐしたのでした。
部屋に戻り、布団に腰を下ろしたところで、蘭がやって来ます。なんなのか、と思ったら、手にコップ二つ、それによく冷えた小瓶が一つ、あったのでした。なんの“小瓶”かは、まあ、詮索は野暮というものです。
「最終夜、のつもりだから……」
おざなりな釈明です。なんだか積極的な今夜の蘭なのでした。こういうときは、女の子の方が、思い切りがよいのかもしれません。
で、勿論まったく問題はなく、
「はい、了解です」頷く真面目ボーイの興味津々たる行くんの顔だったのでした。
乾杯し、興味深そうに、少しずつ喉を湿らします。そして肴は――
「作戦会議しましょう」
「はい」
と、やはりそうなるのでありました。
「昼間、ぼくたちは、文太郎さんは一度ゾーンアウトし、そこから現世に生還されたのだと、仮説を立てました。
されば、一番の関心事は、どうやってゾーンインされたのか。そのテクニックでありましょう」
「はい」
「ですが、その前に、やっておかなきゃならないことがあります」
「さて?」
「本当に、文太郎さんは、ゾーンアウトしたのか。この確認です」
「なるほどね。その前提があやふやだったら、議論は砂上の楼閣ってヤツになっちゃうものね」
「然り」――“小瓶”の雰囲気に逆に呑まれたか、口調が変です。
「聞いてばっかで心苦しいけど、では、どうやって証明しよう?」
「ええと、間違ってるかもしれないけど、笑わないでくださいね」
「そんなことするわけないじゃん。アイデアがあるのね?」
「背理法を使ってみようかと……?」
「はいりほう……」
さすがに、自分でグエる分別は持ち合わせる蘭なのでした。
「ある“主張”があって、その“主張を否定”して話を進めると辻褄が合わなくなる。
辻褄が合わないということは、主張を“否定”したことが“間違っていた”ということ。
よって主張は“否定できない”。すなわち、主張は“正しい”と結論する――
このように、否定すれば矛盾が生じることを示すことによって、主張は正しいと判断する方法を、背理法と言う……」
「はい。今回に当てはめると――
文太郎さんは“ゾーンアウトしなかった”、とするのです。
でも、そうするとおかしな点が色々出てくる。矛盾する。
だから、ゾーンアウトしなかった、としたのが“間違い”で、すなわち、ゾーンアウト“した”、ということになるのです」
「オーケー、やってみましょう」
「推理の手がかりとして、何点か事実を挙げます。
だいたい昼に挙げたことと一緒ですが、思い出したこともあるので合わせて列挙します。
(1)文太郎さんは、故郷・浜坂町をスタート地点とした。
(2)ゴール地点を富士山山頂としていた。
(3)その間を、文字通りの意味で、“一直線”に歩いた。
(4)最終ゴール地点は茅ヶ崎海岸であった。
(5)文太郎さん自身は、大磯町だと思っていた。
(6)文太郎さんにとって、死出の旅だった。
(7)文太郎さんは、旅の間、『一度も日常に戻ることなし』と発言しています。
――以上、かな」
「最後7項が、新しい情報ね。それ正確にそう発言したの?」
「そうですが?」
「念のため確認しますが、『日常』という言葉と、『現世』と言う言葉は、同じものと捉えて宜しいのですね?」
行はほほ笑みます。
「のって来ましたね。
前後の文脈から、答は、はい、で間違いないでしょう。
文太郎さんの『一度も日常に戻ることなし』発言は、『現世にワープアウトしていない』、という意味でいいと思います。言葉は難しいですね」
「ならば、簡単です」
蘭が口火を切ったのでした。
「元日に兵庫県日本海、浜坂町をスタートし、まっすぐ富士山山頂を目指した。そのまままっすぐ進行を続け、7月20日に茅ヶ崎の浜にゴールした。
地図に表すとこの通り、浜坂、富士山、茅ヶ崎と、宣言どおり一本の直線になります。厳密には等角と大圏のズレがあるのですが、説明には支障はないので、この図で話を進めます。
では、よく見て下さい。
すぐに気づくことがありますよね? そう、出発してすぐの、京都府・福井県沖の、若狭湾をどうしたのか、という点です。
さて。
フラットランドの旅人が、“ゾーンアウトしない”、ということは――
ここ“若狭湾を回避しなかった”、ということです。
回避したら、距離的にゾーンアウト確実ですから。OK?
旅人は――この場合文太郎さんは、“まっすぐ若狭湾に行き当たるしかなかった”、ということです。
ところで。
フラットランドを旅する人にとって、“海判定”は絶対的ルールです。若狭湾に至った時点で強制ワープアウト。現世に戻されてしまうのです。
ところが。
文太郎さんは、『日常(=現世)に戻ってない』と言ってるのですから、矛盾します。
よって、“ゾーンアウトしていない”、としたことが間違いであるということ。
結論として、文太郎さんは、若狭湾に至る前に、ゾーンアウトしてしまっていたのです。
蛇足ですが――
一度ゾーンアウトしてしまったら、もう(現世に)戻れません。ということは、ゾーン消滅とともに海判定も(おそらく)無くなるということで、そうなれば異世界にて、実際に若狭湾の海上を横切ることが可能になる、ということです」




