9 六日目。秋田(7)
(図はイメージ。撮影:2014年5月、曇り、残雪)
行はコン吉を止まらせると、怪我だらけの体でその駅前広場に降り立ったのでした。
「ウクッ……」痛みます。
がまんして顔を上げます。
目の前に、線路が、南北に延びています。
阿仁マタギ駅でした。
ここが、この世界での、阿仁マタギ駅だったのでした。
一度パムホで確かめます。現世マップでいうと、この位置は――
“笑内駅”。
阿仁マタギ駅から四つ目の駅のはず、でした。
その場所に、この世界では――
阿仁マタギ駅が、大きくずれて、来ており。
ということは、ここから終点・鷹巣駅までの間に、阿仁マタギ駅以降の各駅が、残らず、ぎゅうぎゅう詰めに建設されてあるのでしょう。
行は再度マップを確かめます。
嘘いつわり間違いなく、この位置。
蘭のゾーン西端から、およそ500m、外側に飛び出していたのでした。
(図はイメージ。蘭のゾーンは青枠線の右側範囲)
ゾーンアウト……。
その言葉を噛みしめます。
コン吉を従え、足を引きずりながら歩きます。無人駅。出入りは自由。階段をゆっくり上り、一本しかない、狭いプラットホームに立ちます。
“青空”のもと、ベンチが一つあり、そこにただ一人、蘭が――
蘭が――いて、くれて。
パムホの光点は、ずれなど微塵もなく、正確に蘭の居場所を示していたのでした。
そばに、うなだれて、立ち尽くしている赤いケンケン。
周囲は、のどかな、山の風景です。小鳥のさえずり、蝉の声――
――蘭はベンチに腰掛けていて。
止むことなく、泣き続けていたのでした。
ごめんなさい、という言葉。パパ、ママ、という言葉。
そして、もう帰れない、という言葉――!
それらの言葉が合間合間に聞こえて、すぐに嗚咽に埋もれて――
隣に座ると、一瞬、びくん、と体を震わせて。やがて、気丈にも――
「わたしが、阿仁マタギ駅に、降りること、みんなに知れ渡ってたから、運転手さんも、乗客の皆さんも、それはジェントルに、わたしをここまで、運んで、座らせてくれたわ――」
と、状況を最後まで報告しおえてみせたのでした。
「ここの皆さんの意識構造は、不思議ですよね……」
穏やかに、返します。
「これから、存分に、学習できるわ」
一瞬だけ泣き笑いの顔を見せ、
「キミを巻き込んでしまった! ごめんなさい――」
耐えきれず、号泣の海に溺れて行きます。
「――」
行は、すぐ横の、柱に取り付けられていた『観光案内BOX』に手を伸ばします。フリーペーパーの、観光チラシでした。
『森吉山観光道路マップ』と銘打たれています。
「……!」
思わず呻き声が出そうになるのを必死に押し殺します。
行の予定していた、打当地区から山を越えて、西ノ又林道経由、太平湖に至る縦断コースですが、“ここ”では、なんと、オフロードバイクならば十分に走行可能なダート道が敷設されているようなのです。
麓にあたる打当地区には、打当温泉という宿泊施設もあり、チラシを見る限りですが、登山基地として開発が進んでいるようです。
ついでに――本当についでに――少し右(東)の地域にも目を向けると、玉川温泉から真北に、三ツ又森を越えるダート道の記載もあり――この世界には、ないと思い込んでいた道が、あったのでした。
行、全力で無言を貫きます。
つまり、蘭が気持ちを変えずに、当初の予定通り進んでいたならば。
二人とも、ラッキーラッキー、その道路を使って楽々と山越えを果たし、速やかに十和田湖に到着できていたはずだったのです。
「!!!」
そして翌日のゴールに向けて、幸せなラスト夜を迎えられていたはず、だったのでした。
蘭さえ、気持ちを変えなかったら――
拳を、ギュッと握りしめます。
「――」
ぼくはバカです。
どうして――どうして蘭を責められましょうか……。
蘭は、ぼくと約束してくれたのです。それを幸せなことだと思ってくれたのです。そして、いじらしく、どうせなら今から一緒になりたいと、寄り添いたいと、自分のテーマ、ルートを曲げて、ぼくを追いかけて来てくれたのです。それも、知恵を絞り、ぼくに迷惑をかけないよう、安全に、かつ体力を温存したまま、そして、ぼくを逆に出迎えようとしてくれて、そのあとは、ロマンチックな湖の畔まで、自分が先に立って歩いてくれると恥ずかしそうに幸せそうに嬉しそうに幸せそうに嬉しそうに語ってくれたんだよ――!?!
こんな彼女を、一体だれが責められるというのでしょう?
「――」
そんなに誰かを責めたければ、事が終わってからパムホの現世データの過信に気づき――
ようやく現地の、“ここ”の、地図を開き、道を発見している――今頃になって情報を集めだしたグズで間抜けな己に対して、怒るべきなんだ!!!
今まで散々に勘による警告を受けていたじゃないか! それを無視したのは他ならぬ自分だ!
ああ、この世界は――!
トンネルがない世界!
あっても片洞門、それもごく短いもので、ほとんどのケースで、峠越え、尾根越えのルートが用意されていたではないか!
なぜその意味に気づかなかった!?
結果、何かが現世と異なっているだろうことに、なぜ意識が及ばなかったのだ?
お前のその目は、一体何を見ていたのだ――!
ぼくたちは、少なくともぼくは、旅人として、こんなにも未熟だったのでした。
そして――
未熟さを自覚できても、もう挽回のチャンスは、なく――
無く――!
これで、幕引き、なにもかも終わり。
もう、お仕舞い。
終わり、だったのです。
“完”
絶望刑――
生き殺し――
父上、母上、そして兄さん――
申し訳御座いません。
ぼくは、親不孝者でございました。
行は一度空を見上げ、そして項垂れます。静かに両手で顔を覆い、やがて。殺していた嗚咽が、その手の間から、漏れてきたのでした。
二人の上には青空が広がっています。
そこには――
たしかに、ブラジルが、“横倒れのブラジル”が――
ゾーンアウトの証左として。
その“暗黒”の姿を、“二重の空気”の底に、現していたのでありました。
(図はイメージ。撮影:2014年5月、曇り)




