9 六日目。秋田(3)
順調な滑り出しをみせた“冒険の旅”でしたが、想定外なことは起こるものです。
国道105号を小一時間ほど走り、いよいよ市ざかいとなる大覚野峠への急坂に取り掛かったときでした。国道341号にいるはずの、蘭から通信が来たのです。
『ピポッ』
『ハロー』
「なにかトラブル?」
『わたしが通話するたび聞かれてるわねそれ』
「ごめんごめん。(心配なんですよ。)で、どうしたの?」
すると少し言い辛そうな声が聞こえてきたのでした。まるで、悪戯を見つけられた幼子の、蘭の姿が見えるかのごとくにです。
『あのね……異世界の旅の間は封印してたんだけどさ、つい……G-MAPでね、その、“現世の航空写真”でね、……行き先を、確認してしまったの』
つい笑ってしまったのでした。
「あらら。先がわかってしまったら、旅の楽しみが半減ですね」
続けて、これは簡単に推理できたことなので、すぐにフォローしたのでした。
「でも、今回は仕方ないと思います。命がけなのですから。それで、どうでした?」
『どうもこうも、玉川温泉から北のエリア、深い森で、とても足を踏み入れられる状況ではなさそうなの』
「なるほど」
山行きに際し、事前に調査し、問題ないかどうか検討するのは当然のことです。忘れてはいけません。ぼくらは、いまや裸も同然なのです。
現世が誇る、神レベルの科学技術の集合体、パムホですが、この世界においては、標準電波と衛星電波の解析に成功しただけです。おかげで時間と現在位置の機能は使用できるようになりましたが、他方、電話回線とネット回線は、残念ながら利用が叶わなかったのでした。
ですので、行き先の航空写真を見るとなったら、パムホ内に保存されてある“現世のデータ”を見ることになります。(特に日本国内版は充実完備されています。当然ですね)
勿論それをもって、“この世界”でもこうなってるだろうとは、言えないことは承知です。
しかしながら、ぼくらは――何たって、今まで実際に旅して来たのです。その経験から、そんなに大きな差異もないだろうと見当つけることはできたのでした。
行はその考えを伝えます。
「まず確実に、“こっちの世界”も、ジャングルになってると予想します。毛虫やヘビ、トゲのある植物などが、“わんさか”と待ち構えていることでしょう」
『でしょうね……』
彼女も同意し、尾根越えルートは、ここに立ち消えとなったのでありました。
となると、彼女の採るべきルートです。
といっても一本しかなく、順当に国道341号で、ぎりぎり通過を試みるのでしょう。
そう思ったときでした。
『それで考えたんだけどさぁ。エヘッ。――わたしも、コオくんといっしょに、山越えしたいなぁ、て思ってサ。だって。わたしのラインから見てみたら、玉川ルートも、森吉山ルートも、変わんないじゃん。だったら――と思ってサ。……迷惑? キミの“冒険”の邪魔になるかしら?』
聞いてる途中から顔が輝き始めていた行だったのです。
それは何もかも都合のいい提案だったからでした。二人で一緒に山を越え、一緒に道を行く。離ればなれになって不安になることもないし、片方が待ちぼうけを喰らうこともない。なにより、一緒の冒険は、楽しい、嬉しい、テンション上がる――!
「とんでもない! 大歓迎ですよ!? 魔王討伐の旅には、パーティは必須のものと古来から決められているのであります! ぜひ女剣士、いえいえ、大賢者、大魔法使い、しかしてその実体は、身分を隠したプリンセス、の役どころで是非是非是非お願いします!」
蘭の弾ける笑顔が目に見えるようでした。
『よかった! じゃ、これから追いかけるから、ゆっくり進んでてね。阿仁町ってとこ目指したらいいのよね?』
「――!」
このときでした。
行は、フラッシュのような一瞬の、不安に襲われたのでした。
彼女のゾーンからしたら、“国道105号の阿仁”は、国道341号なみの、“端っこ”だったのです。
「――なんならお迎えにあがりますよ」
行の、その一瞬の間の意味を、さすが、正確に読み取った蘭でした。元気に返答してきます。
『ううん、大丈夫、その必要はないわ。心配は理解してる。でもね、ひょっとしてだけど、“一番安全”に、そのうえコオよりも“先”に、阿仁に到着できるかもしれない』
「どういうことですか?」
『ヒ・ミ・ツ』
「――」
一瞬の間ののち、行は応えていたのでした。
「――アハハ。了解です。何にせよ、無理だけはしないでください。きみはぼくよりも、少なくとも体力はないのですから」
『ウフフ、その点も大丈夫。ひょっとして、コオよりも疲れないかもだよ。“万全な状態”で、山登りに立ち向かえると思う』
……お分かりでしょうか? そんな魔法のようなこと。
ところがこの時点で、行には蘭のプランの全貌が、ほぼ推測できていたのでした。
「――本気でわからなくなってきました」とは、遊び心のウソです。
『フフッ! そうだ』
「なに?」
『わたしのお願い聞いてくれたんだから、お返しに、そうね、今度はわたしが先に立って、歩いてあげようかな? キャッ<ハート>』
「!」
このとき――
さきほどから、なにかしら感じていたモヤモヤ感があったのですが、そのセリフのせいで全部吹っ飛んでしまったのでした。
代わりに頭を占めたのが――
蘭の後姿を拝める。
ただそれだけ――って、うわっ、行くん――!?
今、自分一人だけでよかったと思うくらい、顔を赤くし――
ぼくは俗物だと激しく自覚しながら、鼻血は出てはおるまいな、と鼻下を擦る行くんだったのです。
「――山登りだから、後ろから押してくれって、オチでしょう?」
せいぜい返してもこの程度です。対して蘭は憎らしいほど的確でした。たった一言。
『えっち』「ゴホッ――」
これです。敵いません。
「――げほゴホごほほ、押すのは背中ですよ背中! ごほんエヘン! いえホントに!!!」
笑い声。
『じゃ、“待ってる”から!』
「お手並み拝見します」
『コピー♪』
(ぷつん……)
「……」
パムホによると、蘭の現在位置は、玉川ダム・宝仙湖でした。
そこからこちらの国道105号に来るには直近の県道321号を使うしかなく、現に蘭を示す光点は、そのルートをなぞり始めています。ということは、距離的に、あと30分程度で“手段”が確定するはずです。それまでは――
「……せいぜい、ゆっくり行きましょか」
微笑を浮かべ、坂に取り掛かる行なのでした。




