9 六日目。秋田(2)
朝の身支度も、朝食時も、ぶっすーーー、とした態度を貫く蘭なのでありました。
またか、というか、いずれにしてもこのボクは全然悪くないのに、流血までしたのに、と思う行でしたが、だからこそ逆に、ほとほと、蘭に救いがないというか、手がないというか。でも、反対にぼくの方が誤っていたのなら、それこそホントウに救いがなかったというか――
「~~~!」
頭を抱え込む行くんなのでありました。
旅の六日目。7月26日、金曜日。午前8時30分。
旅館前にコン吉、ケンケンを並ばせます。荷物の搭載です。
さすがにこの頃になると、蘭のご機嫌もだいぶ回復しています。少しは免疫がついたのでしょう。それを見極めて――
「えへん」
一つ咳払い。注意を喚起し、態度を改めたのでした。
旅も終盤にかかり、この時点でスピーチの一つでもしておくのも意義があることです。
また、それとは別の思惑もあり、行は行動を起こしたのでした。
スピーチ・パート1です。声を張り上げました。
「今後の予定の確認と、あと、提案があります」
なんとなく予想していたのでしょう。蘭は、己もけじめをつけるかのように背筋を伸ばし、穏やかな笑みを浮かべ、言葉の続きを促したのでした。
「どうぞ……」
協力的態度に勇気を得て、行――
「お互い、湘南海岸を発ってから、はや六日目です。ここまでラインにして約502km。結構いろんなことがありましたが、“神”のご加護のもと(微笑)、すべてクリアして来ることができました。実際ぼくらは、よくやって来たと思います」
「まったくその通り」ぱちぱちぱち――
「思い返せば、最初は二人別々に、お互いの存在を知らずにスタートし、いきなり関東大災害平野に放り出されました。
その大平面に驚かされ、災害の規模にまた驚かされ、住民と初遭遇しその姿に驚かされ、奇想天外な富士山に驚かされ、そしてえんえんと灼熱の地を歩かされました。
やっと災害平野から脱出したかと思えば、息継ぐ間もなくグンマーにての宇宙大戦争に巻き込まれ、そして――
二人の劇的な出会いがあったのです!」
「えへへ……」
はにかむ蘭です。
「ケンケンとコン吉ちゃんのことも忘れないでね」
「勿論です。もはやコイツらのいない人生なんて考えられないくらいです!」
「そうだ! そうだ!」(こぶしを振る)
「コンコン!」「ケンケン!」黄色と赤色の二頭も声を合わせます。
「楽しい最初の一夜を過ごした翌日は――」
笑い。
「ゾーンの制約により、早くも道別れ! そして、桧原湖にての劇的な再会です――」
ヒューヒュー!
「――個人的に、“湖めぐり”というテーマをこなしたわ」蘭が叫びます。
「ぼくも個人的に、“できるだけまっすぐ”走ったよ」
「二人のラリーに、王様ゲーム!」
「ブラジル神の恐怖も退けた!」
「銀河鉄道に祈りを捧げ、ナマハゲ軍団もいなしたわ!」
その他、言葉にはしませんが、ハダカ合戦に、今も進行中の極悪ギリギリ衣装の問題。
「――これらすべてに対処して、ぼくらはもう、一端の旅人です。その栄光を胸に、最後まで事故なく、楽しく、ぼくらのこの記念すべき初めての旅を、最高に飾るべく、ゴールまで堂々と走り切りたいと思います!」
「激しく同意です!」拍手、拍手。
「さて――」
行は、ここでトーンを変えたのでした。
スピーチ・パート2。実は彼にとっては、ここからが本題だったのです。
「ここからはお願いです。ライン全長約625km。そこまで残すところ、あと123kmとなりました」
うんうん、と頷く蘭。
「その気になれば、1日で走破できる距離でしょう。ですが、ここはあえて二日に分けたいと思うのです」
一つ、重々しく頷く蘭でした。
「なんとならば、その“最大の理由”が、なんと“物理的”に、本日のルート上に、デデンッと立ち塞がっているからです。
今回の旅における、最大の障壁と言えるでしょう。いわば、“ラスボス”とでも言うべき存在です。これをやっつけないことには……先へ……進めませんっ!」
「おおおう……」
「そのラスボスというのが――」
「ごくり……」
「――標高1454m、秋田の誇る、“森吉山”なので、あるのでしたーっ!!!」
「きゃーーー!」
(左の赤線・緑枠が行。右の赤線・青枠が蘭。それぞれのラインとゾーン。青線が予定走行ライン)
「いちいちリアクションありがとう」
「どういたしまして」
「で、パムホをご確認ください。本日のルート、ぼくも、きみも、森吉山を大きく迂回するため、マジにゾーンぎりぎりになります。今までの経験からすれば、たぶんこのままでもクリア可能と思うのですが、ここは思い切って――ぼくはですけれど――森吉山山頂を通過する登山道を進もうと思ってるのです」
蘭が微笑んだのでした。
「文太郎さんを真似るのね」
真面目に頷く行です。
「はい。最後に、冒険らしい冒険をしてみようかと。師匠にあやかって、山の一つでも登ってみたくなったんです。その相手にこの森吉山は手ごろ、初心者に相応しく思います。
いえ、大丈夫。もちろん油断はしません。天気はいいし、登山道は整備され、難易度も中くらいです。現世での話ですが、ここも一緒でしょう。コン吉となら、十分余裕で乗り越えて行ける。
ただ、さすがに半日は時間取られるでしょうから、個人的な理由で申し訳ないけれど、日程を二日にしたいとお願いするしだいなのです」
「別にいいわよ。かく言うわたしだって、今日は山越えしてみようかと考えてたんだから」
「というと?」
「玉川温泉から道路を外れて真北に進めば、“三ツ又森”って名の、低い尾根を一つ越えるだけで、向こう側の山道に出られそうなの。ゾーンから考えても、その方が安全なのは確かだし」
「三ツ又森……。いかにも道に迷い、遭難してしまいそうな森ですね」
「ウフフ、“森”てのは、この地方で“山”を意味するそうよ! ここいら一帯に、やたらあるわ」
「……大丈夫?」
「まず行ってみて、様子みてから判断するわ」
「無理しないでほしい」
「キミがそう言う?」笑い顔。行は頷くしかありません。
「オーケー。ところで――最後に。最後の提案があるんだけど」さりげなく――
パート3、核心部でした。
「どうぞ。なに?」
「今日の泊まりは、十和田湖にしない? ラインにして約587km。ここから85km地点です。なんぼなんでも、夜中までには到着できるでしょう」
「いいわね。てか、最初からそのつもり。なんたって“十和田湖”ですもの。ロマンチック度満点! 明日も、ゆっくり起きて、余裕で青森港にゴールできるし」
「それで……多分きみの方が先に現着することになると思うんだ」
「うん、そうね――ああ、部屋取りのこと? なんだ水くさい、それくらい――」
半ば強引に、おっかぶせるように言葉を口に出したのです。
「どうだろう?」
「――はい?」
一旦、息を飲む行だったのです。
そして、顔を上げる。発するは――
凛とした、しゃがれ声。
意を決した男の子の、それは勇気を振り絞った言葉だったのでありました。
「旅の最終夜に、きみと、思い出を作りたい――」
そして、一瞬で理解する美少女だったのです。
「――!」
信じられないことを聞いた。幸せな言葉を聞いた。そのように、蘭は、両手で恥らうがごとく乙女の顔を優しく包みます。
そして行もまた、頼もしい男の子らしく――
顔を頑とさらけ出したままのその勇敢な美少年は――溶けるがごとくに真っ赤になっていたのでした。
やがて――
――コクンと頷く蘭だったのです。
「お部屋を一つだけ、取っておきます……」
「おお……!」
ああそれ以上! 互いに顔を見れない二人だったのでありました。
あわてて体を反転させます。そうしないと、いつまでも動き出せなかったでしょう。
「――出発だ!」
少年の、覇気溢れる声でした。
「オーケー! 遭難しないで、くださいね」
少女の弾んだ、それはそれは綺麗な声だったのです。
――
このときでした。
ふと――
行の頭の中に。
かの――
超有名な。
フレーズが――
浮かんだのでありました。
『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ』
「………………縁起でもない」
小さくつぶやき、首を振って、すぐに忘れた行だったのです。




