7 四日目。福島・山形(10)
道沿いの無人販売店で、昔ながらの夏みかんを見つけたのでした。
真っ黄色な玉。両手で包める大きさです。
未だに作られていたのか、山形でも作れるのかと、多少驚きながらも――有志が試しに作ったせいでしょうか、コスト度外視と思われる価格――10エンを箱に投じます。
品種改良された現代の甘い夏みかんとはわけが違います。それこそ指先に力を入れないと、分厚い皮を剥けないのでした。ごりごりした表皮の油汁が滲んで、たちまち手がまっ黄色によごれます。
やっと真っ白なひと房をもぎ取っても、そこからがまた大変で、歯で器用に薄皮を噛み切り、中の山吹色した粒々の塊りを露にして、さらに、種を歯で扱き取り、ようやく。食することができるのでした。
「ううん……」
甘味の薄い、どちらかと言えば苦い、しかしながらすきっとした、夏の光のような蜜、とでもいうような昔の味が、喉を通り過ぎていくのでした。
『ピポッ』
「非常に残念なことを、お話ししないとならないのですが……」
『あふ、あぁふ……と、ごめん』
どうやら船を漕いでいたようです。
「地平線を、“一番遠い所”と解釈しなおしたんです。そうしたら、どうでしょう、この地球上で、一番遠い所とは、“ここ”に、なりますよね。ならば、こここそが地平線であると言えないでしょうか」
『愉快なレトリックね……』
「この発見に一瞬、小躍りしたのですが、冷静になってみると……」
『うん……』
「“ここ”には、見たところ神様はいないようです……」
『あらあら。じゃ、高いところにいるのかにゃ?』
……にゃ?
「――思い出したことがあるのですが、文太郎さんと出会ったときのことです。彼は、“神を見つけられなかった”と、確かにそう呟いておられました」
『あの富士山を極めたはずの男が、そう発言したと……』
「はい。神は、顕現しなかった」
『では、神さまは、どこにいるの……』
「ぐう……」
『宿題だぁ、オーバー……』
(ぷつん……)
仮に蘭の言うとおり、神さまは高い所にいらっしゃる、としましょう。
では、その高度は、いかほどでしょうか?
このフラットランドで、地続きの、一番高い所でしょうか? この場合――
『神を見つけられなかった』という文太郎さんの発言は重大です。
発言が真にあの富士山に登頂してのものならば、「神さまは高所にいない」という結論になるからです。
いやいや、まてまて――
慌てて首を振ります。
普通なら登れっこない! つまり普通なら、神さまが高所にいる可能性を、1mmも否定できないのです。
となると、代わりに、はっきり、「文太郎さんは嘘つき」になる。嘘つき――
「う……」
片手で顔を覆います。文太郎さんは嘘つき――
発言が真ならば、神さまは高所にはいないことが証明されるが、それにはどうやって登頂したのかを説明しなければならなくなる。
説明できなければ、文太郎さんは嘘つきになる――
「ぬ……」
ここに一つの問題があるのでした。
無限の高さから見下ろす地球は、半径ゼロにも等しいように思えます。なぜって、比べる相手が無限だからです。
でもそれでも、地球の“向こう側半球”は、“見えない”とイメージさせられるのです。地球の輪郭が地平線で、視界はそこまでが限界。裏側は見えない。
はたして全能と呼ばれる存在でも見えない場所を、神の視座と言ってしまってもいいのでしょうか? 逆に言えば、そこは神の居場所ではないのではないでしょうか?
それとも、この世界は。神と、地平線の反対側の神の、二柱からなっているのでしょうか?
ここはフラットランドです。この世界には“裏側”があるのでしょうか?
この世界には地平線があるのでしょうか?
それとも、無限大の半径の球の表面なのでしょうか?
世界の空間は、どうなっているのでしょう。
そもそも神とはなんだろう――?
神さま――
文太郎さんのことを思えば、どうしても見つけ出したい。また――
旅の方便とはいえテーマとしてしまったからには、信義の上からも、どうにかして探し出さないとならないのですが……。
正直、今回のこの旅で、見つけられなくてもいいような、だるい気分にもなってしまうのでした。
そんな夏の午後だったのです。
「――ふぅ」
太陽の光が頭に、首筋に、両肩に、手のひらを見せれば手のひらに、ぽかぽかと当たります。
野鳥のさえずりが楽しげに、平和に聞こえます。
さすがの行も眠気を誘われ、つい、大あくびをしてしまいます。
瞬間、夏みかんの匂いが、肺いっぱいに広がったのでした。




