7 四日目。福島・山形(9)
『ピポッ』
『ごちそうさま。ねぇ聞いて聞いて!』
「ごちそうさま。なんでしょう?」
『さっきコオくんは、会うためには苦労しなきゃなんない、て言ったよね? それが大いにヒントになったわ! 神さまはゾーン内のどこそこにいる、というんじゃなくて、その人の努力の果てにいる、と捉えるべきなの』
「奇遇ですね、同意見です」
『なら、答は一緒かしら?』
「どうぞ」
『神さまは、長い距離を評価する。キミは?』
「神さまは、より高きを評価する」
『あちゃー』
「わかりますよ? ランは、花子さんを手引きにしたんでしょ?」
『ということは、コオは文太郎さんを引っ張って来たワケね』
「お互い、いい師匠を持って幸せです」
『では――こういう説はいかがでしょう』
「伺います」
『結論として、神さまはやはり天空にいる。
神さま程の高所から見下ろせば、旅人の足跡は、その直線が長ければ長いほど、視認しやすいのは道理です。ゆえに、長さに価値があるのです。人はどれだけ遠くまで行けたか。どれだけ長い距離を移動できたかに、意味があるのです。大地の高低に価値はありません。空から見れば――』
「さて?」
『――富士山を通過しても、窪地を通過しても、それは変化のないただの直線なのです』
「ほほう?」
『さて?(笑)』
「それでは。こういう説はいかがでしょう」
『伺います』
「神さまは、空にはいらっしゃらない」
『ほほう?(笑)』
「その前に一言、弁解です。これは願望です。空にいてもらったら困る。なぜなら、この肉の身として、その膝元に届かないからです」
『死んだ後、魂が天の国へ登る、というお話をするわけではないのですね』
「そうです。神さまと直接膝を交えて交渉して、文太郎さんの病を治して頂くというのが大義名分です。そのためには、どこまでも此の世での、地の上でのお話で、ありたいのです」
『では、コオがお考えになる、神さまのおわす場所とは?』
「地平線です。地平線に、神はおわす」
『どうぞ』
「地平線から、“地平線を目指してまっすぐ歩いてくる旅人”を見やれば、それがどんなに長き直線であったとしても、ただの一点の点にしかすぎません」
『……そう来ましたか』
「しかもこの場合、スタートしていない人も、ゴール直前の人も違いがないのです。
ゆえに、実際に旅立つという行動を起こした人を評価したいのならば。
旅人に価値を見いだそうとするならば。
見るべきは、かの者が、それまでいったいどれほどの高みにまで至れたのか、でございましょう。2次平面から、より高次の、3次元方向への突き出し。新しい次元にトライする勇気、そして至ったその高度のみが、評価の対象となるのです」
『まず、文太郎の評価ありき、てコトですね』
「きみの花子さんとご同様ってことで、容認して」
『ここは、フラットランドですものね』
「それも、どちらの説にも当てはまることです」
『でも、高さって、エベレストでもせいぜい8kmちょいじゃん。うちら今、600km超の旅をしてんだよ? 片マージンでさえ約15.6km。エベレスト余裕で包み込んじゃう。高さって、ぜんぜんじゃない』
「新しい次元に挑戦するのですから、難易度が違うということで、何とか一つ評価の方よろしくお願いしたい」
『まだあるよ。――地平線って、旅人を囲む円形状のものでしょう。その線上を移動して、視線の角度を変えれば、その旅人の長き直線も評価できるのではないでしょうか?』
「ここは細長い“まっすぐゾーン”だということをお忘れなく。
それに、仮に円だったとしても、神さまに横向く人を、わざわざ評価しなくてはならないのでしょうか? 神さまだって、その人と、正面から相対したいはずです」
『気難しい神さまですねぇ』
「だけど、地に降り立って、人を迎えてくださる神さまです」
『……あのー?』
「どうぞ」
『ご承知の通り、地平線は追いかけても追いかけても、逃げて行くものです。春のレンゲの花畑のように、夏の道路の逃げ水のように……。永遠にたどり着けませんよ?』
「やっぱりその点を突きますか……」
『ここで、ゴールである“海岸線が地平線”、とか言いっこナシですよ。水平線をもって代えさせて頂きます』
「了解です。なんなら、ひっくるめてスカイラインという言葉に換えてくださってもかまいません。ここでは地平線という言葉で通しますが、永遠だという意味で、地平線までのその距離は、半径は、シンボリックに無限と言ってもいいでしょう」
『手段を講じて、無限を飛び越えられたらよいのですが』
「それこそが、此の世で神さまにもの申せる資格となるのでしょう」
『難儀ですねぇ』
「難儀ですね……」
(ぷつん……)




