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5 二日目。栃木(5)

 当初の、自分一人だけだった頃の予定では、日光に、二、三日、日数をかけるつもりでいたのです。ここはそれほど、本当に一日では回りきれない巨大な魅力に満ち溢れていたのでした。

 それでも行は、早々に出立(しゅったつ)することにしたのです。

 なぜって――

 緑原蘭、だからです。

 蘭が道の先で待っている。だからでした。

 行は想像するのです。もし彼女と同伴できていたのなら――この日光観光は、倍以上の楽しさになっていただろう、と。

 どんな歓楽地にいようとも、彼女がこの世界にいると知ってからは、一人でいることに、急に寂しさを覚えるようになってしまっていたのでした。


 坂道の国道119号を下り、再び121号で北上を開始します。

 少しすると、道は鬼怒川(きぬがわ)に沿うようになり、辺りは濃い緑の山の中となるのでした。

 そのまま121号でもよかったかもしれません。ですが、自分のテーマを噛みしめるように思い出し、より“まっすぐライン”に沿っている、日塩(にちえん)有料道路、別名もみじラインに進路を取ったのでした。

 軽車両は50エン。

 日光東照宮ではケッコウぼられましたので、この安さには感動を覚えたりしました。

 冷やっとした、緑の折り重なった山の濃い空気を肌に感じながらワインディングを楽しみ、一般国道400号に至った所で――


 午後7時。

 ラインにして約188km。(本日のライン移動量67km)


 箒川(ほうきがわ)のせせらぎを中心に賑わいを見せる、塩原(しおばら)温泉郷(おんせんきょう)に一夜の宿を求めたのでした。


挿絵(By みてみん)


 イワナの塩焼きと山菜がメインの食事を終え、時間を確かめて露天風呂に入ります。

 透明無色の湯です。いい湯加減でした。熱が、骨にまでじんわりと染み込む感じです。

 ときおり微風が涼しく湯気を払い、辺りは黒い森。南向き、富士山と並ぶ満月が、その清い光をここにだけ、湯面にだけ降り注ぎ、温と冷の一瞬の煌きののち、すべてが白い湯気の薄絹に覆われるのでした。

 雰囲気は満点です。

 やおら、湯船にまで持ってきたイヤホンマイクのスイッチを入れます。


『ピポッ』


「月が綺麗ですね……」

『!』

 湯煙の隣に、真っ赤になって体を隠す蘭の姿が容易に想像できたのでした。

「じゃ、ごゆっくり……」


(ぷつん……)


 そしてスイッチオフ。

「ぷっクック……」

 堪えきれずにお下品な笑い声をもらしてしまう行です。

 この旅の間中、二人のパムホはリンケージされていて、どこに彼女が滞在しているのか分かるようになっています。本日の蘭の宿は、那須(なす)温泉郷です。那須岳の周遊道路、その頂上付近の、とある一軒の宿屋でありました。


挿絵(By みてみん)

(右の青線が蘭の走行ライン)


 そこまで知れたのなら、あとは推理と勘の出番です。

 彼女が天界と下界の絶景を一望のもとにできる機会を逃すはずがありません。

 必ずや見晴らしのいい、開放的な山腹の露天風呂に入るでしょうし、ならば行としては、その頃合に見当をつけるだけでした。

 彼女なら、湯船に浸かりつつ、自分にまた、からかいの通話をしてくるに違いないと先手を読み。その寸前にこちらから仕掛けて――

 みごと討ち取ることに成功したってコトです。

「仕返し券一枚、お支払い……」

 これで同点だね、アハッ。

 行は満足げに、心地よい湯に身を任せたのでした。


 さて。湯から上がった後ですが……。

 行くん――

 タオルで水気を拭ったあと、部屋まで、そのまんまの姿で歩いて帰るという冒険をしてしまったのです。

 脱衣所を出て、廊下を歩き、階段を上り、大広間の前を横切り、渡り廊下を歩き、その途中立ち止まり、余裕ぶって夜景を眺めたり、ポーズをとってみたりし、わざと人が行過ぎるのを待ってから歩き出し、ロビーの前を通り、人々の談笑する様子を見やり、また階段、そして客室前の長廊下を、無防備にゆっくり歩き通し――

 ――いえ、回りの人たちと同じです。宿内どころか、つまり集落全域が“湯船”、“洗い場”のような雰囲気だったのと、なにより自分は男子だという意識があったので、かろうじて精神状態を保てたのでした。さすがにドキドキものでしたが。

 激しい羞恥心と、奇妙な開放感。いろんな感情がないまぜになって、最後は頭の中がポヤッとした、がらんどうのような、好きにしてくれという無抵抗な感覚になって、そうして部屋に辿り着いたのでありました。

 赤く上気した顔で考えます。やってしまってから何ですが、なんでこんな破廉恥なマネをしてしまったのか?

 そして気づくのです。

 (ある)いはこれこそが、今朝の蘭の、呪い(ささやき)の真の力だったのかもしれない、と――

「――」

 見事に操られてしまった、ということです。

 これでタイだ、なんて思ってしまったとは、ぼくもまだまだ青いな。

 そう反省する行だったのでした。

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